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2018-06-27 12:38:40 愛知製鋼で思いだした。きしめんダラー!!

 

2018-06-27 12:38:40 愛知製鋼で思いだした。きしめんダラー!!

http://www7b.biglobe.ne.jp/~chibita-ponta/personal/reference/heroes.html

「きしめんダラー」と呼ばれた仕手、竹内富一氏(10/1/31)
定款変更、株式売買を事業目的に加えた企業のはしり

 狂乱物価の昭和48年当時、名古屋の株式街、伊勢町で暴れ回った男が丸茂工業の竹内富一である。マスコミは「中京のM工業」とか「きしめんダラー」などと呼んだ。当時のカネで200億円の大金を動かして買い占め、高値肩代わりを狙った。竹内の相場観を信奉する中小企業のオーナー経営者たちは竹内家の茶の間に集まり、作戦を練り、集中投資で成果を分かち合った。当時の名古屋市場では三愛経済研究所を根城とする三愛グループ、桑名に本拠を構える板崎喜内人、そして丸茂グループが動かないと火が消えたようだった。全盛期の竹内を取材した証券ジャーナリストの水野清文は書いている。
  「彼の性格はからっとして、気風はよく、土性骨(どしょうぼね)は座っている。今は何を仕込んでいますかとの問いに、明快に『酒伊繊維だけ』とか『大同毛織と日本毛織』などと答えが返ってくる。大体、相場師と名のつく人たちは現在、何を手掛けているか、なかなか言わないものである。しかし、彼の場合は、自分のやることに自信を持っている。資金量も大きく、豪快な株集めをやるだけに、彼の動きは看過できない」
  名古屋を代表する相場師としては近藤紡績所の近藤信男がつとに有名だが、昭和48年に近藤が他界したあとは、横井英樹、鈴木一弘、林紡の林茂などが派手に動いていた。そこに割って入っていったのが竹内富一。株好きな自動車鍛工(たんこう)部品メーカー、丸茂工業のオーナー社長が会社の定款を改定して、事業目的に株式売買を加え、本格的に株式投資に乗り出した。昭和46年のことだ。三光汽船の岡庭博が同じように事業目的に株式売買を加える1年前のことだ。
  同47年、竹内は狙う銘柄がことごとく的中し、「株ってこんなにもうかるものか」と、我が目を疑い、本業を忘れかかったほどである。竹内の名を広めたのは、トヨタ系の愛知製鋼株の買い占めで大成功を収めた時だ。自社と目と鼻の先にある愛知製鋼株が低迷しているのに目を付け、買い始める。同47年7月に70円前後だったのが、同年10月には240円に暴騰する。筆頭株主のトヨタ自工、2位の新日鉄もあわてて、買い本尊を調べると、丸茂工業の仕業と判明、竹内の集めた株数は1550万株にも達した。当時の経済誌は竹内の手口についてこう記している。
  「いかにも背後にライバルの日産自が控えているかのように見せ、トヨタ系をあわてさせた。そういったうわさにかき回された投機筋の追随買いに株価の上昇スピードがいやがうえにも上がり、当の愛知鋼を慌てさせたが、裏面では竹内の持ち株の高値買い取り交渉が進められ、竹内ペースで、丸茂の持ち株がトヨタに買い取られた」
  トヨタは220円で肩代わりし、傘下の企業にはめ込んだ。竹内がトヨタに挑戦したのは、以前トヨタ紡織の前身、岐阜紡績の買い占めを巡って一敗地にまみれたことの意趣返しを狙ったもの、という説もある。竹内の利益は8億円にのぼり、以来、竹内の一挙一動に視線が集まるようになる。
  愛知製鋼に続いては、新日鉄系のトピー工業や三協アルミ、日本金属工業、富士紡績、グンゼ、丸全昭和運輸などに手を出し、もくろみ通り、肩代わりさせるのに成功したものもあるが、不調に終わって市場で売却したことも少なくない。
  昭和50年ころ、竹内による酒伊繊維乗っ取りがやかましくいわれた。522万株を手中に収め、筆頭株主に躍り出た。チョウチンが付いて丸茂グループ全体で1000万株(20%)を占めるが、株価は259円をピークに下げ続け、74円まで下落する。竹内は高値近辺で大半を利食うが、チョウチン筋はぶら下がったまま。竹内は水野清文の取材に答えてこう語った。
  「わしが買ったというと、知多から三河にかけての投資家がわしにつく。いま、株価は下がっているので責任を感じる。このまま退いては信用の失墜ですわ」
  豪放磊落(らいらく)で義理人情に厚い竹内は、チョウチン連中のふところ具合も計算しながら、闘いを進める義侠(ぎきょう)の相場師。酒伊繊維に代わって日本証券金融の筆頭株主になって以降、「きしめんダラー」の消息は途絶えがちとなる。
  創業から60年近くになる丸茂工業は今、長男富彦が社長を務める。
=敬称略
(市場経済研究所代表 鍋島高明氏)
信条
・従業員とともに生きよう。従業員を家族と考える
・人情深く、よく人の面倒をみる
・相手が強く出れば、こちらも強く出る
・自分を取り巻く投資家をもうけさせなければ、やめるわけにはいかない
・地味に、コツコツと安いところを仕込む戦術は巧妙で、怖い感じ(久保木賢二)
(たけうち とみいち 1912~没年不詳)
  大正元年愛知県出身、昭和26年8月常滑市蒲池で鍛工部品の丸茂工業を創設、製品は自動車メーカーに納める。同46年定款を変更、株式売買を事業目的に加える。トヨタ系の愛知製鋼の株集めで、当時のカネで8億円という巨利を占め、中京の怪物と恐れられる。以来、数多くの仕手戦を展開するかたわら、商事、運輸、建設会社や病院を経営、社会人野球の丸茂球団を持つ企業集団のオーナーとなる。
(写真出所は「週刊株式」1976年7月15日号)

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