さつまいものルーツは稲荷神社の狐だった。禁断の食料として1200年も前にもあった中国の唐芋が薩摩に渡り薩摩芋 69話
遣唐使の船は大阪の住吉神社の近くの住吉港から出発していた。船は4隻の船団でその一隻の荷物の間に紛れ込んだ一匹の狐がいた。そして無事蘇州港に着いた狐も首都の長安の町の調査をしていた。そしてその船団が帰国するというので狐は食料として畑に生えていた芋を蔓ごと船に持ち込んでいた。
その帰りの船団のうち一隻が嵐で転覆していた。三隻の船は海に投げ出された乗組員や役人を必死に助けようとするがなにせ真っ暗闇で見当もつかない、そこで夜でも目が見える狐が人間の乗組員に化けて探して当てて一人の犠牲者もでなかった。助かったこの船の最高責任者の菅原道常(菅原道真の祖父)は、水を飲みつかまる板切れもなくもうだめだと思った時に真っ暗な海に吉祥天女が現れて浮遊物の方に誘導してくれたおかげて助かった。また他の乗組員も同じことをいっていた。
そして夜目がきく乗組員に礼を言おうと探したが、これに該当する乗組員はいなかったのは当然になる。住吉港に帰って来た遣唐使の船から狐は降りて稲荷神社に帰ってきた。そして稲荷神社三代目の宮司の伊蔵に唐の旅の報告をしていた。この狐はフォックス警備保障の隊員で嵯峨天皇直属の諜報部員だった。狐は、
「いや~一隻が転覆しまして大変な目に遭いました」
「そうか~聞けば犠牲者が一人もでなかったのは吉祥天女のおかげだといっていたが、それはお主の仕業か?」
「はい、たまたま長安の寺で船の安全を守る「吉祥天女」の絵を見つけていたので、それに化けました」
「それはいいことをした。で、唐と宋の戦争の気配は?」
「はい、どうやら戦争は避けられそうもありません。それに唐の政治は民衆に嫌われて宋の国が政権を取ると私はみました」
「そうか~それなら唐の国への遣唐使はもう中止にして遣宋使の準備をしなけれは…」
それから半年後の821年の秋になにやら狐が人間に化けて稲荷神社の多目的広場で落ち葉を集めて何かを焼いていた。そこを通りかかった伊蔵に狐が、
「宮司さん、もうすぐ唐芋が焼けるから食べていってください」
「うん…唐芋?初めて聞く芋だなあ~」
「はい、あの遣唐使の狐が体に巻き付けて持って帰って来た芋の蔓を植えたところ見事な芋ができました」
「ほう、これはいい匂いだ…」
早速、伊蔵はこの焼いた唐芋を持って六条河原離宮の嵯峨天皇に献上していた。天皇は、
「ほう、これはほくほくして旨い、それに砂糖のように甘い…」
「はい、それにビタミンC、でんぷんも豊富で栄養価の高いものです」
「そか、しかし、この唐芋の栽培は難しいのか?」
「いえ、それが蔓から次々芋ができます。それにかなりの荒れ地でも栽培できます」
「ほう、それなら飢饉の時にはこれを主食にしたらいい」
「天皇、それがそうはいきません。実はこの芋が市中に出回りますと米の価格が一気に暴落します。そうなれば日本の経済が立ち行かなくなります」
「ほう、農民思いの伊蔵とは思えない考えだ…」
「米は日本の主食は元より、米と金銀、それに物々交換の交換レートの基軸になります。米は長く保存できるが唐芋は腐ります。それにもしこの唐芋が何かのウイルス性の病気で全滅してから再び米の生産をしても間に合いません」
「そか、稲作が日本に根付いたのが1000年前の縄文時代だとすればこの稲作のさらなる発展のためにはこの唐芋は邪魔になるのか…伊蔵」
「はい、その通りです」
こうしてこの唐芋は根こそぎ焼かれて消滅したが、そこはそこで稲荷山の一角にある「禁裏畑」では天皇家のためだけに秘密に栽培されていた。そしてこの唐芋が日本の国に再び現れるのがこれから600年後の1400年~1500年ごろになる。そして唐芋は薩摩芋として薩摩藩の門外不出の芋となりこれも約200年間も秘密裏に栽培されていた。
もしこのとき嵯峨天皇がこの唐芋を認めていたなら日本の主食は「唐芋」になっていたかもわからい。実際にはこの芋などを主食にしている国は20か国にもなるがこれは全て発展途上国になっている。TPPで安い食料が日本に入ってきて国民は喜ぶというが、この唐芋を安くて栄養があって栽培は簡単と手放しで喜ばなかった伊蔵の考えを日本の政治家も少しは見習ってほしい。
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