ヒデェVH NEWS

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2020年を振り返って

2021年01月01日 | Weblog
2020年が終わった。

本当にいろいろあった一年だった。

しばらくブログも書いてなかったのだけれど、やはりこの一年(2020年)のことは記録に残しておくべきだと考えて、忘れないように書いておくことにするのだ。

このブログを始めたのが2004年の4月頃だったので、もう15年以上たつのか、時間の経過は早いなぁとかしみじみ思うのですが、たまに読み返してみると、こっぱずかしいことも書いてる割には面白かったりなんかして、自分なりに続けてきて良かったなぁと思っているのだ。

さて、2020年を振り返って、やはり一番にあげるべきなのは
①「新型コロナウイルス」でしょう。
コロナによる影響はいろいろな方面に出ているので一言で「コロナウイルスの○○による△△」のようにはまとめにくい。
2020年の2月頃だったかなぁ、「中国の武漢で新型ウイルス大流行!」みたいなニュースが連日報道されるようになったのは。
最初の頃は「まぁ日本は大丈夫だろう」のような感じで、みんなどーんと構えておりましたな。ちょうどその頃道頓堀あたりをぶらぶらしていると「武漢頑張れ」のようなノボリが掲揚されていたのを昨日のことのように思い出します。写真を撮っておかなかったのが残念ですが、要するに日本は「新型ウイルスは他所の国のこと、俺たちは大丈夫、頑張ってね~」みたいなムードだったのだと思う。
その後、春を待たずしてコロナの話はよそ事ではなくなり、緊急事態宣言が出たり、学校が休校になったり、マスクが品切れになったり、訳の分からん(誰も使わない)布マスクが各家庭に2枚配布されたりした。
 通っていたジムが臨時休業になったり、仕事が在宅勤務になったり、全国民が無意識のうちに期待して頼りにしていたいわゆる「インバウンド」客が全く来なくなって、観光地では閑古鳥が鳴いたり、新世界のずぼら屋がつぶれたりした。

ワシも最初の頃は、京都に行って見ると全く訪日観光客がいなくて、「バスも座りやすいし、混雑してないから観光しやすいのだ」とかのんきなことを言っていたが、まさかそれが年末を過ぎて2021年まで持ち越しになろうとは思いもよらなかったのだ。

②ギタリスト エディヴァンヘイレンさんの死去

エディが癌と闘っているのはファンならば誰でも知っていることだったが、まさか本当に死んでしまうなんて、いつか亡くなるのは知っていたけど、まさか今年このタイミングで亡くなるとは、本当に残念だったのだ。
コロナさえなければ、5150JAPANのメンバー再結集して、追悼ライブを盛大にやりたいところだったのに、いつまでたってもコロナ収まらない。無念なのだ。

大学時代の恩師である山崎正和先生も2020年に亡くなった。
最後にお目にかかったのは2019年の6月に母校で行われた「山崎正和名誉教授文化勲章受章記念フォーラム」後の記念パーティーの時だった。
(この写真はフォーラム中にワシが撮影させていただいたものです)
フォーラムでは一番高齢にもかかわらず一番大きな声でしっかりとお話をされて、ワシも背筋がピンと伸びたものだ。
本当なら、大学葬なり、大々的にお別れの会があってしかるべきところだが、コロナの影響は大きい。

志村けんさんはコロナで亡くなったし、朝ドラの「エール」が面白かっただけに、残念でならない。
人が亡くなっても以前のように集まれない、追悼できない、というのは、本当に悲しいことなのだ。

③コペンのリアウインドウ襲撃される事件
4月のある日、ワシのコペンのリアウインドウが何者かに襲撃され、ぶっ壊された。

正直なところ、これもコロナの影響だと思うのだ。

コロナによる自粛ムード、閉塞感、経済的な沈滞ムード。

これらは人々の心を確実にむしばんでいると思わざるを得ない。

結局誰がコペンを襲撃したのか分からないが、100%コロナの影響だと思う。それぐらい人々の心が荒(すさ)んでいるのだ。

④いったい何だったのか?降ってわいた「9月入学」論
コロナの影響で全国の学校が臨時休業になった。それだけでも大変なことであるのに、降ってわいたように「入学時期を海外のように9月にすれば良い、グローバル化する良いチャンスだ!」のような論調の議論がなされるようになった。休校による勉強の遅れを取り戻すだとか、中止になった行事を実施できるだとか、9月入学はグローバルスタンダードだ、とか。まぁ、まことしやかなお話がマスコミを通じて連日報道されました。
 9月入学の是非についてワシは賛成も反対もしません、しかし、このコロナのごたごたに紛れてどさくさに実施することには大反対だった。その理由は、「それを考えるより先に、コロナの感染拡大を食い止め元の生活に戻すことが先、いやお願いだから、元の生活に戻れるように頑張ることに力を注いでほしい」と考えていたからである。
 後出しジャンケンといわれるかもしれないが、あの頃(4月~6月頃)「9月入学実施賛成、今やらないと二度とできない」などと煽りまくっていたヒトビトは今どのように考えているのだろうか、考えを聞いてみたい。今でも9月入学にするべきだったと考えているのであろうか?はなはだ疑問である。

⑤あいみょんの音楽に出会う。
2020年の大きなトピックはあいみょんの音楽に出会ったことだ、忘れられない。
マリーゴールドが大ヒットして2018年の紅白にも出場したらしいが、そしてその紅白も観たはずだが、トイレにでも行っていたのか、全く覚えていない。ワシは世の中の流行の音楽に疎いこともあり、2020年の夏まであいみょんの音楽には触れることがなかった。

自粛期間中に偶然聞いたあいみょんの音楽(どの曲だったか思い出せない)にハッとなって、心をえぐられるような感じになり、それ以来ハマってしまった。

マリーゴールドももちろん良いが、あいみょんが弾き語りで歌う歌が素晴らしい。
風のささやき、青春と青春と青春、サラバ等など、グサリと心に刺さる言葉がちりばめられた名曲が多い。

2020年に発売されたアルバム「おいしいパスタがあると聞いて」の初回限定版に付属する弾き語りCD「風とリボン」が素晴らしいのだ。

中学~高校時代に弾き語りをやっていたワシにとって、なんとも複雑な気分になる音源です。
ワシは高校卒業後、一年の浪人生活を経て、大学生になり大学ではバンドをやっていてオリジナル曲も数曲作っていた。しかし、思い返してみると、あいみょんが弾き語りで歌っているような曲をあの頃のワシも作りたかったんじゃないか、バンドブームに乗ってロックっぽいことをやってみたかっただけだったんじゃないか、そう感じるのだ。

あいみょんは父親の影響で浜田省吾の大ファンらしいが、実もワシも浜田省吾の大ファンだったので、よりいっそうあいみょんの音楽や言葉に共感するのかなと思うのだ。

あいみょんの言葉は鋭い、鋭すぎる、今のわしの心に刺さりすぎて、時に痛い、血が流れる、そんな感じなのだ。
それに比べるとワシが学生時代に書いていた言葉は薄っぺらで、嘘っぱちだったかな、そう思わずにはいられないのだ。

2020年については、今後思い出したときに加筆していくつもりなのだ。


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