赤間利晴 未来企画創造学舎

赤間利晴の人生 古希以降の社会活動等

平成23年3月31日 横浜市六日目 山下公園

2011年03月30日 19時47分09秒 | 日記


今日は、こう君の案内で、裏山にある野毛山動物園を見て、午後は青少年センター、市立図書館を
まわり、一路、中華街を経て山下公園に向かう。途中横浜公園にある横浜スタジアム脇を通って。

大桟橋には、日本丸が横づけしていた。


今年度最後の日  国家予算は民主党の公約である、子ども手当てを引っ込めてようやく成立した。東北関東
大震災の傷跡は深く、どこからどうしてよいのやら全く見当のつけ----よ++-++うがない情況が続いている。

諸外国からは続々と支援の物資や義捐金や応援の手が差し延べられている。嬉しくなと同時に日本は、これまでに
これらの国々にどれだけのことをしてきたのか詳細がわからないだけに申し訳ない気持ちが先に立ってしまう。


福島第一原子力も懸命な復旧活動が行われているが、次から次と難問が発生し、一基だけでも容易でない現場は
パニック状態であろうと思う。

同時に北芝電機時代に東芝の下請けとして原子力の安全管理という仕事を交代ではあるが担当したことがある。
最初,放射線管理区域に足を踏み入れるときの不安感は並ではない。

放射線について、多少なりとも知識をもてたり現場経験を経ていれば,風評に惑わされることなくある程度は
冷静に対応できるであろうが、その経験等のない国民が事故で放射能となれば、その一言だけで怖さが先に
きてしまう。無理のない話しである。


マスコミの報道が放射能が通常の数千倍と誇張して大きな数字を前面に出しての報道で国民の不安をあおり、その
あとに人体への影響はないと言う表現は、いささか配慮に欠けた風評被害原因作りの報道である。

誰もマスコミを批判するものがいないために、国民が不安を抱かなくともすむような咀嚼した報道の仕方を
していない。危機管理以前に危機報道のあり方を研究する必要がある。

今般のことで、この報道の仕方について政府の対応のまずさ、これはいうまでもないが、政府とマスコミとが
風評被害創出の元凶である自覚がない。

野菜農家は言うに及ばず、安全をはや取りして非難を決断せざるを得なかった福島県民が多くいる。
咀嚼し、こくみんの誰でもが理解できるような報道と政府の規制等の見直しを求めたい気持ちである。

横浜市初日 市内名所等散策 

2011年03月29日 08時01分40秒 | 日記
裏手の野毛山公園からスタート。条件がよければ富士山が見えるという。繁華街からすぐにある小高い山で、福島市の信夫山と同様、町のど真ん中にある山である。
公園の一角に動物園があり、図書館、青少年センター等を横目に、横浜ランドマークタワー、横浜美術館。
帆船に本丸の内部を案内人つきでじっくりと見学。高さ120メートルの観覧車に乗り、横浜赤レンガ倉庫のショッピングセンターを覗いて大さんばしに向かう。
残念ながら豪華客船は寄航していない。
鯨の背という板張りの屋根の上を歩いて最先端まで。すぐ無効にベーブリッジの雄姿が見える絶景ポイント。ここから周遊バスに乗り、市内主要名所を遊覧。

寿司屋に立ち寄り孫の高等学校入学祝いをかねた夕食。

横浜市西区の長男宅にて。




実君入学祝 横浜 三家族全員集合 利晴

2011年03月26日 22時09分02秒 | 日記




初孫が高等学校に入学が決まり、又、このたび横浜市の野毛動物園のすぐ前の高台にある、とても眺望の優れたマンションに来た。お祝いで、しっかりとご馳走になったが、日課としてブログを書き入れることと自分に誓ったことであり、酔ったなどと
怠慢な気持ちになってはいけないと気を取り直して書き込んでいます。


横浜市桜木町駅の近くの日の出駅から車で、一分位の繁華街のすぐ裏手の緑豊かな都会のど真ん中のオアシス見たいなところに
ある住宅地です。

裏が、野毛山動物園、前方には横浜市の繁華街が全貌できる立地である。

子供の小学校は直ぐ下にあり歩いて三分ぐらい。ただ、孫は坂道を通学するのは苦痛と言う。

将来に向けて、健康の蓄積をしているとお風呂に入りながら話して聞かせたのでいくらかは理解できたかなと思っているが・・・・。

明日、土曜日の朝 迎えに英君 来福

2011年03月25日 18時00分44秒 | 日記
初孫の高等学校合格のお祝い会を福祉まで予定していたが、
原子力災害のために社会混乱の最中であり、若い娘の一人旅は避けることとした。

次男が練馬から迎えに来てくれ、横浜市まで送りレ届けてくれるという。

その申し出に甘え、お世話になって、暫く骨休めヲしてくる。

東京・晴海の高校生と絵画談義メール交換開始

2011年03月22日 19時34分22秒 | 福島ガラス絵美術協会
昨秋、滉君を連れて秋の裏磐梯に遊び、遊歩道付近で写生していたグループの中で
一番上手な女の子であった。

ガラス絵の宣伝をして名刺ヲ渡してきたら、返事が来た。

今度の地震で心配してのファックスを貰い、メールアドレスを交換しての絵画談義が始まった、

将来性のある素晴らしい絵を描く16歳である。