ノアの虹 windychapel.com ノアの大洪水と虹 note.com
さて、
しかし、ノアだけは神に忠実で、また神の好意を得ていた。
これはノアの物語である。
神は不法に満ち、すべての肉なる者がこの地で堕落の道を
歩んでいるのをご覧になってノアに言われた。
「全ての肉なる者を終わらせる時が、わたしの前に来ている。
わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。 わたしは地上に洪水を
もたらし、命あるすべての生き物を天の下から滅ぼす。
あなたは箱舟を作りなさい。そして妻子や嫁たちと共に箱舟
に入りなさい。またすべての動物の中からそれぞれ雄と雌を
箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい」
ノアはすべて神が命じたとおりに果たした。
ノアの箱舟作り www.bible-jp.org
『ノアの箱舟に入る動物たち』 1570年(The Entry of the Animals into Noah's Ark)
大雨が四十日間、昼も夜も止むことなく降り続いて、水は
四十日間止むことなく増え続け箱舟を押し上げ、箱舟は大地
を離れて浮んだ。
ノアの日の出来事 true-ark.com
ノアの方舟(アララト山に漂着)worldclub.jp
ノアの方舟(箱舟)発見? cherish-media.jp

ノアの方舟(箱舟) www.gibe-on.info
すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。
これはわたしと大地の間に立てた約束のしるしとなる。
わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、その中に虹が現れる契約を心にとめる」
こうして神は、
〝最初の虹〟をつくられ、約束を契りになりました。
ノアのとの約束の虹 www.bible-jp.org
(『創世記』6章~9章の抜粋と要約)
呼ばれるものなのです。
出典:blog.goo.ne.jp
ところで、現存する人類は、すべて、

セム・ハム・ヤペテ sunriseministry.com
一説によれば、
出典元:ameblo.jp
日本人は真面目で協調性に富んでいますが、それゆえ
に他人と違った行動をとることが容認されず、その場の
空気で人々を縛りつける同調圧力が威力を発揮します。

一方で、こうした社会は、窮屈で息苦しいばかりでは
なく、その場の空気を読めない人間は変人扱いのうえに
嫌われて、のけ者にされ、果ては、精神の病に侵された
障害者とされることも少なくないのです。

時間やルールで拘束するならまだしもその場の雰囲気
や流れに乗れない人間を排除・排斥するような精神構造
が「自粛警察」を生みだし、村八分的な行動を誘発して
独自の規制や制限を設けてしまうのが〝コロナ〟渦中に
起こった日本人の欠点としての醜い出来事でした。
5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)kaizen-base.com
画像元: pictogram-free.com
ちなみに、
かつて、
「日ソ中立条約」を破り、ヒトラーは「独ソ不可侵条約」
あれは民族の性格からくるのか? 思想からの行為か?
これらを精神の問題として捉えると、正直、曖昧なる
たとえば、仮に、
な〝武士道〟にしても、それは同じでしょう。
ですが、
を果たしているわけで、民族性という問題を考える場合
なる民族性を各々が有しています。
然は然りながら、
それは、
蛇足ながら言えば、
する教えであり、道教は「自然」を尊重しながら、現世
これに対し、 仏教は思い切って現世を否定し、転生の
輪廻(りんね)からの脱却=完全なる消滅を目指します。
そこで、ロシア文学を代表する文豪ドストエフスキー
と比較してみると、
精神性としてではなく、混沌としたロシア人のいのち
の源泉(みなもと)として観ているわけです。
なプレデター・タイプの北極熊のようなロシアの特性と
をも、同時に描いているように感じるのです。
総じて言えば、
どこか日本人気質とも相通ずるところがあって、特に
大地に根ざした民族性は似て非なるものでしょうか?
さて、
『ルカの福音書』には、このように書かれています。
「新しい契約」 www.bibleinfo.com
「またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに
与えて言われた、『これは、あなたがたのために与える
わたしのからだである。 わたしを記念するため、この
ように行いなさい』食事ののち、杯も同じ様にして言わ
れた、『この杯は、あなたがたのために流すわたしの血
で立てられる新しい契約である』」
(ルカの福音書22章19‐20節)
そして、同じ内容がパウロによって引用されます。
わたしの血による新しい契約です。 これを飲むたびに
わたしの記念として、これを行いなさい」
(コリントの信徒への手紙「1」11章25節)
見ても聞いてもいないのに、いかにもイエスが言った
言葉として「主である神の子の思い」を書き残している
わけで、聖餐式というかたちで、記念として残すように
イエスはあらかじめ、十字架上での死の意味を弟子たち
に説明していたとパウロは主張するのです。
また、

『マタイの福音書』www.paulus.jp
『マタイの福音書』では、こう書かれています。
「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人
のために流すわたしの契約の血である。」
(マタイの福音書26章28節)
さらに、
「これは、多くの人のために流されるわたしの契約の
血である 」 (マルコの福音書14章24節)
聖餐式の制定 (過ぎ越しの食事)tomoshibi.or.jp
実に、
これをもって、
イエスが十字架上で死んだ時に、「古い契約」が終了
して、「新しい契約」が発効したというわけです。
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家
とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る」
(エレミヤ書31章31節)
その契約はこうです。「わたしはわたしの律法を彼ら
の中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼ら
の神となり、彼らはわたしの民となる」
(エレミヤ書31章33節)
さらに、マタイは、
に来られました。 (マタイの福音書 5章17節)
古い契約は石の板に書かれていましたが、新しい契約は
そうしておいて、
洗礼者ヨハネと神の子羊 antiquesanastasia.com
(ヨハネの福音書 1章29節)
「神の子羊」web.kyoto-inet.or.jp
(使徒行伝10章、エペソ人への手紙 2章13-14節)
『ローマ人への手紙』www.paulus.jp
私たちはもう律法の下にいるのではなく、恵みの下に
います。 (ローマ人への手紙 6章14-15節)
要するに、
「新しい契約は、イエス・キリストの死をとおして来ます。
新しい契約は、キリストをとおして、わたしたちが直接
神に行くことが出来るという意味です。
ただ新しい契約を通じてのみ、罪のゆるしがあります」
「それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。
それは彼が初めの契約のもとで犯した罪過を贖うために
死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国
を受け継ぐためにほかならない」
(へブル人への手紙 9章15節)
こうして、
イエスを信じる者にはだれにでも、神の子となる資格が
与えられました。 (ヨハネ福音書 1章12節)
「今日、私たちもその恵みに与ったのです」
まさに、
の様相を見せています!
イエスの真実 出典:www.jizai.org
■ はてさて、前々回の「丸い虹」での反復ですが、
神の計画どおりに事が運んでいれば、洗礼者ヨハネ
が救世主(メシア)になっていたでしょう。
その場合にも、神とのあいだに「新たなる契約」を
結ぶことがあったのかもしれませんが、
そうなれば、20世紀の悲惨な戦争も現在のロシアと
ウクライナやパレスチナ(ガザ)での惨劇も起こって
いない世界になっていたかもしれません。
しかし、現実は違います!
だからこそ、
終わりの時代にメルキゼデクの系統に従った大祭司が、
その証しである過越祭りの〝パンとぶどう酒〟を携えて
再びこの世に現れられなければならないとダ・ヴィンチ
は声を大にして言うのです。
その際に結ばれる「新しい契約」のしるしは、
ノアの時代に神が証しとされた「約束の虹」に倣った
出典:blog.goo.ne.jp

真ん丸の虹 bible-seisho.net
人間は誰かを見捨てたらそれで終わりですが、神は
そうではありません。
さらに、
神は、あなたを迫害したあなたの敵や、あなたの仇
に、すべての呪いを下される と約束されていますが、
(ええ !!)



足には足をもって償わせなければならない」




「誰かがあなたの右の頬を打つなら、
左の頬も向けなさい」(マタイの福音書)
・・・ って、おいおい、
あーァ、聖書の矛盾や欺瞞がドンドンと、
バレてやんの! う~む (^▽^;)(^^ゞ
『目には目を』という考え方では、
世界中の目をつぶしてしまうことになる」
(マハトマ・ガンジーの言葉)

「そうかもな!?」
えっ、

画像元: domani.shogakukan.co.jp


ダ・ヴィンチの推理はまだまだ続きます。

虹の輪 weathernews.jp

えっ、太陽なの月なの?「虹の輪」じゃないよね?
… to be continued !!