という仮説を立てた世界の構造をシュミレーションするような動画を見ました。
お金があるから、お金が絡む余計な仕事が多すぎる。
お金があるから、お金が絡む犯罪が生まれる。
よって、お金が無くなれば、
無駄な仕事がなくなる。
犯罪がなくなる。
と、極端ですが、想像を突き進めば、そんな社会も可能ではないか?と。
ただ、きっとこの仮説の前提としては、
社会主義
共産主義
のような「強要」「強制」の発想はなくて、
人間一人一人の「良心を信じる。」発想で、
お金がなくなっても
きっとみんな何かしら働くでしょっ!
最初は遊んでばかり、寝てばかりの人々がいたっていいさ。
その遊びがエンターテインメントのように、
人々を喜ばせたり、楽しませたり。
寝てばかりの人をお世話したい人がいたり。
それこそ、
一人一人が
したいことをしていると、
なんとなく
有機的に絡み合って、
いい具合に社会が成り立っていくんじゃないか?
きっと、昔昔の縄文時代なんかは
そんな感じで社会が成り立っていたんじゃないか?
という、細かい内容は全て見たわけではないのでわかりませんが、
大枠はこんな動画の内容だったと思います。
「お金」
確かに今は、これに支配されていると言っていい社会構造になっていて、
「お金」がないと何もできない。
昨日見たTV番組「坂上王国」?だったかなぁ
小学生の女の子が
子犬?子猫?を放っておくことができないと保護したはいいが、
坂上さんは、その気持ちは大事だけれど、
「お金がないとできないことがある。」
ということもちゃんと知っておかないとダメなんだよ。
だから「保護犬」「保護猫」を救いたい気持ちがあるならば、
「お金がないとできない」ということもしっかりと勉強して知っておかないとダメなんだよ。
というような「大人の」説明をされていました。
確かにそうなのでしょうが、
小学生の女の子の
「放っておけない」
の気持ちだけで動いてしまう。
こちらの方が、自然なんだろうな、と思いながらチラチラと見ていました。
「お金」という概念が、
「自然」を破壊してしまっている現代社会の「可笑しさ」を感じました。
今日は随分と長くなってしまいましたが、
人間も自然の一部です。
自然界に「お金」は存在しません。
「お金」の理屈は通用しません。
ただただ
今、
地球は自然に戻ろうとしているだけ。
正常
清浄
な作用が働いているだけ。
人間は地球に住まわせてもらっているという謙虚な気持ちを失ってしまっているとすれば、清浄な働きとすれば、淘汰されていくのだろうと畏れます。
不平
不満
文句
ばかりを聞かされていたら、嫌になっちゃうよ〜
という空想です。