おれ専用 ノート

おれ専用のノート。おれのいろいろな資料の保管庫です。他の人が見てもあまり意味はないよ。

韓国のアリラン、日本に渡って五木の子守歌になる[05/28]

2011-05-28 14:20:28 | 韓国のニュース記事
1 名前: 蚯蚓φ ★ [sage] 投稿日: 2011/05/28(土) 14:13:04.60 ID:???

【ソウル=ニューシス】ユン・ソフィの音楽と旅行<50>
(前略)地震や津波など自然災害に絶えず気をもんで生きなければならない日本だからか?都節
(訳注:主に江戸時代の都会で行われた音楽の旋律または音階)音階がある日本の民謡は韓国
民謡に比べて露骨に悲しみを表わす。外部の侵入がなければ大きな心配がない韓国だとどうだ
ろう?私たちの民謡は悲しみを表わしても揺れる拍子に非常に楽しさや躍動性がある。民謡のこ
のような性格を見る時、韓国の情緒を「恨(ハン)」と言うのは適切な解説ではなかったかもしれない。

韓国民謡が半音がない五音音階であるのに比べて日本の都節音階は五音中に‘ミファ’と‘ソド’
の半音が続けて二つもあると二音階になった歌はしなやかながらもひどく哀調をおびることになる。
だが、日本の多様な民謡を見れば私たちの民謡と同様‘ソラドレミ’、‘ミソラドレ’の五音音階に震
えて折って揺さぶる発声法がさらに多い。

面白いことに韓国は湖南地域、慶尚道地域など各地域ごとに独特の個性を持つのに比べて船に
乗って全国を歩き回る日本では全国の民謡がほとんどそっくりだ。だから日本人に「君たちの国で
南や西や東や民謡の特徴は?」と訊ねれば「沖縄地方のように独特なところ除けば、全国の民謡
はよく似ていて日本には‘土理’(訳注:その土地固有のもの)という概念がない」と答える。代わり
にある地域で祝歌と呼ばれるものが他の地域では労働歌と呼ばれ、同じ旋律に歌詞が少しずつ
違う程度の差があって、あえて音楽的差をあげるなら有拍節である八木節グループの歌と無拍節
と呼ぶ江差追分グループの歌がある。

山口県の民謡と韓国の慶南地域の民謡を比較した時、その友人の話を実感した。素朴な日本民
謡の音調が韓国とあまりにも似ていて驚いたことがある。こういう姿に対するときは韓国民謡だけ
が折ったり震えて哀調をおびるというのは無意味な説明という気がする。なぜならば民謡のこうい
う性格は韓国だけでなく日本と中国、チベットなどアジアのどこでも見られるためだ。
(中略)
八木節と追分以外に代表的な日本の通俗民謡をあげるなら「五木の子守歌」と「サクラ サクラ」
がある。五木の子守歌は朝鮮遊民が歌ったアリランが日本化されたのだそうだ。(中略)「私が死
んだら道の端に埋めてください。通り過ぎる人が花を投げてくれるの」という歌詞で始まる五木の
子守歌の歌詞を見ればキム・ソウォルのチンダルレが連想される。そのメロディを聞いてみれば
韓国の民俗調アリランと似ているうえに拍節調が3拍子となじみやすい。

事情を聞けば壬辰倭乱の時、日本に連れてこられた遊民が故郷へ帰れずに森の中に隠れて暮ら
し故郷を描く歌を歌ったが、それが江戸時代末期から貧しい女性たちによって境遇を嘆き調子の
子守歌になったということだ。そうするうちに1945年、日本が戦争に敗れた後NHKラジオを通じて
五木の子守歌が頻繁に放送されて全国的に広まった。この歌の悲しい音調や歌詞が当時の日本
の人々の情緒とよく合致したのだ。
(後略)

作曲家・音楽人類学博士

ソース:ニューシス(韓国語) 韓国アリラン、日本に渡っていってイツキ子守歌なって
http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20110526_0008312864&cID=10604&pID=10600


ドラマ「アイリス」に出てくる日本の田沢湖、作ったのは日帝に徴兵された朝鮮人の血

2011-05-21 12:05:42 | 韓国のニュース記事

http://image.newsis.com/2010/10/03/NISI20101003_0003493668_web.jpg

【ソウル=ニューシース】ユン・ソフイの音楽と旅行<49>
ドラマ『アイリス』で、美しい雪景色で世間の耳目を集めた秋田。こちらの画竜点睛、田沢湖の穏
やかな波に乗って船遊びする人々の姿はそれこそ一幅の絵だ。春と秋には船遊び、夏なら水遊
び、冬ならスキーを楽しむ人々で混み合うので日本ではこの上ない観光の孝行息子だが韓国人
にとってここはそんなにゆったりとした気持ちで楽しむ所ではない。

韓国の大部分のインターネットサイトで「田沢湖」を検索すれば「この湖のできた原因はまだなぞで
ある」と書かれている。日本の情報をそのまま書き写したこの文を見れば、怒りがこみ上げる。な
ぜならばこの湖は日本に連れてこられた韓国徴用兵が掘った人工湖だからだ。

十余年前にこちらを訪問した時、地域民の話によれば韓国から日本に徴兵されて来た人々のうち、
最も多くの命を奪った場所だ。いかなる目的があってこのように巨大な湖を作ったのかは分からな
いが湖を作る過程に数多くの事故があったし、その過程で人に致命的な有害物質が噴出して人
命被害はより一層大きくなったという。

日本で最も深い水深を持ったこの湖は真冬にも水が凍らないので一層有名になったが、筆者の
考えでは恐らくこの湖の地質に溶解して出るその物質のためではないかという気がする。とにかく
こちらの絶景を撮影した写真が韓国のインターネットサイトにたくさん上げられているが、その中に
「若さと美しさを求めて龍になった」という辰子姫(たつこひめ)像を撮影したものはもれなく上がっ
ている。ところが韓国人の犠牲を賛える追悼碑を取った写真は一枚もないからおかしい。

筆者がここを訪れてからすでに十年を越えたので今は追悼碑がなくなったのだろうか?でなけれ
ば私の記憶が誤っているのだろうか?追悼碑の前に花束を捧げて写真を撮ったと記憶するのに
その写真が見つからない。アナログ時代の写真でファイルもないからただ記憶の中の写真を探る
だけだ。

朝鮮徴用兵たちの事情を詳細に話してくれた日本人を見ながら万感が交錯した。戦争を起こして
そのように残酷だった日本の人々は誰なのか、自分たちの誤りをこのように率直に告白して涙を
流すこの人はまた誰なのか、日本の人々の両面性に胸が傷んだ。
(後略)

作曲家・音楽人類学博士

ソース:ニューシス(韓国語) 'アイリス'その日本号数、日帝強制占領期間朝鮮人の血液
http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20110519_0008259816&cID=10413&pID=10400


 

田沢湖    Wikipedia


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%A2%E6%B9%96


日本での韓流ブーム、実はねつ造だったと韓国自身が認めたらしい

2011-05-14 06:13:50 | 韓国のニュース記事

人気音楽番組が日本でも絶賛された? 実はねつ造だった=韓国

 

韓国の多くのメディアが12日、MBC放送の人気音楽番組「私は歌手だ」が「日本でも爆発的な反応」と大きく報じたが、実はねつ造だったことが分かった。
韓国のインターネットでは「ねつ造」内容の報道が13日現在も残ったまま、「恥さらし」との声とともに慎重な報道を求める声も上がり始めた。

[私は歌手だ]という番組は、実力派の歌手7人が与えられた歌を歌い、1000人の投票結果をもって最下位になった歌手を脱落させるサバイバル番組。
1人脱落すると、新たに歌手1人を追加し、再度サバイバルを行う。3月からスタートした話題の番組だ。

同番組に対する日本の反応として第一報が報じられたのは11日、海外掲示板を翻訳している専門サイトが
「ナガス(『私は歌手の省略』)の日本での反応」というタイトルの文章をある翻訳して掲載、
それをあるメディアが「ナガスが日本でも大人気」と報じた。実はあるネットユーザーのいたずらで、
朴智星選手の試合に関する内容を「ナガス」に対する反応としてインターネットに投稿したでっち上げだった。

12日になると、関連報道が急増した。「日本の反応」という表現に敏感な韓国であるだけに、
多くのメディアがねつ造の反応を元に報道合戦を繰り広げた結果だった。
メディアは「日本でも爆発的な反応」、「日本にも同様な番組ができたらいいね」、「鳥肌が立つ。日本にはなぜこういう歌手がいないのか」、
「日本でも称賛一色」などの書き込みが殺到していると続々と報道、韓国でも話題を呼んだ。

ねつ造が発覚したのは12日、ねつ造の文章を翻訳したサイトは「信ぴょう性がない」として関連文章を削除した。
「恥ずかしいハプニング」とねつ造だったとことも報じられる中、13日現在もでっち上げの「日本の反応」を伝えた記事の多くはポータルサイトに掲載されたままだ。

一部では「日本での韓流ブームはKARA、少女時代につながる重要な転換期を迎えている。
このような雰囲気に水を差さないよう慎重な報道姿勢が求められる」と懸念を示すメディアもある。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0513&f=national_0513_094.shtml


尹奉吉と金九はテロリストか?~最後の手段としてやむを得なかったからテロとは認めない[04/29]

2011-04-30 00:11:39 | 韓国のニュース記事
1 名前: 蚯蚓φ ★ [sage] 投稿日: 2011/04/29(金) 23:22:33.54 ID:???

1946年4月29日。日本の韓国併呑には様々な手段が動員されたが最も基本的な手段は武力だ
った。韓国が併呑された最も大きな理由も武力に対抗する能力がないというところにあった。明治
時代に日本が導入した近代的武器と軍隊組織・方法は清国を蹂躙しロシアを撃退する水準に上
がっていた。武力において朝鮮が耐えられる相手ではなかった。

武力を前面に出した侵略には武力で対抗しなければならない。相手にならないという事実は当時
誰でも知っていた。それでも卵で岩を打つ心情で自身を犠牲にして抗争に乗り出した人々がいた。
抗争が直ちに勝利をおさめることはできなくとも、抵抗の精神は生かしておいたのだ。状況に屈服
せず、精神が生き残るならば当面の状況はどうしようもなくても、より良い状況を将来引き出す糸
口になる。自分の身体と家族の当面の安全と危機ばかり考えず、民族社会の将来と子孫が堂々
とすることを考えた人々がいた。

植民地時代、武力抗争の最も大きな象徴の一つが尹奉吉(ユン・ボンギル, 1908~1932年)の義
挙であった。(中略:1949年の記念式典に関する新聞記事)

金九(キム・グ)に「テロリスト」というレッテルが張られた理由がユン・ボンギルなどの偉業を指揮
した実績にあった。彼に敵対した人々は「テロリスト」という理由で引き降ろし、今でも李承晩(イ・
スンマン)を擁護する人々がこの視点を多く突きつける。キム・グの民族主義精神を慕って彼の挫
折と残念な死を悼む人々も、この側面については釈然としない考えを持つ場合が多い。

私自身<解放日記>作業を始めるまで、キム・グを慕う心をたくさん持ったまま作業に入りながら、
漠然とした感情にしばられずに批判する点は冷徹に批判するべきだとの確約をした。実際に解放
空間の中の彼の姿からは誠実さを疑わせる一面を発見して、彼の挫折には自業自得の側面もあ
るのではないかと考えることもある。

しかし、テロを無条件罪悪視する観念論には反対だ。宋鎮宇(ソン・ジンウ)の暗殺(1945年12月
30日)の背後にキム・グがいたと考える人々もこういう観念論に多く左右されるようだ。私はこのこ
とに確実な判断ができないし、キム・グの潔白を主張する根拠もない。ただし「テロリスト」という観
念の上で彼の責任を想像することではないと考える。

不当な侵略に対する抵抗の精神を生かすために自分自身を犠牲にした人々がいた。日本の強大
な武力の前でその犠牲に見合う効果を得ることはできなかったが、最善を尽くそうとした人々だっ
た。最大限効果的な闘争方法を彼らは模索し、テロも選択の範囲の中にあった。自分自身を犠牲
にする行為の道徳性は客観的定規で裁くのが難しいことだ。

テロリストの中には米国映画にたくさん見られるように暴力の快感に陶酔した者もいる。しかし、安
重根(アン・ジュングン)やユン・ボンギルの様な「義士」たちの行跡には生命を惜しんで隣人を愛
する人間的姿勢が明確に現れている。彼らの行為はあらゆる摸索の終わりにやむをえない選択
であったし、無実の人命の被害を最小化するために最善の努力を傾けた事実が明らかだから、私
はそれを「テロ」の範疇に入れることに反対であり、あえて入れたとしても犯罪的行為とは認めない。

ところでキム・グはユン・ボンギルなどの偉業を支援して指揮したが、自分の命をかけることはな
かった。そのため、キム・グが自分の野心のためにテロを利用したという非難もある。しかし、偉業
に乗り出した若者たちとキム・グの間の一体感を重視しなければなければならないと私は考える。
キム・グがユン・ボンギルを虹口公園に送って自分の肉が切られていく痛みを感じなければ、ユ
ン・ボンギルが彼の指揮に欣然と従うことができたであろうか?
(後略)

/キム・キヒョプ歴史学者

ソース:プレシアン(韓国語) ユン・ボンギルとキム・グがテロリストと?(抄訳)
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=50110429072646§ion=04

国会が桜の花に囲まれている理由~日本は民族精神抹殺のためムクゲ抜いて桜植えた[04/21]

2011-04-22 12:03:02 | 韓国のニュース記事

http://image.asiatoday.co.kr/file/472760(0)-m550410_49117.jpg
▲20日、国会本庁前で満開の桜の花が風に飛ばされている。

[アジアトゥデイ]汝矣島国会議事堂をぐるっとまいて取り囲むユンジュン路、桜の花祭りが真っ最
中で国会庁舎内部にも日本の象徴的慣習的国花である桜が100余株以上植えられていることが
明らかになった。

国会は最近、ユンジュン路の桜の花見などと関連、自主的に「桜の花と共にする国会」という主題
で各種行事を行った。国民の代議機関で「独立国」大韓民国の象徴である国会議事堂内外が「帝
国主義」日本を象徴する木と花に覆われて国会側もこれを当然とすることに論議がおきている。

国会は現在の独島(ドクト、日本名:竹島)特別委を設置するなど日本の歴史歪曲と民族抹殺政
策の残滓をなくすとし、各種作業を行っている。市民団体は「桜の花祭り」という名称も問題があり、
‘春の花祭り’に変えようと努力しているところに本来、国会がこういう形態を見せるのは自ら大韓
民国の象徴機関としての地位を放棄した処置と批判している。

21日イ・ミョンス自由先進党議員は「大韓民国の心臓部と言える国会に日本の民族文化抹殺政策
残滓の桜が植えられていること自体が深刻な問題だ。個人的な好みを離れて国会の象徴性と桜
の花の象徴性を互いに関連して問題の本質を把握しなければならないだろう」と明らかにした。
イ議員は「連日続く日本の歴史歪曲に対抗して国会内にある倭色文化から処理しなければならな
い。このような論議に対する国会議員の共感を形成するための公論化が必要だ」と話した。

一部国会議員などは「王桜の自生地は済州島で、日本が改良した王桜をまた我が国に持ってき
たのだから大きな問題にならない。従って桜や桜の花自体が倭色でない」と主張している。だが、
民族問題研究所関係者は「一部の国会議員のこういう論理は現実的に桜の花が日本の象徴的
な国花として扱われている点に照らして話にならない説」としながら「桜とその花は'帝国主義'日本
の民族抹殺政策の象徴物と認識しなければならない」と指摘した。

日本で桜の花は正式国花に指定されたことはないが、日本国民は桜の花を日王と軍国主義の代
表的象徴物であり事実上の国花だと感じている。桜の花は日王に対する忠誠の象徴でもある。太
平洋戦争当時、米軍艦隊に戦闘機に乗って身を投じた神風特攻隊員らは胸と肩に桜の花をさし
て任務を遂行し1870年から1943年の間、日本軍徽章の形を決める素材にも使われた。

日帝強制支配期、当時の日本は我が国の民族文化を抹殺するために創氏改名、ハングル使用
禁止などを実施すると同時に民族精神を抹殺するために韓半島からムクゲを全部なくして日帝の
象徴の桜を官公庁、路上、遊園地などに植える政策を推進した。

ミョン・スンヒ大韓ムクゲ中央会総裁は「大韓民国立法の聖地の国会に桜があるということについ
て無感覚な国会議員は独島問題をに及する資格もない」として「国を失った悲しみをすでに忘れた
ようだ」と話した。彼は「日帝強制支配期、日本は組織的に桜を植えて民族精神を抹殺した」として
「先祖が桜をなくして民族精気鼓吹のためにムクゲを守ろうとした歴史的努力が無駄になった」と
語った。

総裁は「国内の代表的な桜祭りである鎮海桜祭りの場合、日本が日帝強制支配期に壬辰倭乱当
時、13万人余りの朝鮮人の鼻と耳を切って日本に送った戦果と明成(ミョンソン)皇后を殺害して
韓半島占領に成功したことを記念するため、日王が行った祭りに由来したもの」と話した。
(後略)

<シン・ヒョンウ記者>

ソース:アジアトゥデイ(韓国語) 国会が桜の花に囲まれた理由
http://www.asiatoday.co.kr/news/view.asp?seq=472760


日本沈没の中でも他国の領土を貪る厚顔無恥、日本の政治家は大地震を神罰と考えよ キム・ジン教授 [04/21]

2011-04-22 12:00:29 | 韓国のニュース記事

http://img.seoul.co.kr/img/upload/2010/12/24/SSI_20101224173007_V.jpg
▲キム・ジン蔚山大哲学教授

米国の予言者エドガー・ケイシーは催眠状態でLA、サンフランシスコ、ニューヨークが焦土化する
のを見、日本の大部分も水中に沈むことになると話した。彼はソ連共産主義の没落と中国の民主
化を予言したことがある。16世紀、朝鮮明宗時の風水思想家の南師古(ナム・サゴ)先生や19世
紀朝鮮憲宗時の予言者松下老人も日本沈没を取り上げ論じたことがある。特に1983年、自身の
臨終を予告した呑虚(タノ)僧侶は日本の3分の2以上が海に沈没すると見通した。

興味深いのは日本人たちもこういう事実を認めている点だ。樋口真嗣監督が2006年に発表した
映画「日本沈没」はこうした日本国民の潜在意識を反映している。駿河湾で震度10以上の大地震
が発生した後、東京、九州など日本全域でドミノ現象が起きて国全体が焦土化して沈むという内
容だ。今その映画の内容は日本人たちの現実に近づいた。

大型自然災害は道徳的堕落に対する神の懲罰であろうか?この問いは1755年に発生したリスボ
ン大地震でもホットイッシューであった。リスボン大地震はカトリックのすべての聖人を記念する大
祝祭である万聖節の午前ミサ中に発生した。当時、教会では伝染病や大型自然災害を神の懲罰
と認識しており、大多数の教会指導者らは罪悪に染まったリスボンが神の審判を受けたと考えた。
それなら25万人のリスボン人口の大多数がカトリック信者だったので、2万~3万人の死亡者を出
した大地震は同時にカトリックに対する審判に間違いないだろう。

しかし、カントやボルテールをはじめとする啓蒙主義者らは多少の意見の違いはあっても、神の懲
罰でない単純な自然現象と見た。それでも議論は続いた。カントさえも晩年の著述「万物の終焉」
で自然災害のような終末的事件を不正に対する懲罰と考えられる、と言葉を変えた。

過去500年間で数十回にわたり侵略された私たち国民には日本大地震で「懲罰論」を連想するこ
とは自然かもしれない。しかし、国民の反応は意外だった。不幸な過去を超越した日本支援運動
が全国的に起きた。さらに元日本軍慰安婦のおばあさんたちまで参加した。私たち国民の反応に
米国とヨーロッパのメディアさえいぶかしがるほどであった。

しかし、日本政府の下心は全く違った。彼らは大災難の中でも独島(ドクト、日本名:竹島)を自国
領土と記録した教科書検定を断行した。黒田勝弘産経新聞ソウル支部長は、韓国が負けて惨事
にあった日本に独島を渡した方が良いと妄言まではいた。自国領土が沈没するその絶体絶命の
危機の中でも独島をむさぼる厚顔無恥こそ日本を代表するメディア知性人の姿である。

茶山チョン・ヤギョン先生は「日本論」という文で伊藤仁斎、荻生徂徠、太宰春台の著述を読み、そ
のきらびやかな文彩に接して、彼らがいる限り日本の朝鮮侵略を心配する必要はないと言った。
彼らは江戸時代を代表する儒学者で、最近、徂徠の独創的な‘論語’注釈書「論語徴」が韓国語
で出版された。茶山先生は日本の儒学者たちをとても信じたあげく、彼らの帝国主義本性を看破
できない累を犯した。

戦後ドイツが10万平方キロに達する自国領土をポーランドに帰属させたのとは異なり日本は我が
国、中国、ロシアと領土紛争中だ。最悪の場合、日本が隣接国に「歓待権」でも訴えようとするなら、
最小限、侵略根性だけは抑えなければならないだろう。従って日本政治家たちが3・11大地震を
自分たちの不当行為に対する神の懲罰と認識するのは道徳的に必要で意味あることだと見る。

ソース:ソウル新聞(韓国語) [開かれた世界]日本大地震は神の懲罰か?
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20110422030006&spage=1


日本は韓国に対する「恩恵の意識」を持たねば普遍的文明国家への発展困難~パク・ミョンニム延世大教授

2011-04-19 08:30:15 | 韓国のニュース記事

http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2010/0522/127443477213_20100522.JPG
▲パク・ミョンニム延世大教授・政治学

2011年は戦後東アジア地域秩序と記憶を定礎したサンフランシスコ講和条約60周年をむかえる
年だ。条約締結60周年をむかえ、私たちは何を記憶し何を越えるのかじっくり振り返る時だ。特に
日本大地震救護義援金提供(韓国・東アジア)と独島(ドクト、日本名:竹島)・教科書問題惹起(日
本)が相互に起きた状況を迎え一層望まれる。

何よりサンフランシスコ体制によって日本の国際社会復帰がほとんどただ乗りだった点が重要だ。
条約は日本を人類最悪の戦犯国家から合法的な国際社会の一員にした。その上、条約に基づい
た米日安保同盟は日本を東北アジア地域で米国安保戦略の要衝国家にした。領域内最悪の戦
争対象が最高の同盟対象に変換されたのだ。中国と韓国を含む核心被害国が条約に参加しない
ことによって戦争賠償と補償問題もやはり徹底的に歪曲された。その遺産は今まで領域内の秩序
および東北アジア人の記憶を支配している。

原因は朝鮮戦争だった。「朝鮮戦争特需」による急速な経済回復と共に、国際社会への復帰もや
はり朝鮮戦争のおかげだったことを考慮する時、戦後日本の経済と安保を定礎した基軸要因は
韓国問題だったのだ。その上、サンフランシスコ体制は全東北アジア地域を多国間主義と集団安
保機構が不在の世界唯一の地域にしてしまった。韓国、フィリピン、台湾、そして米国がしばらく追
求した領域内多国間機構、構築の努力は日本と英国の頑強な反対の中、朝鮮戦争を契機に米日
養子同盟に帰結して流産した。脱冷戦期まで持続する東北アジア多国間主義・集団安保機構欠
如は米日同盟体制構築、日本安保確保との歴史的交換物だったのだ。

言葉を変えれば戦後東北アジアで第二次世界大戦の遺産・記憶・秩序は短期間に革命的に転換
した。それは朝鮮戦争が残した遺産・記憶・秩序によって代替されたのだ。従って私たちは戦後日
本社会を規定してきた二つの集団意識の虚偽構造を客観的に把握することになる。冷戦初期の
「侵略者・加害者意識」が後期になって(広島と長崎に代表される)「犠牲者・敗戦意識」に変貌し、
もはや前者はほとんど存在せずに後者だけが目立っている。日本の領土、教科書、参拝、過去の
謝罪、賠償の問題はこのアレゴリーを少しも抜け出せずにいる。

しかし、侵略と犠牲の二分法に基づいた後者への変貌は、朝鮮戦争によってすでに実際の内容
が蒸留された虚偽意識に過ぎない。教科書、領土、過去悪行謝罪、賠償問題などで日本を普遍
的文明国家に進ませないようにしているこの虚偽意識を克服するためには、現代日本を鋳造した
朝鮮戦争による「恩恵の意識」が日本国民の精神状態の一つとして追加されなければならない。
となりの国家の悲劇について、自国の経済と安保を定礎したことに対し「恩恵の意識」を持つこと
ができないならば、日本の普遍的文明国家への発展は期待しにくい。

したがって、もはや東アジアと国際社会の議論の核心は東アジアでの第二次世界大戦の遺産・記
憶・秩序ではなく、朝鮮戦争のそれでなければならない。すなわち世界、アジア、日本での一般的
談論構造である「第二次世界大戦の遺産と記憶」は「朝鮮戦争の遺産と記憶」に代替されなけれ
ばならない。それは小さくは韓日関係改善と東アジア多国間主義建設のため、大きくは東アジア
相互博愛と永久平和のために必ず点検され実現されなければならない「現実」問題である。

それはまた、二回のアジア・太平洋戦争をし、サンフランシスコ体制を敷いた米国が二大強国(G2)
時代の東アジアとバランスが取れるようにできる方法でもある。最初のアジア・太平洋戦争(第二
次世界大戦)で米国は日本と戦い、二番目のアジア・太平洋戦争(朝鮮戦争)では中国と戦った。
G2体制(米・中)と重なるサンフランシスコ体制(米・日)60周年の時点に、地震寄付と独島問題がか
み合わさった状況に、共に21世紀を建設しなければならない日本の今日を問う理由だ。そのため
に我々自らは民族主義を越えて普遍主義に進む準備がどれほどできているか?21世紀の日本
に問うのは、すなわち21世紀の世界、東アジア、韓国を問うことだ。

ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 日本:サンフランシスコ体制を越えて/パク・ミョンニム
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/473607.html


啓蒙家か侵略者か、二つの顔持つ日本の賢者~安川寿之輔著「福沢諭吉のアジア侵略思想を問う」

2011-04-10 05:17:22 | 韓国のニュース記事

▲「福沢諭吉のアジア侵略思想を問う」安川寿之輔著
イ・ヒャンチョル翻訳、歴史批評社、420ページ、2万3000ウォン

日本の最高額券である1万円券に顔が載っている福沢諭吉(835~1901)は私たちにも見慣れた人
物だ。韓末の激動期、福沢は改革と開化を夢見たキム・オクキュン、パク・ヨンヒョ、ユ・キルジュン
などと関係を結びながら朝鮮の親日改革を支援した。また、高弟、井上角五郎を朝鮮に派遣して
韓国初の新聞といえる「漢城旬報」を主管し朝鮮の情勢変化に注目した。そして水面下で甲申政
変に深く関与し、政変が失敗すると「脱亜論」を発表して朝鮮侵略の先頭に立った人物だ。

日本内外で福沢に対する評価は「賛美」一辺倒だ。賢者、国民的英雄、哲人、思想家….しかし、も
う少し近くから観察すれば福沢は一方では啓蒙家、天賦人権論者、市民的自由主義の先駆者と
いう顔と異なり、一方では天皇論者、軍国主義者、アジア侵略の先駆者というヤヌス神のような二
つの顔を持っている。今まで福沢に対する評価の主流は前者に属する。

安川寿之輔の本は後者の福沢像を緻密に追跡している。著者安川は「底辺民衆」の見解で「民衆
思想史」の作業を深く掘り下げてきた学者だ。彼は1970年以後「頂点思想家」福沢の教育思想を
再点検することによって福沢評価のバランスを取るのに寄与した。アジアに対する福沢の言説を
緻密に分析しているこの本も同じ脈絡で福沢の神話と虚像をひきはがしている。

この本は序章と本論4部で構成されている。序章では「一身独立してこそ一国独立する」という福
沢の有名な命題に対する誤読を含んで福沢研究の不思議な7つの命題を提示している。1章で
は状況によって変わった福沢自身が文を通じて、丸山真男の盲信的福沢礼賛論を責める。この
本の中心とも言える2章と3章は福沢のアジア認識を批判的に分析している。特に壬午軍乱以後、
朝鮮の政治・社会変動のたびに発表した彼の立論に現れる朝鮮(中国、アジア)蔑視と侵略の福
沢像を見せる。4章で著者は明治時代に芽生え始めたアジア侵略思想は結局「暗い昭和」に続い
たし、福沢がその中心にいると告発する。そして付録に含まれた「福沢諭吉、アジア認識の軌跡」
は福沢だけでなく明治時代、日本のアジア政策を見ることができる貴重な資料として価値がある。

日本の近現代史で福沢が占める比重は非常に大きい。彼は明治日本の対外政策と文明開化に
多大な影響を及ぼした。「富強改明」という明治の国家目標を成就するために大きく寄与したこと
は否めない。しかし、彼の言説を総合分析してみれば、西洋帝国主義を模倣した日本のより醜悪
な帝国主義もまた福沢の姿だ。そういう意味でこの本は福沢の功罪を同一線上で評価できる研究
を用意したとことに意味があり、また、著者が期待している「アジアと日本の歴史認識の深刻な亀
裂と間隙」を埋めるのに重要な道案内だ。

ハン・サンイル・国民大名誉教授

[福沢諭吉侵略、朝鮮・清侮辱発言]
▲"朝鮮国(…)未開なのでこれを誘引して導くべきで、その人民は本当に頑迷固陋で…."(1882.3)
▲"朝鮮は本来論じる価値もない。私たちが目標にする当面の敵は支那(中国)であるため…."(1884.12)
▲"朝鮮国(…)国ながら国でもなくて、政府ながら政府でもない。"(1894.7)
▲"こういう乞食らを相手に戦って蚤を移す憂慮も"(1894.7)
▲"(朝鮮の)過ぎたる崇拝の迷夢を悟らせ粉砕するに弾丸火薬よりましなものはありえない。"(1894.7)

ソース:朝鮮日報(韓国語) 啓蒙街なのか、侵略者なのか…二つの顔を持った日本の賢者
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/04/08/2011040802342.html

 

日本、政府が災いだ~次世代の日本人を歴史の文盲、国際的のけ者にするつもりなのか[04/08]

2011-04-09 01:15:01 | 韓国のニュース記事
人に迷惑をかけるな。日本人が学校と家庭で集中的に受ける教育だ。日本東北地方の海岸地域の
住民は地震・津波で家族を失っても、他人に、特により大きな不幸にあった人に迷惑をかけないよう
涙をこらえ、断腸の悲しみを黙々と静めた。日本人の忍耐と自制と市民精神に世界が驚嘆した。

ところが日本政府はなぜこのありさまか。東京電力が放射能汚染水を海に放出することを容認し、独
島(ドクト、日本名・竹島)が日本の領土だと記述した歴史教科書の出版を主導することで、隣国の韓
国に深刻な迷惑をかけている。東京電力は高濃度放射能汚染水を原子炉内に保管する空間を確
保するために、低濃度放射能汚染水を海に流した。しかし日本政府はいつかは海洋汚染の被害を
受けることになる周辺国にこうした事実を事前に通報しなかった。

海洋汚染を心配して放射能汚染水放出に関する詳細情報を要求する周辺国に対し、日本政府は
厚かましくも「濃度が低いので人体に被害はない」「原子力廃棄物の海投機に関する国際法に違反
しない」などと空しい弁解を並べた。該当地域の漁民もこうした言葉を信じず、汚染水放出を即時中
断するよう求めた。放射能の脅威は、常に最悪のケースに対応しなければならないことは日本人が
最もよく知っている常識だ。にもかかわらず日本は事前に一言の説明もなく1万トン以上の‘死の水’
を海に放出した。それが、より大きな災難を防ぐために避けられない措置だったのなら、それを説明
して周辺国の理解を得なければならなかった。

放射能汚染水の放出が韓国人の肉体的な健康を脅かすものなら、独島問題に関する日本政府の
言行は韓国人の心に鋭い刃を向けるものだ。過去にも日本中学校の歴史・社会科教科書は独島を
日本の領土と記述したが、今回は過去のどの教科書よりも具体的かつ直接的に明記している。歴史
教科書は「韓国が独島を不法占拠している」「安重根(アン・ジュングン)義士が伊藤博文を暗殺した
ため日本が朝鮮を併合した」という勝手な解釈で歴史をねつ造している。日本政府は次世代の日本
人を歴史の文盲、国際的のけ者にするつもりなのか。

伊藤博文の玄孫である松本剛明外相は参院で、「韓国が不法占拠している独島が他国のミサイル
攻撃を受ければどう対応するのか」という質疑に対し、「竹島は私たち固有の領土であるため、私た
ち領土が攻撃されたものと見なして対応する」と答えた。竹島とは独島のことだ。韓日強制併合の元
凶であり初代朝鮮統監だった伊藤の子孫として遜色ない特級妄言だ。松本外相は南山(ナムサン)
に安重根義士の銅像が建てられたことに是非を論じた人だ。日本外相の‘国際感覚のなさ’は、コー
ランを燃やしてアフガニスタンに反米暴動を触発させた米国人牧師の水準だ。

菅直人民主党政権は地震・津波と福島原発爆発という未曽有の災難の前で慌てて事故を膨らませ
たという批判を受けている。日本政府は原発事故の初期、米国とフランスの支援を拒否し、事態収拾
の機会を逃した。日本政府のこうした無責任な態度は「福島原子炉に外国に知られては困る秘密が
隠れているのではないか」という疑惑を呼んだ。

日本政府は原発被害地域の住民をどの距離まで避難させるのか、農畜産物の放射能被害はどの程
度か、どの農産物を生産または出荷禁止させるのかなど、住民の死活がかかる情報を適時に提供し
なかった。

日本人も日本政府の発表に不信感を抱いている。災難の前で冷静な日本人に驚嘆した世界は、経
済大国の指導者のみずぼらしい危機管理能力にまた驚いている。地震・津波復旧と原発事態の収
拾に投じる時間と力も足りない時に、隣国を相手に歴史歪曲だけでなく領土権まで主張する日本政
府の無神経が恐ろしい。これはグローバル時代の先進国政府の姿ではない。日本政府が災いだ。

文部科学省は新しい歴史教科書で、外相は独島妄言で、韓国で熱くなった韓日友好ムードに冷や
水を浴びせた。韓国では冷静に対応しようという言葉が出ている。冷静とは何か明確でないままこう
話している。私たちが進むべき道ははっきりしている。逆境の中の日本住民に対する声援に拍車を
加えながら、独島実効支配を着実に進行することだ。妄動と妄言には反応する価値もない。

ソース:中央日報<【コラム】日本、政府が災いだ(1)(2)>
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138975&servcode=100§code=120
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138976&servcode=100


【世説】日本は永遠の小国になろうとするのか

2011-04-09 00:17:38 | 韓国のニュース記事

日本は中世以前まで生活の技術も粗末で、地方政府に対する統制もまともにされない国だったで。朝鮮時代にわれわれが
日本を倭と呼んで見下した理由は、朱子学を中心に高度な精神文化を成し遂げたわれわれの立場からは正しい衣服さえ着て
おらず、ふんどしひとつで略奪を日常的に行う対馬の海賊がそのまま日本のイメージだったためだった。

しかし近代に入ると状況が変わった。海上輸送が発達し、欧州の文物がインド洋と太平洋を越え直接日本に流入し、新文物に
渇望した日本は欧州の武器と制度を受け入れ急成長した。それまで文化は大陸から半島を経てわれわれが日本に伝授する立場
だったが、逆に海を通って新しい文物が流入するとは想像できなかったため、これらの変化を眺める衝撃は大きかった。

現代になり日本は新しいインテリに華麗に変貌した。アジアで無視されていたのをひっくり返そうとするような彼らの成長は
まぶしかった。しかし精神的基盤もなく刀と金を握ったインテリの力は言葉どおり災難だった。「大東亜戦争」という美名の
下で行われた惨憺たる戦争はアジアの多くの人々にぬぐうことのできない痛みを抱かせた。精神文化が土台となっていない物質
文明がどれだけ危険なことかをよく示している惨劇だった。

この結果に対して日本だけを恨むものではない。われわれは過去の一時期、遠慮なく日本を無視し蔑視した。その結果長い間の
劣等感が醸し出した日本の大国指向的帝国主義はわれわれにブーメランとなって返ってきたのだ。だが、今回の東日本大震災に
続くわれわれの態度は、長時間積み重ねられたわれわれの精神文化が光を放つ契機となった。隣国に広がった惨憺とした現実に
旧怨を越えてわれわれが見せた患難相恤の精神は自分たちが見ても満足だった。

しかしわれわれの心とは別に日本の態度は相変らず残念なものだ。代表的なものが領土問題だ。心が痛くて凄然とするほどだ。
この数世紀の間、東洋の精神文化に対する疎外が彼らにこんなにまで作用しているのかと思う。独島(トクト、日本名・竹島)が
いくらほしくても、隣人の心を得ることほどの価値があるとは考えられない。「領土を得るのはその土地分だけの利益だが、
隣人の心を得るのは無尽蔵な時間の利益」という点を忠告したい。


中央日報/中央日報日本語版: 2011.04.08 11:42:50
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138959&servcode=100§code=120