若葉のころ🎵そして枯れ葉のころ😂

山登り、野菜作り、人生大相撲、ギター弾き等

恋する那須の日 2

2022-07-31 15:06:05 | 山登り

1984年10月20~22日 谷川岳

20日 上野駅  :22:00 (オールナイト映画館)

21日 土合口  :9:20

   白毛門山頂:12:40

   笠ヶ岳山頂:15:00

   朝日岳山頂:16:40

           幕営

22日 ジャンクションピーク:9:00

   清水峠       :10:45

   謙信尾根取り付き点 :13:30

   清水バス停     :15:00  

 

         

        

    会社の後輩と「食料品は現地で調達しよう」と前日夜、上野駅で待ち合わせ。

    ポルノ映画をみて朝まで時間つぶし。

    上越線水上駅で食料品店を探す。当時コンビニなどなく小さな食料品店に入り缶詰と白米を調達、レトルトのカレーなど    もまだ市販されてなかったようだ。

    再び上越線に乗り土合。

    相方は大学時代はヨット部、テント泊の登山は初めて。

    ただし料理はお見事!

    あれから40年、那須、日光、尾瀬、会津、そして裏銀座とパーティーを組んだが彼の料理は逸品。

    尾瀬沼での流しそうめん、会津駒でのチャーハン、双六岳の麻婆豆腐。

    2年前は横須賀の路地裏のイタリアン料理店でのランチ。友人とは長く付き合うものである。

  1985年5月 八ヶ岳

     3日 15:10 観音平

        17:00 編笠山・青年小屋分岐

     4日  8:30 権現小屋

         8:45 権現岳山頂

        10:30 キレット小屋

        14:00 赤岳山頂

        15:00 赤岳頂上小屋

     5日  7:10 赤岳石室

         8:30 赤岳山頂

         9:20 硫黄岳石室

        10:50 夏沢峠

        12:40 本沢温泉

      6日 8:00 稲子小屋

         8:45 稲子

  6日 小海線野辺山駅乗車、次の清里駅ではGWということもあり若い女の子がドヤドヤ乗り込んできた。

それまでほとんど空席だったが、ほぼ満員状態になった。しかし私の座るボックス席には誰も座ろうとしない。

ヒゲズラの汗臭い登山者はどこに行っても嫌われる。

            

  さて、剣岳である。

  1985年8月12日 忘れもしない「日航ジャンボ機墜落」の日である。

明日から6連休の盆休み、12日仕事を終えた私は明日からしばらく缶詰とラーメン・カレー暮らし。今晩は少し贅沢にとなじみの中華屋に入った。たぶん午後7時過ぎくらいだろう。テレビから「ジャンボ機が落ちたようです」の臨時ニュース。

翌日、信州飯田の実家に帰る上司夫婦の車に乗せてもらい国道50号を高崎方面に走る。上空はヘリが飛び交っていた。

       

14日 信濃大町駅ベンチで仮眠

15日 扇沢⇒室堂⇒剣沢小屋

16日 剣山荘⇒前剣⇒剣岳山頂⇒剣沢

17日 雷鳥沢出合⇒室堂⇒一の越⇒獅子岳⇒ザラ峠⇒五色ヒュッテ

18日 苅安峠⇒平の船場⇒くろよん山荘⇒黒部ダムサイト

        すべてテント泊り まだ20代半ば 体力気力充分のころだな。

 

                続く

   *「恋する那須の日」はタイトルだけではない。もちろん天地真理の「恋する夏の日」のパクリでもない。主人公が30代半ばに差し掛かるころ、那須朝日岳で帽子を目深にかぶり肩まで伸びた長い髪の単独行女性と出会う恋愛殺人ミステリーである。

しかし彼女との出会いにはあと10年待たなければならない。

  

 

    

 

   


恋する那須の日 1

2022-07-31 10:59:10 | 山登り

        

1979年10月 岳沢からとりつき前穂、奥穂、北穂へ。

         

地方紙の編集局に配属、2年目の秋、整理部の先輩と登る。           

1980年8月 宝剣岳、木曽駒ケ岳、空木岳

        

              

 木曽駒では幕営予定だったが、夕方からどしゃ降りになり小屋に駆け込む。

たちまち小屋は満杯になり、廊下にまで登山客であふれ出した。

        

1981年10月 那須朝日岳、雨の山はいい、静かで。

1982年6月  尾瀬 沼山口から尾瀬沼、燧ケ岳から御池へ

         

1982年10月 日光、志津小屋に泊まり翌日、大真名子山、鷹ノ巣から小真名子山、富士見峠、馬立そして湯殿橋。

               

     

         おんばさまと二人だけで飲む酒はうまい。

                    続く

 

        

 

  

 

 

 

 

 

 


人生大相撲 四日目 バタ足浮足

2022-07-28 10:46:28 | 日記

高校入学式 第一志望 東北大学、京都大学、北海道大学、滑り止めに早稲田と慶応。

素朴な牧童たちである。

入学して一ヶ月、映画の入場券が配布され高校から自転車で20分ほど離れた商店街の中心にある洋画専門の映画館に友人3人と行った。

「ベンハー」を見た。筋肉隆々のチャールトン・ヘストンに見ほれた。学校からの無料入場券の配布は1回きりだったが翌週から映画館通いが始まった。土曜日の昼、学校の近くのうどん屋で掛け蕎麦を食べ映画館に直行。洋画2本立てかそれとも1本立てだったかは忘れたが毎週通った。「愛の嵐」(イタリア映画)倒錯した愛とエロスがテーマ。監督はリリアーナ・カヴァーニ、主演はシャーロット・ランプリング。決して美人ではない細身の彼女のファンになった。あれから50年、2021年公開「DUNE 砂の惑星」に出演の記事をネットでみた。シルビー・ヴァルタンも元気らしい。うれしくなる。

そして卒業式 丸坊主の頭は長髪になり志望大学は大きく下降する。

浪人生活の始まりである。

東京での一人暮らし、夢のような生活である。三畳一間の小さな下宿、「神田川」はフォークソングの世界ではなく私の実生活そのものであった。ただし彼女などもちろんいない。

旭川、一ノ関、長野、千葉、浜松、兵庫、そして熊本。下宿の食堂ではさまざまな方言が飛び交った。予備校に通ったのは最初の一ヶ月のみ、開校初日は立ち席の盛況、徐々に受講生は減りGW過ぎは3割ほどの出席者だった。

浪人生だけの下宿は夜中まで盛り上がった。ピンクレディー、キャンディーズ、木之内みどり、大鍋でインスタントラーメンを作り食べた。酒を飲む習慣など当然なく金もない。早稲田に合格する可能性は万にひとつもなかった。

上の写真についてはコメントを控えたい!

卒業後は東京に暮らすのではなく地元の企業に就職を望んでいたので学生時代に東京のいくつかの街に住もうと思っていた。

早稲田喜久井町(浪人時代)高井戸(大学1~2年)大岡山(大学3~4年)と移った。

長い夏休みは田舎に帰りトマト工場のバイトを4年間続けた。1年目は日勤、2年生からは夜勤を希望した。午後6時から翌朝6時までの勤務。7月半ばから9月半ばまで2か月、給料で後期授業料を払い残りで沖縄に行った。いまの単価に直すとかなり高い時給だった。夜勤割り増し手当、休日出勤手当、名古屋に本社がある「K」社は当時からコンプライアンスは素晴らしいものであった。詳細を書きたいがデータ不足。

1年時は飛行機、生まれて初めての空の旅である。まだ沖縄は車が右側通行、石垣島では朝ドラは1週間遅れで放映されていた。

2年生の夏 石垣島の民宿でY美と出会い、サンゴで足を切りながら二人で泳いだ。

人生大相撲四日目、高校・浪人・大学すべて足が地につかずバタ足歩行。

見ている観客を喜ばせたが「完敗」

追伸 高校、大学、予備校も含め、恩師の存在がある。尊敬できる恩師に巡り合うことは一生の財産であろう。

   私はそのような恩師に巡り会わなかった。それは尊敬できる恩師がいなかったということではなく、私自身が恩師に対す   

   る真摯な姿勢がなかったことに起因する。学ぶことの大切さをこの歳になって、痛感している。

 

 

 

 


小指の欠けた女

2022-07-27 12:03:07 | 日記

大通りの交差点を左に折れデパートに向かい50メートルほど歩くと細い路地がある。緩い坂道を下り始めると街の様相は一変する。ソープ街である。M子はこの街にきて3年になる。大衆ソープ「S」に2年ほどいたが、居酒屋でスカウトされ高級ソープ「J」に移った。長身で細身のM子はたちまち指名客がついた。彼女の左手の小指は第一関節から先がない。

小学校5年の秋、工作の授業があった。彫刻刀を使い板に自分の顔を彫っていく作業である。隣の席の男子は明るい性格で頭もよかった。「M子、おもしろい遊びがある。左手を出して」M子はためらうこともなく彫り進めた板の上に左手をのせた。「大きく指を開いて」。K男は立ち上がりM子の前にきて彼女の手首をつかみ「指と指の間に彫刻刀を刺していくんだ。おれすごく速いスピードでできるんだ」K男は強くM子の左腕をつかみ親指と人差し指、次は人差し指と中指、そして中指と薬指の間にグサッ、グサッ、グサッ、と刺していった。薬指と小指の間にK男の彫刻刀が向かうその瞬間「やめて!」M子が叫んだ。避けようとした左腕が少しずれ彼女の小指から血が噴き出した。先生がM子の悲鳴を聞き教壇から飛び出してきた。保健室のレベルではないと判断しすぐさま救急車を呼んだ。M子の左手の小指は第一関節から先がなくなった。

中学、高校、そして隣の県の短大に進学した。そこでM子はいままでに経験したことのない視線を感じた。学食でも喫茶店でも友人たちの視線は必ずM子の左手に注がれた。

短大を卒業しM子は地元の銀行に就職した。成績も良く笑顔がさわやかな彼女は金融機関3社を受けすべて採用の返事がきた。銀行ではカウンター業務を想像していたがいつになっても彼女はカウンターでなく客に背を向けたデスクでのパソコン操作だった。入社半年後、M子はいつもより早く出社し課長に問いただした。「カウンターに座れないのはこの小指のせいでしょうか?」課長は黙って下を向いたまま席を立っていった。翌日M子は「退職願」を出した。

翌月からM子は父のつてで税理士事務所に勤務が決まった。税理士の所長は初老のおだやかな男性だった。「君の小指のことはお父さんから聞いている。所員にも君の事情を話しているからなにも気にすることなどない」M子は深々と頭を下げた。

女子トイレで先輩たちの話が聞こえてきた。「M子さん、ほんとに小学校のとき彫刻刀で指を無くしたのかしら」「それも左手の小指よ」

M子は一ヶ月で税理士事務所を辞めた。

両親には夜勤の仕事をすると偽りM子はスナックで働きだした。人当たりも良く爽やかな笑顔のM子はたちまち店の人気者になった。酔客たちは彼女の小指を見ても話題にすることはなかった。小雨がふる夜、店がひけたあと常連客から「M子ちゃん、お寿司でも食べにいこう」と誘われた。寿司屋のカウンターに座ったM子の左隣に中年の泥酔した客が入ってきた。出されたビールグラスに手を伸ばした男の視線がM子の左手小指に注がれた。「マスター、おれ帰る。恐い女の人苦手なんだ」M子の頭の中が真っ白になった。

ソープ「J」は早番勤務にした。遅番ではどうしても酔っ払いの客が入る。指を使う仕事である。嘘もつきたくなかった。「J」はハイクラス客がメインだ。料金も2時間で10万相場。今日3人目の客である。風呂で客の背中を流しマットを使う。ベッドでのM子は長い髪を振り乱し客の背中に爪を立てる。

たった2センチ短い左手の小指、普通の女の子よりたった2センチ短い小指。