いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

褒めること、叱ること、の結果?

2022年06月15日 | 日記



褒めるべきか、叱るべきか、



ふとあることに気が付きました。

前置きから、まず書いておくのですが、

以下、すこしお付き合いのほどヨロシク。



私たちの身の回りには、

実に、いろいろな物事があります。

たとえ、それがどんな何であろうと、

「ひと」というものが生きていくのなら、

自分が遭遇をしたところの、相手であっても、

また出来事にしても同様ですが。

それらにつきまして、その人というのは、

自分の選びによって試行錯誤をするであろうし、

考えてみたり、決めたりをしていくことですが。

すなわち、そこでの選択の仕方というものが、

その人らしさの独自性も醸し出しきますし、

それらが、生き方として現れてくる訳ですね。

当然、そこで用いる自分なりの価値観だとか、

判断力などが、そのなかへ実を結ぶかっこうで、

その人をして、その人らしい人生を、

歩ませていくし、活きさせているという話です。

さて、前置きは、そういうことなのですが。



私が、ふと気付いたのは、次のようなことです。



あるひとが、物事を選ばなきゃいけない、

そういう分岐点に立っていると、

そう思ってみてください。



そのひとが、そこで何かを選ぶときにですが。

もし、このひとが、なにが駄目で良くないか、

それを知っている人という場合と。

何が大事で、どこを大切にすべきか、

そっちを心得ている人だというケースと。

この二つに分けてみたとしたら、

それらの違いがどうなってくるでしょうか。

そういう想定にして考えてみることにしますが。



まず、どれじゃ駄目で良くないのか。

これが飲み込めている人というのは、

ダメなものは除けるし、

不味いことを避けるだろうというのは、

まあ、それなりに行うにしても、

本当に自分にプラスになるような。

そういう選び方で、何かを手にするのでしょうか。

確かに避け上手、逃げ上手な、そこの点は認めます。

でも、もしかして困難の向こうに目的地があって、

その目的地を、果たして目指したりはするのでしょうか。



はい。もう、お気づきかもしれません。

そうなんです。何が大事で、

どういうものを大切にすべきかを、

そこを知っている人というのはですよ。

目の前にある自分が出くわすであろう、

そうした困難さについて、いち早く気が付き、

これを回避する器用さで敏捷でもないし、

ある範囲、疎い行動にもならざるを得ない。

でも何を目指せばいいのか知っていますから、

多少の困難が仮に伴う話であったにしても、

まあ、そこは愚直にとでも申しましょうか。

自身の目前の難敵を避けることよりは、

もっと先にある目指すべきものを指向します。

まだ求めるものは、手中にはしていないけど、

すでに狙いをつけて、もう見定めているのです。

このひとは、自分の求めるところへ、

すこしでも近付こうと、迫ろうとしており、

まだまだ先に進もうとするはずですよね。



その結果、この両者がどうなるのかといえば。

ダメなもの、良くないものが嗅ぎ分けられるより、

本来的に大事にすべきものを知っていたほうが、

何かを手に入れるには、賢い行動をするのです。



何を求めるべきかを正しくマッピングしていけば、

何をしたら、うまく行かなかったかというのも、

自動的に学ぶであろうプロセスとして含みます。

でも、どれが不味い、何がダメか、それだけでは、

目前の困難イコール避けるべき課題にしか映らない。



どういうのがダメだよと詳しく説いてあげても、

もし、それだけしか身につけていかなければ、

最終的に狙うべきものを見定めて掴み取るまでは、

到達などできないし、届く日が来ることもない。



目の前の人間に対して、ただただ詰まらなく、

それでは、駄目だと指摘しているだけなら、

不味いこと上手くないことを避けたり除けたりは、

身に着けられて、避け方の上手さは学べるかも。

でも、人生が何を築けるか、そっちが肝とすれば、

その人でも、消去法で残ったものを手にするとして。

目指すところまで、いつか辿り着くというのは、

かなり偶然な行き当りばったりに低い確率だろうし。

手にしたものの価値を推し量ることもできない。



目指すべきものを求めようとする感覚を、

もし少しでも強化させてやろうと思ったら、

それは良いことや、いま出来ている大事なことを、

それが尊いものだと気が付かせてあげるべきです。

その人が大事なものを知るということは、

良きことを褒められた体験ができた部分と、

きっと実に密接にリンクするはずです。



人というのが、何を入力されたら、

どういう生き方を選ぶようになるかが、

ここにあるんだなあと、そう思ったのです。

ひとは、きっと、そのようにして、

自分の人生を処していくことになるのです。

相手に対して、どう関わるかというのは、

結果そういう人生上の選び方をすることに繋がる。



そこが実際の人生なんだろうなと思う。

答案用紙の三択問題だったら、

消去法で解答を正解にすることが可能でも、

人生なんて

「人間の数」×「選択の可能性」=「ほぼ無限大」

これではダメ潰しから正解に辿り着くというのも、

限りなく小さな確率になることでしょう。



つまり、これがダメなことを叱る方法や、

学校で身につけさせる教え方だけでは、

一番に、欠けてしまうところになるんでしょうね。



要はダメダメ情報の列挙もこれなんですよ、きっとね。







コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。