見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 初期値(改)

 「初期値」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 初期値 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 初期値』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで74作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 初期値(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 ダ・ヴィンチが仕組んだ「罠」の数々と
その「謎」の何たるか、を知るに及んで、


    フランスの哲学者デカルト clubt.jp

 “我思うゆえに我あり”とした
デカルトの、その“我”は実在するのか


     ルネ・デカルト reomsd.com

 という根本的疑問が湧き上がってきます。

 つまり、終始一貫して、統一された唯一の
「私」という存在についての疑念ですが、

 
   20200807mispronnunciation-w640

 というのも、

 ダ・ヴィンチが想定していたこの世の中は
「バーチャル・シアター」であって、
量子論(量子力学)の説く 不確定性原理が
ゆえに 妄想が現実世界をバックアップして
試行錯誤する舞台を繰り返し上映している
だけの「仮想劇」だというのですが

 そのあたりについては、

 url『ダ・ヴィンチの罠 聖骸布(改)』
 url『ダ・ヴィンチの罠 異次元(改)』
 
 などを参照してみてください。

 こうした考え方は、どこか東洋哲学それも
インド哲学的で、ヤージュニャヴァルキャや
釈迦にも通じる思想のようにも思えます。

 さて、それでは、

 「私」=「自己」とは、何でしょう

 デカルトが、否定することができなかった
個々の人間の内面に常駐する絶対的なる
存在意識なのでしょうか

 それとも、アナタの感情を支配する個人
としての存在の根本にある高次元の意識
(阿頼耶識)から、適宜にブレイク・ダウン
される唯識のなかのひとつでしょうか

 Wikipediaによれば、

 「唯識」とは、各、個人個人にとっての
あらゆる諸存在が、(ただ)、八種類の
により 成り立っているという大乗仏教
の見解のひとつで、
一水四見」とは?類義語の「一月三舟」の意味も紹介します。
     八識説の概念図の一例 wikipedia

 八種類のとは、五種類の感覚(視覚、
聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と、意識、および
二層からなる無意識(末那識、阿頼耶識)
=(まなしき、あらやしき)を指します。

 ひとことで言ってしまえば、

 「アナタの人生で起こるすべてのことは、
  アナタの心の中の出来事に過ぎない」

 ということで、要約すれば、

 まず、各個人にとっての世界は個々人
の表象(イメージ)に過ぎないものであり、
5つの感覚(五感)は各器官ごとに、眼識
(げんしき=視覚)、 耳識(にしき=聴覚)
、鼻識(びしき=嗅覚)、舌識(ぜつしき=
味覚)、 身識(しんしき=触覚)と呼ばれ、
これを総称して「前五識」と呼びます。

阿頼耶識縁起とは | shopマートワン
         阿頼耶識縁起 martone.jp

 次に「意識」ですが、これは自覚する
意識で、つまりこれが「私」=「自己」
を認識させているわけですが、第六番目
なので「第六意識」と呼ぶことがあり、
前五識と意識を合わせて「六識」又は
「現行」(げんぎょう)といいます。

 

 ここまでが、

 表層にある五感と顕在する意識です。

マインドフルネスで知る諸法無我と十二縁起 | shopマートワン

       阿頼耶識縁起 martone.jp

 その下層部に「末那識」(まなしき)と
呼ばれる潜在意識が想定されていて、
寝ても覚めても自分自身に執着し続ける
自我(執着心)だとされ、熟睡中は意識の
作用は停止しますが、その間も末那識は
活動を続け、自己に執着するのです。
 
   
    八識説 h.kishi.sakura.ne.jp

 さらに、

 その下の最下層に「阿頼耶識」という
根源的な(根本心)があり、この根本心
が、前五感・意識・末那識などを生み出し、
さらに身体を生み出し、他の個人、個人が
有するとの間で相互に作用がなされて、
我々が「世界」であると思っているものを
生み出していると考えられているのです。


       阿頼耶識縁起 www.bijoux-sucres.com

 これだけ聞くと、

 何となくですが、ユングの心理学で言う
“集合的無意識”の概念に似ている
ようにも感じますが、それもそのはずで、


   カール・グスタフ・ユング www.ne.jp

 ユングは仏教における曼荼羅(マンダラ)
をキッカケにして 東洋哲学の研究に没頭
し、洋の東西を問わず人類の心の奥底に
は共通する“集合的無意識”が存在
すると考えたわけです。

 ところで、
 
 あらゆる諸存在(物質や現象)が個人的
に構想されたでしかないのであれば、

     

 それらの諸存在は主観的な存在であり、
客観的存在ではない。

 それらの諸存在は無常であって、時には
生滅を繰り返しながらも、最終的には過去
に消えてしまう存在です。

 それら諸存在(物質や現象)=「色」は、
「空」であり、実体のないものである。

 すなわち、

 これが「色即是空」の教えです。

 「この世のすべてのものは恒常なる実体
 はなく縁起(因果性)によって存在する」

 という仏教の基本的な教義ですが、

   

 もう少しかみ砕いて解かりやすく 言うと、
目に見えるものや形あるもの=「色」は、
実体としては存在せず、常に 時々刻々と
変化しているものであって、不変なる実体
は存在しない=「空」なので、その原因
(因果性)が失われれば、たちまちの内に
現象=「色」は過去に消え去ってしまう
というのです。

 言い換えれば、

 万物の真の姿は実体のないだが、
そのは、一方的にすべてを否定する
“虚無”ではなく、それらは、そのまま
、この世界に存在する物の姿でもある

 という意味で、「空」には、固定された
実体はなく「色」は、この世のすべての
かたちあるもの(物質的存在)を指します。

  

 一切の存在は、現象「空」であって、
それが「空」であると体得されると、その
現象「空」としての存在が、そのまま
実在であることがわかるとしたのが、

 「色即是空、空即是色」です。

 そこで、

 不肖ながら、小生が思い至った推論が、

 ひょっとすると、仮想世界の中において

 初期設定された架空の「値」(初期値)
「自己」なのではないか

 というバーチャル・シミュレーション世界
をダ・ヴィンチは想定していて、



 そこに「罠」の数々を仕込んでいた
のかもしれないという推理/推察です。

 謂わば、

 命がけで、険しい岸壁を必死によじ登り、
幾多の障害を乗り越えて、漸く辿り着いた
先の山頂にはすでに先客が待っていた。

 ひとり瞑想に耽るこの人物(先客)こそが、
誰あろう「罠」の仕掛け人にして万能の
天才レオナルド・ダ・ヴィンチだったのです。

 同様の意味合いで、ダ・ヴィンチのことを

 「人がまだ寝ている暗いうちに、
  一人だけ先に目を覚ましたような男」

 と評したのは、オーストリアの精神科医
ジークムント・フロイトですが、


ジークムント・フロイト www.youtube.com

 彼の精神分析学については、如何せん
我田引水、郢書燕説的で馴染めません。

 尤もダ・ヴィンチの「仮想劇」にしても、
牽強付会にして、我田引水的ではあるの
ですが ・・・

 ところで

 ダ・ヴィンチの研ぎ澄まされた超感性が、
この世界を「バーチャル・シアター」である
と直感し、自らもそのように理解したのは、

 

  幼少期に経験した「ハゲワシ」事件
(手記ではハゲタカ)の記憶や洞穴(洞窟)
内における恐怖体験 right 「白日夢」
よりインスパイアされた啓示だったのか

     
    画像元:takashi1016.com

 果ても、それは、定かではありませんが、
この「ハゲワシ」事件についての考察
や、ダ・ヴィンチの作品に関するフロイトの
仮説などについては、

 url『ダ・ヴィンチの罠 目論見(改)』

 を参考にしてください。

 そして、「白日夢」に関しては、

 url『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
 url『ダ・ヴィンチの罠 白日夢(改)』

 などを参照してみてください。

 少なくとも、我々が生活するこの世界は、
すべてシミュレーテッド・リアリティであると
する仮説、すなわち シミュレーション理論
とも呼ばれる現代のシミュレーション仮説
(仮想現実世界)をダ・ヴィンチは500年も
先駆けて構築していたわけで、


    『モナ・リザ』における隠し絵の一部

 それを隠し絵ミラーイメージなど
駆使して見事結実させた作品
『ダ・ヴィンチの罠』なのです。


   『モナ・リザ』におけるミラーイメージ

 確かに、
 
 虚構の存在しない社会は存在しないし、
虚構が人間を動かすモチベ―ション
(原動力)になっているのかもしれません。

 そこで、

 本日の結論に結び付ければ、我々は、

 
 あたかも、統一された唯一の「私」
いるかのように思い込んでいますが、

 一つの統一された「私」などというもの
は存在しないのです。

 「自己」は架空の存在であり、あくまで
外界からの脅威や感覚刺激などによって
「自己」を認識する必要に迫られた時に
だけ発動される機能であって 必要のない
時には「私」は起動されないのです。

 ですから、

 何の刺激も脅威も感じなければ「自己」
である「私」は消えてしまいます。

 事実、我々は「私」を意識しない状態を
日に何度も経験することがありますよね。

 たとえば、

 何かに没頭している時や読書などで集中
している時、或いは気の置けない仲間同士
でワイワイと盛り上がっている時など、


   気の置けない仲間とのカラオケ boy.jp

 目の前の世界にのめり込み、その環境に
溶け込んで 融合し、一心同体と化した空間
がそこに存在するだけで「自己」の認識や
「私」を意識することはなかったはずです。

 その他にも のんびりとくつろいでいる時や
音楽に聞き入っている時などリラックス状態
にある場合には「自己」の感覚は限りなく
消滅しているはずです。

 つまり、

 “我思う”と、自己を認識したその瞬間
に、「自己」が起動され、「私」の存在が
それこそ私的認知されるわけです。

 さて

 今年も夏の盛りが過ぎて、間もなく初秋を
迎える季節になろうとしていますが、

 
 「デルタ株」など猛威をふるう変異ウイルス yahoo.co.jp

 大禍となった“新型コロナ”騒動は、
いよいよもって、複雑怪奇にして支離滅裂
なる様相を呈しています。

 先に、

 「命がけで険しい岸壁を必死によじ登り、
幾多の障害を乗り越えて、漸く辿り着いた
先の山頂にはすでに先客が待っていた」

 「何千年も前からそこにたたずみ、深い
瞑想に耽っていた東洋の哲人が・・・」

 みたいな事柄を「絡合」をかたる際に
西洋の理論物理学者がつぶやいていた
ことを思い出して、我らが ダ・ヴィンチに
それを重ね合わせてみたのですが ・・・



 「絡合」(らくごう)が、超対称量子力学
など最先端の理論物理学界で議論される
ようになった現代において、唐突的に生み
出された今回のパンデミックに対する
ひとつの答えを「絡合」が提供してくれる
のかもしれません。

 「絡合」(らくごう)とは、読んで字の如く
絡み合うことであり、互いに関連し、関係し
合うことによって個人と集合、部分と全体、
原因と結果などの因果律や因縁生起まで
の全般を網羅する意味の言葉です。

 すなわち、

 それこそがダ・ヴィンチの言わんとする
ところの「すべてはひとつ」であり、

 「あらゆるものは、他の
     あらゆるものと関連する」


 と綴った彼は、

 「あらゆるものの部分は、
   それ自身のうちに全体の
        性質を保っている」


 として、

 「どんな部分も全体に組み込まれる
   ようにできている。だからそれ
    自体は未完成から逃れられる」


    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)


      イワシの絡合 k.works

 これは、まさに「絡合」のことを指している
としか考えられません。

 そのくせ、

 「芸術に決して完成ということはない。
  途中で見切りをつけたものがあるだけだ」


 と嘯(うそぶ)き卑下してみせるのですが ・・・

 どうしてどうして、小生には何千、何万もの
特製ピースの組み合わせによる繊細にして


     残されている手稿類の一部

 重厚かつ複合的な次元を超えた重層構造
を有したジグソーパズルのような
完成させたものと思わざるを得ないのです。

 要するに、

 「異次元」「異世界」「異空間」
な要素を持った「罠」だということです。

 
    デッサン&アイデアの一部

 まずは、その点を共通の理解・認識とした
うえで、次回の考察に移りたいと考えます。

 畢竟するに、

 病原体となり得る細菌やウィルスたちとの
共存を指向する「withコロナ」の精神
立体(正多面体)パズルに表現される
世界=宇宙「絡合」の一環です。

 そこで、「絡合」に絡めて言及すれば、

     

 違和感だらけのコロナ騒動に直面
した我々は、コロナ禍で頻発する矛盾
欺瞞の嵐にインスパイアされた結果、

 この世の中は「幻想」であり「虚構」
の世界の住人であることを思い知らされ、

 「虚構の空間」の中で生かされて
いるという事実に気づき始めたのです。

 偽りが堂々とまかり通り、1+1が2では
なく、3や4でも、それこそ好き勝手な数字
に置き換えられるカラクリと それを異常で
おかしいと指摘する言説が 言葉を狩るが
如くに公然と封殺(統制)されていく事態を
目の当たりにして、


    「虚構の世界」 note.com

 果たしてこれが「虚構」ではないと一体
誰が言い切れるというのでしょうか

 たとえば

 ほとんどすべての自然現象は数式で表現
することができますが、なぜ、そのようなこと
が可能なのでしょう

 かのアインシュタイン博士もその点に疑問
を感じて「この世界で最も理解し難いことは、
この世界が理解可能であることだ」という
ような意味深なる言葉を残しています。

 この世界は整然とした物理法則に従って、
規則正しく運用されていますが、



 それはこの世の中の仕組みがあまりにも
コンピュータ 処理に適した都合のいいもの
になっているということです。

 換言すれば、

 世界はデジタル(連続的な量を段階的に
整数のような数値に 区切って表現できる)
仕様で作られているという事実です。

 しかも、


           量子力学的イメージ gendai.media

 原子よりもよりミクロな量子の世界では、
あらゆるものが非連続的に変化している
ことが確認されています。

 我々には連続的でアナログ仕様に変化
していると感じるものも、ミクロな視点から
眺めると極めて非連続的な変化によって
構成されているわけで、


             量子力学イメージ tenki.jp

 自然の本質とは、すなわち、デジタルで
あって、我々が知覚する事物や事象とは
何者かの所有によるコンピューター上の
計算結果の代物なのかもしれません。

 

 そして、そのプログラマーをダ・ヴィンチは
「サムシング・グレート」であると
したうえで、


       初期値(プログラミング)イメージ oneuro.net

 「私の芸術を真に理解できる
     のは数学者だけである」


    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 つまり「数学者ではない人には誰も自分
の作品の原理を読み解くことができない」
と暗にの存在を示唆していますが、


           初期値設定イメージ it-trend.jp

 「シミュレーション仮説」よれば、
アナタも小生も、レオナルド・ダ・ヴィンチも

            

 シミュレーションの世界に存在する以上、
それぞれの個体は日常生活を送るなかで
自身の暮らす世界が「シミュレーション」で
あることに気づくことはないとされます。

 然り而して

 この世界を物質世界と精神世界(イデア界)
に分け、後者こそが本当の世界であるとする
プラトンの思想に影響を受けたダ・ヴィンチ
は、我々が通常 感覚的に認識している世界
「虚構」であり、「嘘の世界」であって、


        イメージ(意識の覚醒)www.value-press.com

 今で言う「シミュレーション世界」
住人であるという結論に、すでにダ・ヴィンチは
思い至っていたのでしょうね

       
     (ホンマかいな)


 それにしても、

    
  「頭が痛くなる話じゃのぅ」

『陰謀論』に与して言えば、

 一握りの者たちで組織・構成されたDS
(支配機構)が他の大勢の人間を都合よく
操るために閉ざされた仮想空間に存在し、
マス・メディアに対する情報統制によって
不都合なる真実は闇に葬られ、支配機構
の秩序を乱さないニュースだけが適切に
報道されるのだとか ・・・

 それって、

 

 映画『マトリックス』の世界ってことよね

 
    『マトリックス』 cinematoday.jp

 コンピューターの反乱劇とDSの存在と、
「サムシング・グレート」との違いが
あるが、ま、そんなとこじゃな

 そうは言っても、

  

 そもそも、お前もわしもアンタも、端から
2次元の仮想空間の存在じゃからのぅ。

 

      
       確かにそうかも・・・  

 完全に『初期値』=「自己」
設定を間違えてるわ ・・・


       初期値(デフォルト)イメージ www.cobol.co.jp

      … to be continued !!

      
         『洗礼者聖ヨハネ』のミラーイメージ
          
         『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
映画「マトリックス」シリーズの動画を無料で配信中のサブスクを ...
            『マトリックス』 natalie.mu
イギリスの新型コロナ変異ウイルスは何が問題なのか(忽那賢志 ...
        新型コロナウイルスの変異種 news.yahoo.co.jp

     「うーむ・・・」   

コメント一覧

透明人間2号
多重人格的な意識を指すなら、私、透明人間2号も同じですが!?
小吉
精神的な病のようなものに犯されたとき、意識のベクトルのコントロールがうまくいかなくなることがあるらしい。
解離性同一性障害とか、統合失調症だとか、わたしが思うに、自己や自我を統一できている人間のほうが不思議でしょうがない。

そんなことを思いましたね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事