先日の記事?の続きです。
枕机には燭台、香炉、四華花(樒)、鈴が基本に置かれ、宗旨により、水やお茶、枕飯(餓鬼飯)をお供えします。
その中の四華花についてです。読みは「しかばな」です。
富山県内でもいろいろな種類があり(色)どれが本当なのかと考えるといつも悩んでしまいます。本当は無いのだと思いますが・・・
四華花(樒)は枕机に設置する場合は一基です(身近では)。
祭壇に設置する時は一対(二基)です。色は緑と白、黒と白、白と白を良く拝見致します。銀色もです。(富山市近隣の各葬儀社さんの式場で)。左右の置き方も各社違います。
昔は葬儀会社で作り、使用していました。私も上司と一緒に作っておりました。作るといっても白紙に切り目を入れ割りばし大の棒に挟み、らせん状に巻きつける作業でした。
お仏壇の花立に各2本づつ、枕机に4本立てておりました。現在は問屋さんからの購入です。見栄えが全然違います。
四華花とは沙羅樹になぞらえての葬具です。
この仕事に就き、初めて知ったものでした。ちなみに、「シカバナ」四華花は地方により、死華花、死花花、四花花は、紙花花などとも書くそうです。・・・・・
お釈迦さま、入滅の時、齢80歳。
お釈迦さまは霊鷲山(りょうじゅせん)から生まれ故郷を目指し、旅に出られる。阿難尊者を従者として、パトナ、ヴァイシャーリーなどを経由し途中のクシナガルでの入滅。
近くの町での供養を食され激しい下痢をおこし体調をくずされたのだそうです。
クシナガラの沙羅林に入りお釈迦さまは「阿難よ沙羅樹の間に頭を北に向けて床を敷いてくれ。私は疲れた。私は横になろう。」
そう言って右脇を下にして、足の上に足を重ねて禅定に入り、やがて入滅されたそうです。
クシナガルは沙羅樹の林だったことから入滅の時、沙羅樹は臥床の四辺、4双8本(1本が2組)あったそうです。
その沙羅樹は季節ならぬ花を咲かせ、たちまちに枯れ、白色に変じ、お釈迦さまを覆ったそうです。
お釈迦さまの故事になぞらえて故人が涅槃に入った事を表し追慕する象徴の装具が四華花です。
それぞれの地域、葬儀社さんにより使用するものは多少異なりますが、故人様の傍には枕机をご準備いたします。
枕机には燭台、香炉、四華花(樒)、鈴が基本に置かれ、宗旨により、水やお茶、枕飯(餓鬼飯)をお供え致します。
故人様は北枕に寝ていただく事が基本ですが、間取りの都合で無理な時は西枕に寝ていただきます。
北枕は昔からの習わしです。お釈迦さまの入滅の時、頭を北に向けていたとされることからです。ちなみお顔は西を向いていたそうです。
ネット社会になり知りたい事は簡単に調べられるように成りました。(難し事は読んでも理解できませんが・・・)
インドの方々は北枕で寝るそうです。(特に教養ある方々だそうです、五つ星のホテルもだそうです)
インドの方は殆どがヒンドゥー教だそうです。信仰心は一般的に厚く、良く寺院に行き、信仰心というよりもむしろ慣習と言えるかもしれないそうです。
お釈迦さまの日常に近付けるからなのでしょうか?どうしてなのか知りたいです。
家族葬に決まりがなく、各社様々です。一般的な葬儀との違いも曖昧です。
家族葬は一般的な葬儀から接待部分を省略した方法と思います。
式場、香典返し、送迎バス、通夜菓子、会葬者袋(お供物)「ご親戚のお供え物を配る、この頃は会葬者の人数に合わせお供え籠盛の数を決める事が多いです」
家族の方が接待(気を使う)とどこまで思うかで家族葬の規模が異なります。身内だけでと考えても、伝えなければならない方もおられます。
家族葬が良いと考えても家族葬は難しい。
家族葬での施主さまは考えを汲み取って頂ける良き身内の方がおられるか、強い気持ちの持ち主です。「遺言だから」と踏ん張っておられました。
いろいろな思いで家族葬と決められた施主様のお手伝いが使命と捉えます。
先日から二家族様のご葬儀、家族葬を
富山県高岡市にある高岡斎場でお世話させていただきました。
高岡斎場は真新しく設備が整っており民間業者さんの葬儀式場に引けを取りませんでした。
夜間は警備会社の社員さんが待機しておられ防犯体制も整っておりました。
お風呂もトイレもすべて綺麗に維持しておられ、とても羨ましいです。
民間葬儀社さんの葬儀式場と市営斎場の大きな違いは祭壇です。
民間葬儀式場は祭壇の備付が殆どです。料金の話は有る祭壇からのスタートです。
市営斎場の場合は祭壇から考えられます。又、寺院、自宅、公民館等も同じです。
この頃、通夜葬儀のお参りは減少傾向にあります。
高岡斎場の様な式場はどんどん必要だろうと感じます。
安川
富山市内でのご逝去数は2013年度(1~12月締め)約4,400名様、月に平均すると約360名様です。
新聞おくやみ欄での集計ですので掲載されない方もおられます。(プラス十数名様)
新聞おくやみ欄は私共、葬儀社が役所に火葬許可申請する際、死亡診断書、住民移動届け、
おくやみ掲載願いを一緒に提出します。(書類作成の際、印鑑が必要です)
掲載が必要ない方は掲載しない旨を葬儀社に伝えるとおくやみ欄に掲載されません。
「葬儀は終了しました」と掲載される方もおられます。その方法は火葬申請する際におくやみ欄への
掲載願いも提出します。掲載日を指定し「葬儀は終了しました」と記入します。後は役所から新聞社に
提出され、新聞社から当家に確認の電話が有ります。ここが重要で当家の方が確認の電話だからと
何気なく流しで聞くと間違いを聞き逃す事になります。漢字、ふりかな、日時、式場すべての確認です。
お電話は確認しながらお聞きする事をお勧めします。掲載予定日の前日、夕方~新聞社、数社からの電話が有ります。
ご逝去されます方が多いのは入院先です。もしもの時はその時点で葬儀社に連絡し、ご逝去場所からの寝台車搬送を
お願いします。葬儀社の迎えが来るまでおおよそ1時間です。
ご逝去場所からの寝台車搬送先は葬儀社への連絡前に決めておくと良いでしょう。
安置施設や式場へ直接向う時には、葬儀社の準備時間が掛かるからです。
又、考えている施設が使用されている時があるからです。
葬儀社をすぐに決められない方はご逝去場所からの寝台車搬送のみのサービスを利用し自宅等でしっかりと葬儀社を
決める事も必要です。
ご逝去からの流れは、ご逝去場所からの寝台車搬送 → ご安置場所(自宅)→ 通夜式場、葬儀式場 →火葬場 →
初七日法要式場 → 火葬場の収骨室 → お骨のご安置場所です。
ご逝去の時刻が午前中ですと3日間ですべての行事を行うことが多いです。(菩提寺様のご都合も重要)
集中して決める事が沢山あるので、親戚の頼りになる方へ相談やお願いは必要と思われます。
お葬式のスタイルを決めておく事も重要です。
ご葬儀のお問い合わせ中、
霊柩車のお話になりました。
「霊柩車は普通免許なの」とご質問がありました。
霊柩自動車は普通免許でも運転をしても良いのです。
私も葬儀社に入社したての頃はそう思っておりました。
霊柩車は、特別車と普通車に分かれます。
病院等にお迎えに行く車は殆どが普通車です。(富山県の県外へお送りする時もです)
特別車はご葬儀の出棺時に使用されるリムジンタイプや宮型等のものです。
特別車は基本料金から割高です。
その他、距離料金が別計算で加算されます。
富山県から県外への霊柩車搬送(普通車)はアイシン葬儀社にお任せ下さい。
家族葬をご近所の方に知られないように、ホール式場でお葬式をされる方や、
家族葬でもご自宅でお葬式をされる方もおられます。
病院等からご自宅へお帰りになられた時、ご近所の方は訃報があったことに気づきます。
ご心配で訪ねてこられます。
亡き人に手を合わせられます。
「お葬式は何処で」とお聞きになられます。
当家の方は「家族葬を自宅でします」と言われます。
ご近所、知り合いの方々は式中ではない時に弔いにこられます。
アイシンの家族葬は、
ご家族さまや少々のお参りの方々用に会葬用イスもご準備いたしております。
富山霊園富山市斎場(富山市営斎場) 076-425-4081
富山県富山市西番135番地
富山市の所有する葬儀式場です。
料金はお安く、
市内の方は通常5,250円 冷暖房期6,300円
立山町の方でも通常7,880円 冷暖房期9,450円です。
(アイシンのプランでは使用料金は含みです。)
式場は通常100席、最大150席とお参りの方も安心です。
祭壇もご要望に合わせお飾りいたします。
お写真をアップいたします。
「富山市斎場でのお葬式は当社におまけせ下さい。」
詳しくは「富山県 アイシン葬儀」でご確認ください。
安置場 富山県
旧富山市には2つの火葬場(富山市西番・富山市岩瀬)があります。
富山市西番の火葬場まで車で5分(富山市城村)に
ご安置(宿泊可能)施設がございます。
火葬のみ・家族葬をご希望されます方もご使用されます。
富山県 安置場
先日のお葬式は、親戚の方と村の方々のお参りでした。
「無理なくお葬式が出来た」と
言って戴き、嬉しく思いました。
これからも、どんどんご要望に沿えるよう努力し、成長していきたいです。
富山県 家族葬
富山県 安置施設
富山市城村(西の番斎場、車で5分)にある、ご安置可能の施設です。
近年のお住まいは生活重点、もしもの備えの作りではありません。(私の住まいもですが・・・)
その他の要因もあり、葬儀社会館に直接、向かわれる方もおられます。
唯、一度葬儀社会館にご安置されますと、選択しは少なくなりなす。
ご家族での考えをしっかり話し合う方法。
無理なく、良い方法を考えましょう。