若葉のころ🎵そして枯れ葉のころ😂

山登り、野菜作り、人生大相撲、ギター弾き等

人生大相撲 三日目 アポロ11号

2022-07-24 03:19:29 | 日記
 1969年(昭和44年)7月20日、アポロ11号が月面に着陸した。テレビはその映像を繰り返し流し私はそのたびに食い入るように見ていた。
これから40日間の長い夏休みが始まる。高校受験を控えていた。受験勉強をしなければならない。夏休みの勉強の仕方で合否が分かれると受験雑誌に書かれていたが私は合格の自信があった。各科目の成績を見れば余裕で合格する。それより天体望遠鏡が欲しかった。アポロ11号の月面着陸は刺激的であり美的であった。父にねだったか祖母にねだったか忘れたがすぐに望遠鏡は手に入った。家の裏に広がる田園風景に向けて望遠鏡をみる。焦点の当て方や微調整の仕方を練習した。近所の同級生のH君とI君はすぐ天体観測の遊びに加わった。真夜中まで3人で星空をながめ「あれが夏の大三角」「あれがアンドロメダ星雲」などとたわいない観測をしていた。
アポロ11号のテレビを見て感動したシーンがもうひとつあった。同時通訳である。西山千さんという50代くらいの男性が流暢な話し方でアームストロング船長とヒュウーストンの管制塔のやり取りを同時通訳していた。アポロ11号の月面着陸以上に西山さんの話し方は魅力的で私を刺激した。英語は嫌いではなかった。新しい単語を覚えるだけで興奮した。イギリスやアメリカではこの単語を使って日常会話をしている。想像しただけで胸がわくわくした。一学期の終わりに英語の先生から職員室に呼び出された。職員室に呼び出されるといえば普通の生徒は緊張する。また叱られるのかと思う。私はそうではなかった。生徒会長や学級委員長に選ばれているので週に何度も職員室に出入りしていた。今度はなんの話だろう。「秋の英語弁論大会に出てみないか」「県代表になれば全国大会にも行ける」英語の先生は赤ら顔で眉の太い男の先生である。私は瞬時にまっぴらごめんだと思った。これから長い楽しい夏休みが始まるのである。その夏休みの多くの時間を弁論大会の練習のため学校に行くことなどとても出来ないと思った。職員室に呼び出された翌日から私の英語の授業の接し方が変わった。生徒が順番に教科書を声を出して読む時、私は意識的に下手な読み方をするようになった。教室にはクスクス笑いが聞こえた。今までと全く違った読み方をする私にクラスのみんなが気づいたのである。先生は私のそんな態度をみても何も言わなかった。
天体観測と同時通訳、どちらも魅力的でありこんな職業に就けたらいいなとおぼろげながら将来のことを考えた。
11歳から15歳は思春期の入り口である。見るもの聞くものすべてが刺激的であり魅力的である。望遠鏡を通してみる土星の環、月のクレーター、それ以上に自分の将来が少しづつ焦点が合ってきたように思えた。軍配は「勝ち

人生大相撲 2日目 通信簿

2022-07-19 03:17:52 | 日記
 借家住まいである。
もと庄屋の家で3家族が住んでいた。
それぞれの住まいは板壁で仕切られていた。
当家は私とバツイチの父、それと祖母の3人。隣のMさんちは6人家族、60代の夫婦、長男夫婦、その長男と長女の6人。
 我が家と廊下をつないで離れがあった。そこには教師夫婦が住むことが多かった。当時アパートなどなく2、3年おきに高校教師夫婦、小学校教師夫婦が転勤のたびに入れ替わった。学校が休みの日、離れの高校教師の奥さん、といっても本人も音楽の教師で30歳前後の都会の顔と雰囲気を持つきれいな女性が私を離れに呼んだ。
「ちー坊、これ、お食べ」コーンフレークというもの初めて見てそして初めて食べた。
小学校3年のころ、高校生の女の子が入居してきた。遠方の田舎の子だった。N町の農業高校に入学し当時バス通学などなく下宿住まいになったのであろう。
食事は我が家でとり自転車で高校まで通った。一人っ子の私は突然年の離れた姉ができたようで嬉しかった。飛行機のプラモデルの作り方でよく喧嘩になった。取っ組み合いの喧嘩になり私が彼女に覆いかぶさって腕を鷲づかみにした。生まれて初めての甘美な経験であった。
 隣のMさんちのN子は私の一つ下、まだ小学校入学前、友達といえば彼女だけである。家の裏の土蔵の軒下でよくママゴト遊びをした。妹のようであるが彼女には4つ年上の兄がいるので私は微妙な距離感をもって遊んでいた。
 当時の通信簿は1,2年時は「よいこのあゆみ」3年生からは「のびゆくすがた」に代わった。
道路を隔てた大工さんのおかみさんが「うちのS男の通信簿は駆けっこだ、1,2,3,1,2、3。ちー坊は洗濯だね、5,4、5,4」
 6歳から10歳、小さな家、小さな家族、小さな世界にすんでいたが学校も遊びもすべて楽しかったので「」」


人生大相撲 その1 初日

2022-07-17 11:01:06 | 日記

15戦で勝ち越せるのか、それとも負け越しか?
一区切り5年、75年の生涯で15戦、長い長い大相撲である。

裕福な家庭に生まれる、一流大学に入学する、大企業に就職する、素敵な女性と結婚する、一男一女に恵まれる、大きな家を建てる、課長・部長とトントン出世、可愛い孫ができる、年金と蓄えで悠々自適。15戦、さて千秋楽は?

母子家庭で育つ、中卒で町工場に就職、職を転々とする、パチンコにのめり込みサラ金から数百万の借金、自己破産し母とアパート暮らし、ゲーム三昧・引きこもり、母の介護、生活保護、脳梗塞、介護施設入所。15戦、さて千秋楽は?

私は14戦目の土俵に立っている。
勝ち越したのか、それとも負け越したのか!

これから1戦1戦、振り返ってみることにする。

初日:生まれてから5歳まで

昭和30年ごろ、祖父が当時珍しい転勤族で東海地方勤務が長く三重県で定年を迎え祖母の生まれ故郷北関東のN町へ戻り父は母と見合い結婚。1年後、私が生まれる。祖父は私が3歳の時、胃がんで亡くなる。母と祖母との折り合いが悪く両親は協議離婚、父が親権を取り祖母と父と私の3人暮らしが始まる。父は地元の会社に勤務し家事はすべて祖母。当然だが幼児に判断能力などなく周りの家庭と自分の家を比べようもない。
勝ち負けの判定をするなら祖母に甘やかされ、しつけには何一つ口を出さない父に育てられ、母の乳の味を知らずに育った5年間、軍配は「負け
                続く