見えなかった世界

アジアのフリーメイスン洪門(ホンメン)とは?

忠義のこころ

2014-11-08 23:03:48 | 日記
忠義のこころとは言っても現代社会では無形の形ではなく、有形の形で教わることに変化してきている。精神の基本とされ日本なら武士道に通じる。

これは、私たちが古来から継承されていた精神であり、清廉な社会を作ることになる元でもあると感じる。以下の引用文章を用い、あらためてこの精神をともに見つめ直そうではないか。

(以下)
武士道

「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」からなる道徳。


当時の食事は一汁一菜が基本の質素なもので、多くの使用人をかかえる武士屋敷でも献立にさほど違いはなかった。武士たちにとって贅沢は人格に悪影響を与えるもっとも恐れるべきものだと考えられていた。

刀は武士の魂、たとえ飢え死にしても売るわけにはいかない。武士道は刀をその力と武勇の象徴とした。幼少のころから刀の使い方を教えられる。まずは木刀から始まり、15歳で元服すると真剣を携帯しての行動を許される。その時彼が自覚するのは自尊心と、危険な凶器を往来で持ち歩くことに対する責任感である。

【義】
人間としての正しい道、正義を指すものであり、武士道のもっとも厳格な徳目である。

時は戦国時代。越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は当時の有力な戦国大名だった。両者はともに天下統一を目指しぶつかりあうライバルである。そしてもうひとり、上杉謙信と同じく武田信玄と対立していた今川氏真は、武田領内へ商人が往来するルートを断った。1567年の塩留めである。領土に海のない甲斐国では死活問題である。
苦しむ信玄にある日、謙信から手紙が届いた。

「私が信玄殿と戦っているのは弓矢の上であって、米や塩で戦っているわけではない。今後塩が必要ならわが国から供給しましょう」

敵に塩を送る。この諺は義を重んじる上杉謙信のエピソードが元になったとされる。

義は体に例えるなら骨である。骨がなければ首も正しく胴体の上につかず手も足も動かない。つまり、たとえ才能や学問があったとしても、義の精神がなければ、武士ではない。

武士にとってお金などは二の次である。打算や損得から離れ、自分が正しいと信じる道を貫くことが武士の正しい姿とされた。武士はとにかく銭勘定を嫌った。銭勘定はつまり損得を追求する行為だからである。だから商売は商人たちにまかせて、上位の身分である武士たちは人々の模範となる生き方を追求した。

打算や損得を超越し、自分が正しいと信じる道を貫く。武士道の中心となる良心の掟、これが義の精神である。

【勇】
勇とは、義を貫くための勇気のこと。勇気といっても、わざと危険を冒して討ち死にすれば単なる犬死にである。武士道ではこれを匹夫の勇と呼びさげすんだ。

勇気とは恐れるべきこととそうでないことがわかることだ。
(哲学者プラトン)
本当の勇気とは生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことである。
(徳川光圀)

武士は幼少のころから匹夫の勇と、真の勇気「大勇」の区別を学ぶ。冬の寒空の中肉体をさらさせたり、処刑場の恐ろしい光景を見に行かせた。

武士にとって犬死にはつまらない行為だが、自分が間違いないと思うことに対してはためらうことなく命をかけて戦わなければならなかった。勇をまっとうするためには肉体的強さが不可欠なのだ。義の精神をいくら机の上で学んでも、自分より強い暴漢に怯えて実行できなければ無意味である。武士たちは精神修行と同時に肉体を鍛えた。文と武の両立、つまり文武両道を追求していた。

義をみてざるは勇なきなり。勇とは勇気、正義を敢然と貫く実行力である。

【仁】
仁とは、人としての思いやり、他者への憐れみの心のこと。
武士の情けには、仁の精神が内在している。弱き者や負けた者を見捨てない心、高潔で厳格な義と勇を男性的な徳とするならば、仁は女性的なやさしさ、母のような徳。

義に過ぐれば堅くなる、仁に過ぐれば弱くなる。
(伊達政宗)
仁の力を疑うものは、薪についた大火を茶碗一杯の水で消せなかったと言って、水で火は消せなかったと思うようなものである。
(孟子)

他者への思いやりを忘れてはならない。仁の精神は、人の上に立つ者の必須項目である。

【礼】
仁の精神を育て、他者の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さがつまり礼の根源である。

礼とは他者に対する優しさを型として表したものである。日本では古来よりお辞儀の仕方、歩き方など、きめ細かな規範がつくられかつ学ばれていた。

食事の作法は学問となり、茶の湯は儀式を越え芸術となった。茶の湯の作法は初心者にとって退屈なものだが、この定められた方法が結局時間と手間を省く最上の方法であることを発見する。礼儀作法はさまざまな流派が存在しているが、心で肉体をコントロールし心を磨くという点において目的はひとつである。

度をすぎた礼はもはやまやかしである。
(伊達政宗)

礼の作法も、気持ちがこもっていなければ型をなぞっただけの、わざとらしいものになるということだ。

「つまらないものですが…」

贈り物をするとき日本人がその品物の値打ちを軽く表現することに対して、アメリカ人は強い違和感を感じるようだ。

贈り物をするときのアメリカ人の論理はこうである。
この品物は素晴らしいものです。そうでなければあなたにあげられません。粗末なものをあげるなんて、あなたに対して失礼ですからね。

これに対して、日本人の論理はこうである。
あなたは立派なかたです。私の気持ちを受け取ってください。この程度の品を最高のものだと言ったら、立派なあなたに失礼ですが。

アメリカ人は贈り物そのものに心を向けているのに対し、日本人は贈る気持ちのほうに心を向けている。相手を思う気持ちは共通しているのだ。

【誠】
誠とは文字通り、言ったことを成すこと。「武士に二言なし」という言葉は、武士道の徳目のひとつ、誠から生まれた。武士にとってウソをつくことやごまかしは、臆病な行為とみなされた。武士たちは銭勘定を嫌い、誠の精神に基づき証文さえもつくらない。

士農工商、この身分制度は、知恵ある序列だった。貴族を商業からしめ出すことは、権力者に富を集中さえないためのすばらしい政策である。
(モンテスキュー)

富の道が名誉の道ではない、侍たちはそれを知って名誉の道にこだわった。

【名誉】
侍の妻たちは立派だった。金よりも名誉を重んじる夫のために、笠や提灯作りの内職で家計を支えた。女は武士の主君に対する忠義心と同じくらいの思いで家を守り、身を清く保った。それを内助の功という。

名誉の観念は外聞や面目などの言葉で表されるが、裏を返せばすべて「恥」を知ることである。

「恥ずかしいことをするな」「対面を汚すな」「人に笑われるぞ」
武士の間では羞恥心を知ることを幼少の教育においてまずはじめに行われた。

恥は道徳意識の基本であり、武士道における名誉とは、人としての美学を追究するための基本の徳である。

しかし侍は恥を恐れるあまり、病的ないきすぎに陥ることもあった。
取るに足らないことに腹をたてることこそ、武士にとって恥ずかしい行為である。

人の一生は重荷を負って行くが如し 急ぐべからず 堪忍は無事長久の基
己を責めて人を責むべからず。
(徳川家康)

負けるが勝ちという言葉がある。
私は人を殺すのが嫌いで、ひとりも殺したことがないよ。人に斬られてもこちらは斬らぬという覚悟だった。なに蚤や虱だと思えばいいのさ。チクリチクリと刺してもただ痒いだけだ。生命に関わりはしないよ。
(勝海舟)

戦わずして勝つ、血を見ない勝利こそ最善の勝利。武士の究極の理想は平和である。

武士道の名誉とは、名を尊び、自分に恥じない高潔な生き方を貫くことである。武士たちはどう美しく死ぬかを追求したが、それは同時になんのために生きるか、という哲学に帰着する。

【忠義】
これまでの徳目は儒教思想に基づいたもので、あらゆる階級の人々にもあてはまるが、これは武士唯一の特殊な徳目。

忠義とは主君に対する絶対的な従順のことである。一見その本質は日本の封建社会が生み出した政治理念にも見えるが、共通の考え方が海外にもあった。

個人は国を担う国家の一部として生まれてくるのだ。
(アリストテレス)
あなたは今まで国家に生まれて教育されてきたのに、自分が国家の家来ではないと国家に向かって言えるのか。
(ソクラテス)

西洋の個人主義においては主君に対して個人と別々の利害が認められているが、武士道において個人・家族そして広くは組織・国家の利害は一体のものである。

主君の命令は絶対だったが、武士は主君の奴隷ではなかった。主君の間違った考えに対して本物の武士たちは命をかけて己の気持ちを訴えた。忠義とは強制ではなく、自発的なものである。武士たちはあくまで己の正義に値するものに対して忠義を誓ったのだ。

(終)


(参考ブログ)
「義とは」
http://akimine-hm3821.blog.jp/archives/7886211.html






十二地支(天将・天神)

2014-10-02 16:02:42 | 日記
◆十二神将
薬師如来は両脇に日光と月光の2菩薩と、さらにこれらを守る12の武将・十二神将を従えています。十二神将とは、薬師如来の世界とそれを信仰する人々を守る大将で、1体に7,000人の眷属(けんぞく:部下)を率いているといわれます。

『十二神将~壁紙プレゼント~』
http://butto.exhn.jp/times/wall/

『御真言とご宝号一覧』
http://www.bukkyo.net/tisiki/singon.htm


◆十二天将
『十二天将』wikiより
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%A4%A9%E5%B0%86
十二天将(じゅうにてんしょう)とは、安倍晴明をはじめとする陰陽師にとって必須の占術であった六壬神課で使用する象徴体系の一つである。北極星を中心とする星や星座に起源を持っており、それぞれが陰陽五行説に当てはまる。

十二天将は十二神将と呼ばれる事も多々あるが、仏教の十二天、十二神将とは全くの別物。六壬鑰等の六壬の古典では『神』は六壬天地盤の天盤に配される十二支であり『将』は十二天将を指している。そのため六壬神課における『神将』は、天盤十二支とそれに配布された十二天将の両方を同時によぶ用語であって、十二天将を十二神将と呼ぶのは本来は正しくない。

陰陽師として名高い安倍晴明が残した占事略决の第4章の「十二将所主法第四」では十二天将が表す事柄について以下のように解説されている。

前一騰虵火神家在巳主驚恐怖畏凶将

前二朱雀火神家在午主口舌懸官凶将

前三六合木神家在卯主陰私和合吉将

前四勾陳土神家在辰主戦闘諍訟凶将

前五青竜木神家在寅主銭財慶賀吉将

天一貴人上神家在丑主福徳之神吉将大无成

後一天后水神家在亥主後宮婦女吉将

後二大陰金神家在酉主弊匿隠蔵吉将

後三玄武水神家在子主亡遺盗賊凶将

後四大裳土神家在未主冠帯衣服吉将

後五白虎金神家在申主疾病喪凶将

後六天空土神家在戌主欺殆不信凶将


(参考図)

(参考図)



● 12支(干支)の性格
http://www.eonet.ne.jp/~h-sixty/1-3seikak.eto.html
 ★ 子年(ねどし)生まれの人
性格正直で、奢侈(しゃし)の念なく、つねに倹約して貯蓄心に富み、相応の財産を保っていられるが、人によりその度を越して吝嗇(りんしょく)に陥り世間の非難を受けます。
外面は柔和に見えるが内心は些細なことにも怒りやすく、ときどき人情に反して行動します。
しかし、元来が無邪気な性格ですから、時が過ぎるとその恨みを忘れ、一旦不和となった人とも機嫌よく交際するので世間の評判は割合によろしい。中年逆境に沈むことがあるが、よくその性癖(せいへき)反省して徳を積み仕事に励むと、晩年は子孫のために安楽な余生を送ることができます。 

なお、一白水星・子年(S47年、S11年生): 34~5歳の頃に際会する良運を活かして飛躍するがよい。
 四緑木星・子年(H8年、S35年、T13年生): 中年運気よろしきも晩年いささか沈滞気味あり。
 七赤金星・子年(S59年 S23年 T元年生): 中年しばしば良運に際会するも逃しがち。
 
 ★ 丑年(うしどし)生まれの人
気の長い性格のようですが、内実は短気でささいなことにも腹立ちやすく、家庭、交際上で円満を欠く場合が多い。 また、親兄弟との縁薄く、幼少時代から苦労しがちです。 
物事テキパキとはかどらず因循(いんじゅん)に見えるが、生来忍耐力に富み辛抱強く、一度決めこんだことはどこまでも押しとおす面があります。
職業は人気稼業や投機的でない実直な手堅い道を選んで忠実に努めれば、やがては成功の域に達して、晩年は安楽な余生を送ることができます。 

なお、三碧木星・丑年(H9年、S36年、T14年生): 20歳代に出世運をつかみますが、50歳を越えて
 運気沈滞気味となりやすい。 
 六白金星・丑年(S60年、S24年、T2年生): 60歳すぎて際会する幸運によって晩年安泰となる。
 九紫火星・丑年(S48年、S12年生): 中年頃に女難にて失策あるものの、晩年に良運を得て安泰となる人が多くみられます。

 ★ 寅年(とらどし)生まれの人 
果敢決断よく艱難(かんなん)に耐え、進取の気性に富んで大成功を得る人もありますが、ともすると頑固すぎて、上長、目下の差別なく争い、せっかくの幸運を逃がすことが多い。
しかし義侠心に富み、人の難儀は利害得失抜きで救うので、自然と世間の信頼を得ますが、金銭上の失費はかさみがちです。
投機的なことで思わぬ失敗を招くこともありますが、元来が思慮分別に富み、競争心の強い性格ですから無理をせず分相応を心がけて努めると、案外晩年は安楽となります。 

なお、二黒土星・寅年(H10年、S37年、S元年生): 壮年期に成功するが保ち難く、50歳過ぎに訪れる幸運を保てば晩年安泰となる。 
 五黄土星・寅年(S61年、S25年、T3年生): 44,5歳か53,4歳頃に幸運に恵まれることが多い。 
 八白土星・寅年(S49年、S13年生): 晩年は運気沈滞しますから、4~50歳代の盛運期に晩年の計を立てるべきです。 

 ★ 卯年(うどし)生まれの人 
性格温和柔順にして世辞愛嬌があり、世渡り交際も巧みで諸人の信頼を得て望外の出世をすることもありますが、口舌にまかせて心にもないことをしゃべり、大失敗を招きがちです。 
好き嫌いが多く、移り気で、何事も熱しやすく冷めやすくて一事に徹する面に欠けているので、折角の幸運を逃がすこともあります。 
この性癖を反省して慎み、確実な業務に辛抱して中年に訪れる良運を逃がさぬように心がけると、晩年は人がうらやむほどの幸運が得られることでしょう。 

なお、一白水星・卯年(H11年、S38年、S2年生): 20歳代にて出世することあるも中途にて挫折すること多い。
 四緑木星・卯年(S62年、S26年、T4年生): 中年の盛運期に基盤固めを怠ると、晩年は困窮におちいる傾向がある。
 七赤金星・卯年(S50年、S14年生): 中年期に病難あるものの、60歳前後に訪れる幸運によって安楽な余生を得ます。
 
 ★ 辰年(たつどし)生まれの人 
気位が高く勝気のため、困難時によく耐える性格ですが、思慮分別なく猪突猛進して意外な失敗を招くことがあります。 著しく変化のある運命で、爆発的な成功をする反面、たちまち奈落の底に陥ることもあり、夫婦の縁も一度でおさまる人は少なくありません。
生来慈善心に富んでいて、人の長となる特質がありますから、事故の性癖を陶冶(とうや)して精進すると、元来が運勢の強い人ですから、晩年に一大良運を獲得して他人のうらやむ生涯を送ることができます。 

なお、三碧木星・辰年(S63年、S27年生): 中年は浮沈多いが、50歳をこして良運に恵まれることあり。 
 六白金星・辰年(S51年、S15年生): 45才前後に良運来るも、これを逃がすと晩年の運気は沈滞しがちとなる。 
 九紫火星・辰年(H12年、S39年、S3年生): 40歳以前の成功は案外と実は結ばず、50歳を越して幸福に恵まれる傾向があり。   

 ★ 巳年(みどし)生まれの人 
温順柔和に見えますが、なかなか剛気の気性で、よく艱難に耐えて大事業を達成する素質です。 
几帳面にしてすばらしく出世する人もありますが、その反面猜疑心(さいぎしん)深く、人に事をまかせることができず、人間関係で円満を欠く場合が多い。 
また親子の縁薄く、夫婦の縁もかわる人が多い。 思慮深すぎて決断力に乏しく、躊躇(ちゅうちょ)してせっかくの好期を逸する傾向がみられます。 よろしく自己の性癖を自戒して精進すれば、中年の中期に一大良運を獲得することができます。 

なお、二黒土星・巳年(H元年、S28年生): 青春時代に早くも成功するか、40歳代に良運を得ることがあり。
 五黄土星・巳年(S52年、S16年生): 30歳前後に病災あるものの、40歳を越して意外の幸運に恵まれる。 
 八白土星・巳年(H13年、S40年、S4年生): 60歳を越すと運気が衰えるので、中年の盛運期に晩年の備えを確実にしておくべき。 

 ★ 午年(うまどし)生まれの人 
任侠の気風があり世話好きですから、相当の人望を得ますが、気まま多弁にして人を口汚く罵(ののし)る面があり、世話を受けた人からも恩を仇で返されることが多い。 
いたってむら気なので一事に専心することができず、努力する割には成功が得られない面があります。
 しかし陽気な性格ゆえに失敗してもクヨクヨせず、心機一転する質(たち)ですから、確実な仕事に専念努力すれば予期以上の成功が得られます。晩年の初期に良運が訪れますから、これを獲得すべきです。 

なお、一白水星・午年(H2年、S29年、T7年生): 青年期に他郷にて意外な良運に恵まれますが、真の幸福は50歳代にあり。 
 四緑木星・午年(S53年、S17年生): 中年に良運あるも酒色にて失い、50歳代に来る好運によって晩年の安楽を策するがよろしく。  
 七赤金星・午年(H14年、S41年、S5年生): 50半ばを越して一大幸運に恵まれる。 
 
 ★ 未年(ひつじどし)生まれの人 
穏健正直で慈善心に富み、信仰心が厚いが、とかく苦労性で涙もろく、気弱で用心深く、ともすれば厭世的(えんせいてき)になりやすい人が見られます。
この性癖を反省して自ら心を引き立てて陽気活発に暮らすなら、生来が篤実温厚だから目上に引き立てられて大成功することがあります。 50歳前は苦労も多いが、晩年は安楽な余生を送る人が多い傾向です。 

なお、三碧木星・未年(S54年、S18年生): 40歳代に身内か朋友のために致命的な損失を受けることもあるが、晩年は子孫の為に安楽となる。
 六白金星・未年(H15年、S42年、S6年生): 60歳を越して一大幸運を獲得す。 
 九紫火星・未年(H3年、S30年、T8年生): 初年は辛労が多いが、中年ころより良運に向い、60歳ころに運勢最も盛んとなる。 

 ★ 申年(さるどし)生まれの人 
機敏頓才にして進取の気性に富み、若くして異色の出世をする人がいます。 研究意欲が旺盛で、また世話好きなので味方もできますが、口舌が禍して敵をつくることが多い。 
軽率に人を信用して失敗することもあります。 軽挙妄動(けいきょもうどう)を慎み性癖を正せば、生来が怜悧(れいり)の素質ですから、中年期の良運をよく保持して晩年は安楽を得る。 

なお、二黒土星・申年(S55年、S19年生): 30歳代に名声をあげる人もあるが、真の大幸運は50歳半ばに訪れる。 
 五黄土星・申年(S43年、S7年生): 50歳代後期に訪れる良運を獲得して晩年の安楽を策するがよろし。 
 八白土星・申年(H4年、S31年、T9年生): 中年は盛運であるが、晩年は衰運の境遇におちいることになりがち。 

 ★ 酉年(とりどし)生まれの人 
思慮周到にして世渡り上手ですから、青年期に調子よく出世する人もありますが、その反面虚栄心が強く、派手で優雅を好み、移り気で一事に専念し難く、器用に泳ぎ回って失敗を重ねる傾向もあるようです。 
両親との縁が薄く、生家を去る人もあります。 幸運は中年期に2~3度きますが、晩年初期に巡り来る良運を獲得することが大切。 

なお、一白水星・酉年(S56年、S20年生): 若年期の幸運は保ち難く、60歳を越して真の幸運に恵まれること多い。
 四緑木星・酉年(S44年、S8年生): 中年期は苦労が多く良運に恵まれることは少ないが、50歳前後に盛運に巡り合う。 
 七赤金星・酉年(H5年、S32年、T10年生): 中年に多大の財を築くが派手ゆえに保ち難く、晩年困窮する人もいます。 

 ★ 戌年(いぬどし)生まれの人 
正直で義理堅いが、自尊心が強く自我を固執してゆずらず、偏屈者(へんくつもの)に見られがちです。 また凝り性で、中には世間を驚かす逸品を製作することもあります。 
この年の人はおおむね他力本願で成功する天運ゆえに、生来の強情を慎み、謙譲(けんじょう)の心で目上に従うなら、中年で抜群の出世をしますが、さもないと悔い多き生涯を閉じる憂いがあります。 

なお、三碧木星・戌年(S45年、S9年生): 早く故郷を離れて辛労するが、30歳代には幸運に恵まれる。 
 六白金星・戌年(H6年、S33年、T11年生): 中年期に酒色のために良運を逃がすことあるも、50歳代の好運によって晩年安楽となる。   
 九紫火星・戌年(S57年、S21年生): 中年期に強力な後援者を得て功成り名をとげ、満足の生涯を送ることができます。 

 ★ 亥年(いどし)生まれの人 
忍耐強くて向上心に富み、若年期に成功する人が多いのですが、頑固一徹で融通が利かず、臨機応変の柔軟性に欠けるため、せっかくの成功を保ちがたいことも多い。 水清ければ大魚なしで、雅量に乏しいのが致命傷です。 
中年期に仕事や住居についての苦労が多く、郷里を離れる人もあります。 よく自己の性癖を正して賢者の教えに従い、晩年の中期に来る良運を逃がさないように心がけるべきです。 

なお、二黒土星・亥年(S46年、S10年生): 20歳代に頭角を現して成功するが、短期の為に失脚す。 
 五黄土星・亥年(H7年、S34年、T12年生): 30歳代に大災厄に逢うが、50歳半ばの良運によって安泰となる。 
 八白土星・亥年(S58年、S22年生)中年期に幸運を得るが永続きせず、50歳を越しての良運を獲得する心がけが大切。

(参考資料:神宮館運勢暦・平木場泰義編著者)


『十二天』wiki

『十二支の性格を理解すれば人間関係がうまくいく9つの理由』
http://spiritualism-japan.com/jyunishi/





十干天(じっかんてん)

2014-10-02 11:28:25 | 日記
十干(十干天)とは、太陰暦の1カ月を上中下の3旬に分け1旬の10日間につけた暦上の符号です。十干は、毎年、毎月、毎日、毎時についています。例えば、甲の年とか、丙の月とか、己の日、癸の時間という言い方をします。

以下、集めてみました。
(参考図)


読み方...音読み
甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、
庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)

読み方...訓読み
甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、
己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)

「十干」(じっかん)という耳慣れない言葉のように思うかもしれないけど、だれでも一度は使ったことがあると思うよ。十干って「甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸」のことなんだ。よく、「甲乙つけがたい」なんて言ったりするでしょう。この甲乙っていうのは十干から来ているんだよね。ほかにも契約書には必ず「貸し主を甲とし、借り主を乙とする」なんて記述がある。これは、十干を記号、番号の代わりに使っている例なのだ。


十干の原義
 〔甲〕甲胃のことで、種子が発芽してまだ厚い外皮をかぶっている状態。
 〔乙〕彫刻刀の曲がった形で、草木が伸びきらないで屈曲している状態。
 〔丙〕神に生贄(いけにえ)を供える机で、生贄を火で赤々と燃やし、草木が伸びて形をはっきりさせる状態。
 〔丁〕釘の形で、また物を数える数詞。
 〔戌〕(ぼ)木と戈(ほこ)で、草木が生い繁って戈を加えねばならない盛んな状態。
 〔己〕(き)長い糸の端が曲がっている形で、起の原字。草木が十分に伸びていく状態。
 〔庚〕(こう)固い芯のことで、十分に成熟して新しい生命を妊んだ状態。
 〔辛〕入れ墨をする針で、尖っていて物を刺激するところから、草木の枯れていく状態。
 〔壬〕(じん)女性が妊娠した形で、草木が種子の内部に新しい生命を妊んだ状態。
 〔癸〕(き)四方に刃が突き出た戈のことで、これを使って測ることを意味し、種子の内部が測りうるほど成熟した状態。


(参考図)

四柱推命への道 性格別のやる気の出させ方

http://www.fsoft.co.jp/vcom/oschool/suimei_ouyou/yarukinodasasekata.htm
能力診断は、通変星で行います。しかし性格診断は、十干で行います。十干は、精神を表し、その人の求める生き方、心のあり方を表すからです。

・甲 プライド型
この人は、プライドが人よりも高いので頭を押さえつけられるのを何より嫌います。ですから上司や社長は権威をかさにして命令調で叱ったりしてはいけません。経営者であれば、銀行マンなどに頭を下げることを何より嫌うものです。頭下げる位なら倒産を選ぶと豪語した経営者もいる位です。権威をかさに叱ると、かえって反発と憎しみしか湧いてきませんので人前で叱るのはタブーです。プライドの高さを利用し、社会的権威のある先生に弟子入りさせるとか、権威のあるセミナーに参加させるのも良いでしょう。エリート意識を持たせることも重要です。早めに部下を持たせてあげて、命令ができるような環境を作ってあげると喜んで仕事します。「君しかできないから」といっておだてると気合を入れて仕事をやってくれます。

・乙 慎重型
この人は、意外に人に左右されやすいので、同僚や先輩を良く選んでチームを編成してあげましょう。一旦迷いだすと迷いの迷路から抜け出すことは自分の力では難しい性格です。ですから、大きな方向性とか決断は上司が決定し、「全ての責任は持ってあげるから自由に遠慮なくやってごらん」という使い方が基本です。結果を心配させたりしてはいけないし、方向性までも全て任せるといったことも良くありません。細かいことに良く気がつき、一つ一つ慎重に物事を進めていきますので、そういったちょっとしたところを誉めてあげると良いでしょう。

・丙 華美型
この人は、華やかな脚光を浴びる舞台で活躍するのが何よりも嬉しいはずです。ですから、人前にでたり、プレス発表をしたり、展示会で説明したり、契約にサインしたりと、何かにつけて舞台に立つ機会を与えてあげましょう。そうすると嬉しくなって、どんどんと仕事を進めてくれます。但し、戦略性や緻密さという面では優れているわけではありません。従って、具体的に商品を開発したり、製造したり、販売したりといったことの責任を全て持たせるのは良くありません。全ての工程に細かく目ばりできる人を必ずパートナーにつけるべきです。悪いことには染まりにくいのですが、反面他人の言うことにも耳を貸しません。

・丁 丁寧型
この人は、自分なりの正義感をもっていて、それに反することが許せません。ですから、まずこの人の価値観や善悪観を理解する必要があります。この人の価値観に反するような指示は、例え会社の方針であったとしても出さない方が賢明です。まして社会通念から判断して理不尽なことは指示してはいけません。逆に、この価値観を利用し、善悪をハッキリと説明し、これからやる仕事の内容が単なる利益のためだけでなく社会に貢献する内容であることを納得させると働き方が違ってきます。欠点は、強く誘われたら断れないので、嫌々ながらも付き合いをしてしまうことです。何事も丁寧に教え諭すような接し方が基本です。環境の急変や出世や成功などは望んではいませんので、金銭欲や出世欲に訴えかけても無駄です。

・戊 要領型
この人は、要領良くうまく立ちまわることが得意ですので社交性をいかした仕事を任せると良いでしょう。達成するのに少々困難なテーマを与えるくらいで丁度良いでしょう。また周囲から反対されるプロジェクトを任せる位で丁度良いでしょう。若いうちは、なるべく組織やグループの中に入れて人にもまれることが必要です。自分の主張はあったとしてもなかなか表には出しませんし、チャンスが来るまでじっと我慢強く待っている性格です。ですから、この人が、本音を言ってきたらじっくりと時間をかけて100%の真心で聞いてあげることが重要です。多少のキツイ叱り方でも受け止める器があるので、がんがん訓練しても良い人です。

・己 愛情・感情型

この人は、気に入った同僚や先輩などと一緒に楽しく仕事をすることが何よりも嬉しいのです。また、顧客とも仲良くなって、仕事を忘れて付き合うこともあります。ですから、任せる仕事は、顧客サービス、ルート営業、営業サポートといったあまり最前線でない仕事の方が良いでしょう。つまり毎日の成果が数値で表され、勝敗が明確にされるような仕事では、辛くなるばかりでこの人を生かすことはできません。もちろん、1人だけでさせる仕事も向きません。人の感情には敏感ですから感情的な叱り方をすると、理屈抜きに反発されてしまいます。一言一言、情的で心にしみわたるような叱り方が基本です。理屈ばかりで、叱っても理解できません。逆に、味方にしてしまえば、理屈抜きに色々な面で無理難題もこなしてくれるようになります。

・庚 暴走・感覚型
この人は、上司や先輩の意見よりも自分の感覚を何よりも信じて疑いません。一見すると、上司の指示に素直に従うような振りはしますが、細かく観察していくとそうでないことが分かります。ですから、時に暴走しますがその動機が「善」である場合は、暴走はある程度大目に見てあげましょう。自分で納得するまでやらせることです。しかし、その動機と判断が明らか会社にとってマイナスである場合や、「悪」である場合には、徹底して叱っても良い人です。多少のキツイ叱り方でも受け止める器があるので、がんがん訓練しても良い人です。ピンとくるものがあるはずですから、それが何なのかを良く聞いてあげましょう。会社の目標とこの人の感性がマッチすれば大変なパワーになることでしょう。

・辛 繊細型
この人は、細かい所に気がつくのでうまく組織や集団にとけ込みます。しかし、人間関係が複雑なところや泥にまみれているところには近寄ろうとしません。ですから、智謀知略的な仕事や、人を陥れたりといった仕事はさせてはいけませんし、耳に入れてもいけません。しかし、今の社会環境を考えると、たくましい、少々強引でず図太い同僚などとパートナーを組ませると、その繊細さが生きてくることでしょう。神仏など精神世界に関心を持つので、そういった精神世界のことを任せるのが本当はあっています。きどき、ヤクザ的な仕事をしている人も、この辛の人がいます。なにかに、こだわる、そのためには、辛抱するという職業の人に多いような気がします。

・壬 戦略思考型
この人は、今の時代に人々は何を求めているのだろう、売れている商品があれば、なぜ売れるのだろう、人気のあるテーマパークがあればなぜ人気があるのだろう、といつも頭の中では知的、戦略的に物事を考える性格なのです。また、これだけの予算があれば、こういった企画が良いとか、こういった売り方がいいとか、そういった戦略思考をするのが得意です。ですから、ただ上司が「〇〇をやってくれ」ではこの人は納得しません。面倒がらずに、なぜそうするのか理由を説明してあげましょう。心の中はいつも、なぜ?という疑問が解決できないと気持ちが乗らないのです。逆に、会社の本当の戦略、あるいは経営者が資金繰りで困っていることなどを理解させると、同じ仕事を任せても、大変なパワーを発揮する人なのです。

・癸 頑固型
この人は、見かけはニコニコして柔軟そうに見えますが、自分の考えを上司や先輩から、無理に変更させられることを何より嫌う性格です。最後は自分のやり方でやっていきます。見た目は上司の指示の通りに実行する振りが得意ですが、実際は納得していないのでだんだんと自分なりの方法でやったりします。この人を使う側は、頑固さは自己主張という能力の根本であると良い方向で理解してあげましょう。ですから、自分が本当に納得すれば、忍耐力が要求される仕事や、万難を排してやらないといけない仕事などの方が、この人はパワーを発揮するのです。もし細かい指示通りにやってくれないといけない仕事を任すのであれば、毎日進捗状況とやり方の詳細をチェックするなどの管理の工夫が必要でしょう。


(参考図)



(参考)
『無料占い.com』
http://www.muryo-uranai.com/sui/chara/

『四柱推命』

http://fortune.goo.ne.jp/koufuku/seikaku.html

『深奥、四柱推命』
https://csec.dgweb.jp/excite/shinou/free/inp/so9999_inp.html

『ココナラ占い部4選』
http://coconala.com/fortune-telling/4677

『無料四柱推命、一括』
http://www.koufuku.ne.jp/suimeiexec.html






清幇(ちんばん/青幇)とは?

2014-09-19 07:00:03 | 日記
さて、洪門(ほんめん)アジアのフリーメーソンのつぎはこの清幇(ちんばん)です。清幇とは如何なるものなのでしょうか?

清幇
こちらも近代の歴史上では上海を中心にして、悪のレッテルが貼られておりますが本当のところは?以前の清幇(ちんばん)も洪門(ほんめん)も本当は日本と深い関係にあったことはいまは書物を見当たりません。そしてもっとも注目された列強各国が集まる近代中国の伏魔殿『上海租界』。これを裏も表も支配下に置いた近代清幇の三大首領、「黄金栄(おうきんえい)」「杜月笙(とげつせい)」「張嘯林(ちょうしょうりん)」、この三名とは?



(清朝時代漕業)
清幇は、《青幇》《安清幇》《安慶幇》《青門》とも呼ばれます。当初は《漕幇》とも呼ばれました。身内では、《安清》《安親》と呼んでいる。もとは大陸に広がる運河を使い海運送を営んでいた苦しい貧しい人たちの集まりでした。そこで当時高価だった塩を運ぶことで生計をどうにか立てていたが、これが「悪」としている流通書物が多いですね。


すこし覗いて見ましょう。


詩曰く…
「瓶中太滿水須走、青葉紅花白蓮藕」
この意訳は「満人の清朝に反対する幇会。清幇、洪門、白蓮教が三大主力。」
三人の(水夫)が洪門(ほんめん)/天地会に参加し、会員になったことで清幇が生まれたとも言われる。

洪門(ほんめん)と清幇(チンバン)とは似た源泉がある。但し、洪門つまり天地会は義兄弟気質、道教や民間信仰からなり、天と地に誓いを立てる。これは天を父に地を母に例えているからだ。洪門五祖、雲龍等を崇拝対処としている。道教は日本の八百万の神信仰の神道と似ている。
参照サイト「八百万の神々」

こちら清幇は羅教を信仰する。
羅教は禅学に由来し禅宗制度である。
ゆえに洪門の義兄弟気質とは違う。

清幇の組織は釈迦如来、達摩祖師、六祖大師、羅祖等を崇拝対処とする。仏教色が強いといえる。ですので生徒(門下生)は師父(先生)を尊び、絶対的な師弟関係を結ぶ。その中、達磨祖師を祭壇に祀る所が多く、この人物は中国禅の開祖である。
『景德傳燈錄』によれば釈迦から数えて28代目とされている。インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて九年もの面壁を行う。

達磨祖師により中国に禅宗が伝えられ、それは六祖慧能にまで伝わったことになっている。さらに臨済宗、曹洞宗などの禅宗五家に分かれる。日本の宗教にも大きな影響を及ぼした。

曰く「師徒如父子」師父と生徒は親子の如し。生徒もまた入門順に兄弟順列とし一師相伝されていく。

この清幇には【安慶】【安清】【安親】の名称や略名がある。これは清幇の幇内奥義文献にもそう記帳されている。

清幇《清門》の始祖の一人、潘氏が当時の異民族支配者である清朝いわゆる『満人』の宗教的な心理を利用したとされる。満人は、宗教に盲信しており、そのせいで幇を宗教に属するとした経緯がある。

なので、『清幇』は正確な呼び名は《佛門 臨済宗 清門》である。

羅教とは、羅教の思想の中心は「空」と呼ばれる宇宙万物の本体にある。「空」は原初から存在し、この世のすべてはこの「空」から流出・生成したとされ、万物は「空」の化体であり「空」と一体無二とであるという。五部六冊は仏教書からの引用が多数みられるが、羅教の「空」は大乗仏教の「空」とは概念が異なり、むしろ老荘思想の「空」に近い。さらに、羅教では「心」の働きを重視しており、「心」こそが仏であり本体であると気付くことで、誰もが悟りを得ることができるとされている。
ウィキペディアより

対外的に、勧善懲悪な宗教的作為をし、清朝を順服や擁護と見せかけ暗中に漢民族思想や組織の発展(清幇)、そして運河を使った漕業の発展を目指した。これは計算高い満人を欺くには必要なことであった。安清とは、清朝を安心させるという意味である。

この内容から、清幇の組織は洪門/天地会の組織よりさらに幇規が厳しく、ひとつひとつの規則も細かく複雑である。その秘匿性は非常に守られている。先で述べた呼び名の《安清》、つまり対外的に清朝(満人)を安心させ、ときの政権に従順と見せかけていつしか政権転覆を画策していたので、秘匿や会規は厳守。何故ならば清政府内に多数清幇会員がいたからである。

こんな言葉がある…

「清幇一條線、洪門一大片」
意は「青幇は運河を使い拡大した。洪門は江南から南洋へ拡大した。」

述べたように清幇の掟は師父と弟子の関係であり、組織の序列はこの「字班」によって分けられている。
「字班輩」(じはんはい)である。

~清幇の字班輩一覧~
(清門 興武六より)
前二十四代 || 清静道德・文成佛法・仁倫智慧・本来自性・元明興禮・大通悟學。
後二十四代 || 萬象依皈・戒律傳寶・化渡心回・普門開放・光照乾坤・代髪修行。
続二十四代 || 緒結崑計・崑芮克勤・宣華轉忱・慶兆報魁・宜燕應存・挽相同流。

(興武六幇派師父)

顧炎武(清代の政治論客、北宋時代にあった「東林書院」を再建した人物)が作った漢詩である。この字班輩または字輩は世代としての解釈ができる。これに則り清幇の師弟序列が決まる。

近代上海を支配下に置いた「杜月笙」「張嘯林」「黄金栄」(下写真左から)別名上海三大亨。各国間が権力を争う「上海租界」で絶大な力を誇示した三名である。
(上海三大頭目)

この三大頭目に目を向けてみよう。

上海における清幇は1919年の懇談会でこんな記録を残している。
当時の最高字輩はすでに17名のみであった「大」字輩だった。この時点ですでに字輩のならびを師弟とする清幇の結社で上海三大頭目が清幇の実質のトップではないことが分かる。

まずは杜月笙。この人物は「通」字輩の大人物、陳世昌氏を老師とした。ゆえに彼の字輩は「悟」になる。次に張嘯林。かれも「通」字輩の裏の大人物、龔謹丞氏を師と仰ぎ、彼もまた「悟」字輩であった。この両者は清幇のなかでの《出生暦史》はきちんとしている。

問題はもう一人の上海三大頭目黄金栄である。清幇のなかでも今だに金輪際ふたりと出ない人物といわれている。なぜなら彼は、師と仰ぐ者がいなければ正式な入幇儀式も受けていない、なんと清幇の掟の「字輩」がないのである。
つまり《空子》だ。

清幇の『家規』と照らし合わせても身分もない字輩もないことは弟子を取ることは厳禁である。しかし黄氏は力で権力を誇った。正式に清幇の会員になるには七年かかるものが、紅包に「黄金栄老師」と書きお金を入れ、本人の面前で頭を下げればすぐに弟子になれた。

こうして簡素化した入幇で会員人数も増えていき二~三千人の人間が清幇の門下生になる。黄金栄氏は無字輩の「空子」でありながら、当然のように清幇「大」字輩の人物曹幼珊や高士奎らを兄とし自分を弟分と公表していた。

権力が最高潮のころ黄金栄はこう話す。「老子(私)が大字輩の上に線を一本引く。そうすると私は「天」字輩だ。」と周囲に豪語していた。

見兼ねた青幇「大」字輩の曹幼珊は彼に同じ清幇「大」字輩の張鏡湖(政府高官)を老師とし正当な会員になるよう勧告した。黄金栄は了解したものの後から行っていないことが分かってしまう。しかし彼が清幇の会員を増やしたことは事実。敬意からか他の二名と同等に《悟》の字輩となる。

じつは、当時の上海にはもう一名の上海大頭目がいた。彼は『江北大亨』と言われ、正統な清幇《悟字輩》の人物「顧竹軒」氏であったが、どこからか彼は黄金栄の門下生だと認識されてしまい会員の出処が常に正しく継承される清幇内では笑い話である。
 

さて、現代は「通」字班輩が最長老(106才)として君臨し、1世代を30年と考えると最後の続二十四代の「流字班輩」にたどり着くまでなんと1500年になる。しかし、実際はもっと永い継承になるだろう。その悠久な歴史観がうかがえる。

清幇の性質は洪門のように「反清復明」は強調せず革命活動もそれほど積極的ではなかったようである。それ故、さきに洪門に入会した人間はその後清幇に入ることは厳禁とされる。

この詩のように…
「由清轉洪、掛綵披紅、由洪轉清、剝皮抽筋。」

意訳は、「清幇から洪門に転じることはまるで華やかで自由を感じる、洪門から青幇に転じることはまるで体の皮を剥ぎ取られ筋も抜かれる。」


ところで、この二つの秘密結社が敵対衝突しないよう両大派閥は「清洪一家」を盛んに謳い、いわゆるこの詩…

「紅花綠葉白蓮藕,三教原來是一家」

に現れている。
紅花は洪門、緑葉は清幇、白蓮藕は白蓮教とそれぞれ指している。

そして、清朝末期には起義(革命)思想がさらに広がりを見せ、そのうち清幇の弟子らも大多数が反清活動に転じ、両大派閥の争いは次第になくなっていった。

~清幇(清門)の口條~
只有千里交情,沒有千里威風。
|| 有るのは千里の友情、千里の威風(威張り)は無し。
三分安親,七分交情。
|| 安親(安清)三割、友情七割。
千金買不進,萬金賣不出。|| たとえ千金積んでも入会はできない、たとえ万金積んでも引き抜きはできない。

近年になり清幇には中華民国総統だった「蒋介石」も清幇の一員であることがはっきりしている。彼はさきに述べた黄金栄を師とし、つまり字輩は『學』である。ただ蒋氏は中華民国の総統の座を獲得したのち自ら一字繰り上げをした。家規では出来ないところではあるが、「悟」字輩となった。

(左 頭山満 中 犬養毅 右 蒋介石)

上記の記念写真の際のように《義》や《礼》《孝》を重んじる蒋介石は青幇の人物らしく同じ段に立たなく土の上に立っている。


以上、軽く見て参りましたが、現代の清幇は存在するのかしないのかという論がこの日本にございますが、これは『有る』と申し上げましょう。過去には日本人も入会している。現代、国際的なマフィア集団などと揶揄もされていることは事実ですが、しかし正統本体は、悠久な時のながれの中で相互扶助や忠義千秋(「ちゅうぎせんしゅう」意味は、義に対して真心を持って永遠に尽くす。)を守り続けている。

さて、水運発祥清幇です。ですので帆船のマークをロゴとしたり、船旗印をロゴにしたり、中でも一例として、会章には船を照らす光として『太陽』のモチーフがあってそして進路を指す三角形。この三角形の頂点もしくは三角形の中心に太陽マークがあります。

太陽は、明光または光明を指します。

ここで思いを馳せるのが、西洋の『イルミナティ』(光明会)のマークでは太陽を目に例えるところを考えますと、こちら清幇は《東洋のイルミナティ》ではないでしょうか。

洪門(ほんめん)のマークにはコンパスと定規があり、清幇(ちんばん)には太陽の光のマーク。


洪門=フリーメーソン=共済会
清幇=イルミナティ=光明会



当たらずとも遠からず、洪門(ほんめん)は東洋のフリーメーソン、清幇(ちんばん)は東洋のイルミナティ。
そんな思いがしてやみません。
そして一説では、これらは日本の秘密地下組織(烏、飛鳥)ともつながり、大アジア主義を標榜し邁進していたことは忘れ去られた過去でもある。



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洪門天地会(ほんめん)とは?~アジアのフリーメーソン~Dのサンクチュアリー

2014-09-15 22:33:00 | 日記

洪門天地会
(ほんめんてんちかい)
これは巨大な越境結社です。
17世紀の中国大陸で発祥し、現代も現存するアジアのもう一つの世界。人はこれをチャイニーズフリーメーソンまたは普通にフリーメーソンとも言いますが、果たしてこれは如何なる組織なのでしょうか?一般なネット情報ではどうも「洪門(ほんめん)」の評判は芳しくない内容ですが、果たしてそうなのでしょうか。
注)日本ではメーソンと普及していますが、《メイスン》も正しい呼び名です。

日本でももうお馴染みになりましたが、秘密結社の《フリーメーソン》。実はいままで目立っていた西洋系と、東洋系メイスン(東洋系メーソン)があることはお好きな方々はすでにご存知のことと思います。日本のネットでは三~四年前からアジアフリーメーソンの名でにわかに出てきていました。(アジアフリーメイスンで検索)

※livedoorblogへ移行しました。livedoor版では表面的な参考動画(中国語版)が見れます。
こちらへ

http://acfreemasons3821.blog.jp/archives/38281284.html


開示許可範囲により、文書に加筆や修正することがあります。なお、以前Wikipediaへ投稿をしていましたが、何者かに改竄や編纂されたためBlog掲載としました。現在のWikipediaに記された洪門(ほんめん)の内容は私たちが掲載したものをうまく編集されたものです。残念ですが、すこしの参考にしかなれないことでしょう。)

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記 小林明峯(Akimine Kobayashi )












~参考~
・『洪門天地会長房青蓮堂』HP









(結社の開示許可範囲により、この文書に加筆や修正することがあります。なお、以前wikipediaへ投稿をしていましたが、改竄や編纂される事が実際にあったので、Blogの掲載としました。)






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