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へっぽこ占い師雑記帳

礼宮文仁親王と川嶋紀子さんの婚約会見が喪の期間かを検証

文仁皇嗣殿下がまだ昭仁皇太子殿下の第二子で、礼宮文仁親殿下でおわせられた時で、紀子皇嗣妃殿下がまだ川嶋紀子さんだった頃のお話です。

良く喪の期間中に結婚されたとあります。本当でしょうか?私はその頃は皇室に興味がなく、昭和天皇陛下の崩御の際テレビが雨の中、黒い車がゆっくり走る映像しかやってなくて、つまんないこんなことなら、前もってビデオ借りとけば良かったと思った不敬の塊。

皇室に興味がなくともそこはテレビっ子、流石に、3LDKのプリンセスとかの話は知っていましたが、これが喪の期間なのかは知らずにいました。
紀子皇嗣妃殿下の父君が亡くなられ皇族の喪の期間が発表されました。

文仁皇嗣殿下は7日間
紀子皇嗣妃殿下におかれましては90日間

佳子内親王殿下は30日間
悠仁親王殿下も30日間

降嫁された眞子内親王殿下は不明。

そこで改めて昭和天皇陛下の崩御の際の喪の期間なるものを見直して見ようと思います。



昭和天皇陛下のご崩御されたのが
1989年1月7日

1989年9月に婚約会見でした。

崩御から8ヶ月後です。

これを礼宮文仁親王殿下だった頃の喪の期間を見ると、昭和天皇陛下との間柄は祖父と孫ですから、150日間。

これだと礼宮文仁親王殿下はセーフ

然し、現上皇陛下は父親に当たる為に、
喪の期間は1年間。

1990年1月7日迄は喪の期間中

やはり厳しい見方をすればダメかも。

だからなのかこの婚約会見は紺色のシックなワンピースでした。

然し、眞子内親王殿下の結婚問題で、文仁皇嗣殿下は、納采の儀が一般の婚約に当たると仰いました。

婚約会見はこの方と結婚しようと思います報告でしかない。

実際、おふたりが納采の儀を行ったのは
喪が明けた1990年1月12日でした。

たかが発表されど発表。しきたり重視の方から見たらけしからん( º言º)と仰っるだろう。

私もある程度年老いて、母方の祖父が緊急入院されても延期せず、結婚強行された眞子内親王殿下を浅はかだと思うので、当時も意見の分れる所だったのかもしれませんね。

結婚します宣言なら喪が明けてからでもよかろうと思う方が多かっただろうと推測します。

こんなに根強い噂として蔓延るなんて誰も思わなかっただろうなぁ(๑•́ω•̀๑)

当時、Twitterがあれば発信していたのに
残念(´;ω;`)です。

以上
最後迄読んで頂きありがとうございます








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