1915年12月2日
甲寅 甲
丁丑 己
甲子 癸
甲子...不族の業 何代も続いた家系の最後の人となる。
家系の中での力関係は旺相休囚死 で一番弱い。
2️⃣崇仁親王妃百合子さま
癸亥 壬
丁巳 丙
戊申 庚
癸亥は(倒異の業)があるが、娘の夫さまに対する業なので、息子の嫁の信子親王妃には影響はないように思います。
3️⃣寛仁親王殿下(お髭の殿下)
乙酉 辛
戊子 癸
己卯 乙
己は頑固な人。
乙酉は祇王の業と言って結婚に問題が出る。これは信子親王妃だからではなく他の方でも問題は起こる。
子と卯で旺気刑が成立、おモテになられたと思います。
申酉 車騎 天貴
車騎 禄存 鳳閣
天胡 石門 天馳
車騎があるため怒りぽく短気なお方さま
旺気刑は他人様との争いが起こりやすい
家系の力関係を見ると
旺相休囚死で矢張り父君と同じで一番弱い方です。
4️⃣寛仁親王妃信子さま
1955年4月9日
乙未 丁
庚辰 乙
庚子 癸
庚辰は傷体の業といい怪我をする度運気が上がり業を消化していく。
庚は頑固です。それが2つおありになられるので大変な頑固さまです。
夫君の寛仁親王殿下も頑固です。
頑固者同士似たもの夫婦。
陽占図は省略しましたが【調舒】があるため愚痴や嫌味は言う方でしょう。
あと生月天中殺を持っておられるので
ご実家の麻生家は頼れません。
あと初旬天中殺の方なので、親と子で【親剋型】が成立。
子の運が上がれば親の運は下がる。
これは彬子女王にも言える。
瑶子女王は【殺印相生格】でした。
信子さまも【殺印相生格一点破格】と共通点はあるものの同居するほど仲は良くないのでしょうね。
🤔まとめ
崇仁親王殿下は三笠宮の家系を終わらせる人でした。
寛仁親王殿下は申酉天中殺で2代目運
頑固で短気な所と結婚生活は上手く行かない人と頑固で嫌味と愚痴の信子さま。当然夫婦円満とはいかないでしょう。
嫁姑問題は命式の中にはないが、矢張り難しいのかも。
彬子女王と寛仁親王妃信子さまとの間に
【親剋型】もある。
経費削減で母娘仲良く同居も、嫁姑で仲良く同居もないとなれば、改修工事もやむなしか。
以上
最後まで読んで頂き有難うございます!
(*・ω・)*_ _)ペコリ