朝日新聞の11/23朝刊の「記者レビュー」欄にNHK朝の連続ドラマ「純と愛」が取りあげられていた。
記事を書いた男性記者は、このドラマは賛否両論が沸き立っていて、否定派は主人公純に腹が立つなどの積極的な嫌悪感を、肯定派はこの嫌悪感が面白いと書いてあった。
出典がどこかはわからないが(おそらくツイッター等ネット上)、どちらの派も「嫌悪感」と書かれているが、私にはこれが全く理解ができなかった。
「純と愛」については、少し前に私もここに記事を書いた。(「純と愛」)
その時に、主人公2人と私が似ていて、更に脚本家の遊川氏と境遇も性格も似ていると書いた。
そう言う私だから、主人公に対する「嫌悪感」と言う見方が全くなかった。
いやー、本音は「何で悪いんだよ」でしかない。
記者は、結びの方に、現代社会は円滑第一の人間関係が不可欠で、純粋で曲がったことが大嫌いな主人公の生き方はイラつかせるが、それは我々が普段本音を無理して隠しているからだ、と書いている。
たしかにそうだ。
以前私は、自分のことを「社会不適応者」と書いた。
だから、純や愛の性格や行動が今の世の中ではうまくいかないことはよく理解しているし、身を持っても知っている。
いや、損することや、生きづらいことしかない、と言ってもいいかも知れない。
他人様に干渉されたくない、自分を基準に生きたい。
今は、規律や煩わしさは極力避ける、のが当たり前なのだろう。
純の行動は、単純に「放っておけない」だけなのだと思う。
悪く言えば「お節介」。
このお節介が、今は忌み嫌われるのだろう。
職場では会話が減り、地域コミュニティは崩壊し、隣に誰が住んでいるのかわからないのが、気持ちがいい世の中なのだ。
震災後、この揺れ戻しがあったが、やはり一時的なのかも知れない。
「純と愛」は、純愛についてが主題にあると思う。
そんな当たり前のことを、と言うかも知れないが、ただこの純愛は、恋人同士ではなく、あらゆる人に対してではないかと思う。
私は「純愛」とは、スピードは体調で変わるが、それでもど真ん中への直球しか投げないことだと思う。
純は、そんな直球しか投げられない女。
愛は、世の中は変化球しか投げない人ばかりで、疲れ切ってしまった男。
「家政婦のミタ」を見ていた頃、私は周囲に、「父性のない父親と、母性を封印した女」が再生する話、と周囲に言っていたのだが、今度の話は、純愛は生き残れるのか、という趣もある。
私自身は、私のようなタイプが心穏やかにすごすには、むしろ外界(世の中)との関わりを1日も早く終わらせること、とここ1年くらいで考えてきた。
少しでも早くアーリーリタイヤし、1人静かに暮らすこと。
それは、誰にも気づかれない孤独死も受け入れることでもあるが。
そういう気持ちの中で、始まったこのドラマは、この先私に何かを投げかけてくれるだろうか。
愛が純に言った「あなたはあなたのままで変わらずにいてください。」という言葉は、そんな私にもう一度僅かな光を見せてくれるだろうか。
記事を書いた男性記者は、このドラマは賛否両論が沸き立っていて、否定派は主人公純に腹が立つなどの積極的な嫌悪感を、肯定派はこの嫌悪感が面白いと書いてあった。
出典がどこかはわからないが(おそらくツイッター等ネット上)、どちらの派も「嫌悪感」と書かれているが、私にはこれが全く理解ができなかった。
「純と愛」については、少し前に私もここに記事を書いた。(「純と愛」)
その時に、主人公2人と私が似ていて、更に脚本家の遊川氏と境遇も性格も似ていると書いた。
そう言う私だから、主人公に対する「嫌悪感」と言う見方が全くなかった。
いやー、本音は「何で悪いんだよ」でしかない。
記者は、結びの方に、現代社会は円滑第一の人間関係が不可欠で、純粋で曲がったことが大嫌いな主人公の生き方はイラつかせるが、それは我々が普段本音を無理して隠しているからだ、と書いている。
たしかにそうだ。
以前私は、自分のことを「社会不適応者」と書いた。
だから、純や愛の性格や行動が今の世の中ではうまくいかないことはよく理解しているし、身を持っても知っている。
いや、損することや、生きづらいことしかない、と言ってもいいかも知れない。
他人様に干渉されたくない、自分を基準に生きたい。
今は、規律や煩わしさは極力避ける、のが当たり前なのだろう。
純の行動は、単純に「放っておけない」だけなのだと思う。
悪く言えば「お節介」。
このお節介が、今は忌み嫌われるのだろう。
職場では会話が減り、地域コミュニティは崩壊し、隣に誰が住んでいるのかわからないのが、気持ちがいい世の中なのだ。
震災後、この揺れ戻しがあったが、やはり一時的なのかも知れない。
「純と愛」は、純愛についてが主題にあると思う。
そんな当たり前のことを、と言うかも知れないが、ただこの純愛は、恋人同士ではなく、あらゆる人に対してではないかと思う。
私は「純愛」とは、スピードは体調で変わるが、それでもど真ん中への直球しか投げないことだと思う。
純は、そんな直球しか投げられない女。
愛は、世の中は変化球しか投げない人ばかりで、疲れ切ってしまった男。
「家政婦のミタ」を見ていた頃、私は周囲に、「父性のない父親と、母性を封印した女」が再生する話、と周囲に言っていたのだが、今度の話は、純愛は生き残れるのか、という趣もある。
私自身は、私のようなタイプが心穏やかにすごすには、むしろ外界(世の中)との関わりを1日も早く終わらせること、とここ1年くらいで考えてきた。
少しでも早くアーリーリタイヤし、1人静かに暮らすこと。
それは、誰にも気づかれない孤独死も受け入れることでもあるが。
そういう気持ちの中で、始まったこのドラマは、この先私に何かを投げかけてくれるだろうか。
愛が純に言った「あなたはあなたのままで変わらずにいてください。」という言葉は、そんな私にもう一度僅かな光を見せてくれるだろうか。
うれしいです。
私も純がどうしてそんなに嫌われるのかまったく
分からない人間の一人です。
私とよく似ているからです。
だから孤独ですよ。
傷つくのが分かっているから純と愛の話は一切、他人にはしません。
最近では自分の意見は出来るだけ言わないようにしています。
でも子供には理解されますよ。
愛が言ったように自分は自分のままでいいのですよ。
ただ他人には理解されないから、理解してくれる人だけ出そうと思ってます。
頑張りましょう。あなたは一人じゃないです。
「あなたは1人じゃないです。」という言葉、ありがたいです。
先週から後半戦がスタートしましたが、純も愛がいるから生きていける、というシーンがたくさん出てきています。
たった1人でも、と言うか、(ある意味)1人のよき理解者がいれば、大丈夫でしょうね。
(remiさんにとっては、子供さんなんでしょうか。)
ホテル「里や」の住人は、皆壊れてしまった人達のようですが、彼らとは極北にいる純の存在が許せないのでしょう。
でも、口では純に色々言いながらも、彼らもあの位置に留まっているのがいいとは思っていないはず。
純と愛の壊れてしまった家族とともに、2人と関わることで彼らがどう変っていくのか、期待を込めて見守っていこうと思っています。
お節介と優しさで相手の心の中に踏み込んでいく境界線ってどうやって判断したらいいのでしょう?
私はいつも戸惑います。
ただ相手の心の闇が深すぎて自分がつぶれてしまって結局最後まで救えないくらいだったら、最初から立ち入らないか距離を置いたほうがいいこともあります。
もっとも残酷なことだからです。
これから純と愛が里やの住人たちとどうやって関わっていくのかとても楽しみですね。
それと私は愛が女神さまと言った里さんがどういう人物なのか?とても興味があります。
とにかく世間の悪評に負けないで純と愛を一緒に応援していきましょう!
でも、そこから先は、自分ではできない。
里さんもこの人達がこのままでいいとは思っていなかった。
そこに現れたのが、人とまっすぐ向き合える純で、彼女なら自分にはできない、彼らを少しでも前に進めること、ができるかも知れない。
と言う風に、私は思っています。
同じような(つらい)体験をした人の方が、確かに相手を救えるかも知れません。
でも、つらい思いをした人は、多分一歩間違えると、自分もまた引き込まれてしまう可能性もあるとも思います。
なので、純のように、純粋さを失わないで、(曇ることなく)相手に接することができる人の方が、もっと人を助けることができるのではないかと思います。
これは、愛が人の心を読めたとしても、里さんと同じように、それでは相手を救ってあげられない、だからこそ愛は純のことを心から愛し、支える、のだと思います。
現実には、純や愛のような人は、もはやなかなかいないかも知れませんが、あの3.11を経験した日本人なら、このドラマが、人の中のそう言う部分を、すこしでも思い出すようなきっかけになってくれればと思います。
長くなりましたが、remiさん同様、最期まで2人を見守っていこうと思います。
最期に、このようなブログに、再度コメントしていただき、ありがとうございました。