定年夫婦のイタリア・スイス旅日記

あこがれのローマ,ルネッサンス発祥の地フィレンツェ,そしてツェルマットへ

雑感6 モデル料はおいくら?

2012-07-25 14:52:12 | 日記
 ツェルマットのゴルナグラード駅前広場では、団体客を目当てに記念写真を撮って商売をする業者が待っている。その傍らには見事な毛並みのセントバーナード犬がすわっている。名前はナナ。団体客が到着すると、真ん中に陣取りスイス国旗と団体客の国旗を立てて写真におさまるのだ。シャッターを押す時に決まってナナちゃんコールが始まる。
「はい、ナナちゃん、こっち見て!」「こっち、こっち!」
しかし、当のナナちゃんは、そっぽを向いたままなかなか正面を向いてくれない。あっちからもこっちからも「ナナちゃん。はい、ポーズ!」「前向いて、おりこうさん。」
きっと、日に何度も何度もポーズをとらされてすっかりくたびれたのだろう。
いったい、1回のモデル料はいくらなのかな?それにしても、疲れ切った表情に見えたナナちゃんがちょっとかわいそうに思えた。
 

雑感 5 「旅の恥はかき捨て」と言うけれど

2012-07-23 13:51:05 | 日記
 ツェルマットで泊まったホテルでのこと。夕食をとりにレストランに行こうと乗ったエレベーターの壁に日本語で書かれた次のような張り紙があった。
 
      ・・・お客様へお願い・・・
 この度は、当ホテルのご利用、誠にありがとうございます。
皆様のご滞在がより快適にお過ごし頂ける様、次の点にご注意下さいます様お願い致します。
   
1:廊下やバルコニーでの会話は、お静かにお話し下さいます様お願い致します。朝や夜は特に声が響きますのでご注意下さいませ。
2:お部屋のドアの開け閉めは、ゆっくりと静かに行って下さい。

 皆様のご協力に感謝申し上げます。
       ツェルマットでの楽しいご滞在を・・・!

 これを読んでいて「あれっ」と思ったのは、いろいろな他の表示は、何カ国語かで書かれているのに、この注意書きだけ日本語のみで書かれていた。日本人のマナーの悪さを物語る表示に、「旅の恥はかき捨て」では済まされない思いがした。

雑感4 カメラが取り持つコミュニケーション

2012-07-18 16:14:11 | 日記
 夫の趣味の一つに写真撮影がある。当然今回の旅行でも行く所、行く所写真を撮りまくっていた。夫の持っていたカメラは目立っていたらしく至る所でいろんな人々から声を掛けられた。
 サンピエトロ寺院への入場を待ち長蛇の列に並んでいた時、私たちの前にいた外国の青年が、じっと夫のカメラを見つめていた。ふと、夫と視線が合って気づいたら、その青年の持っていたカメラが夫のと同じ日本のメーカーのものだった。青年は夫のカメラを指さし「同じ」という意味のことを言い、親しげに微笑んだ。後で夫が言うには、「俺のより高いカメラだ。」とのこと。
 その後も夫が写真を撮っていると、いろんな所で声を掛けられた。フィレンツェのドゥ-モの展望台では日本人の女の子から
「写真を撮ってくださいませんか?」
ミケランジェロ広場では、ドイツ人の若いカップルから
「ピクチャー、プリーズ」
 ゴルナグラードの展望台ではフランス人の年配の男性から
「ピクチャー、オッケー?」そして、若いカップルからも・・・
 極めつけは、ツェルマットでお昼に入ったレストランでのこと、夫がテーブルの端っこにカメラを置いていたら、店主がカメラを取り上げテーブルの中央に置き直した。そして言うには、
「これは、いいカメラだから落としたら大変だ。大事にしないとだめだ。俺も同じメーカーのを持ってるけど、おまえの方が俺のより高いカメラだ。」
そして、自分が撮ったという写真の絵はがきをくれた。
 ちなみに店主のカメラは、ニコンD7000で、夫のはニコンD700だそうだ。
 

雑感3 たくましき女性たち

2012-06-27 08:47:34 | 日記
 夕食が終わりもう午後8時を回っているというのにまだ明るいシニョリーヤ広場。少し夕涼みをしてから帰ろうと思い、彫刻に囲まれたステージの階段に腰掛け、そこに集う人々を眺めていた。夫はいつものごとく手当たり次第にカメラのシャッターを押している。ふと空を見上げると飛行機雲が一筋空高くぐんぐん白い筋を延ばしているところだった。とてもきれいで自分だけ見ているのがもったいない気がして、隣に腰掛けていた若い女性の肩をトントンと軽くたたいて教えてあげた。
「日本の方ですか?」
と聞いてきたので
「はい、そうです。あなたも?」
と尋ねた。
「はい。」
「どちらから?」
「私は、ここに住んでいるんです。」
日本から遠く離れたこの地で単身働いているのだそうだ。
「写真お撮りしましょうか?」
と言ってくれたので、夫と2人並んで撮ってもらった。
「お仕事がんばって!」
「ありがとうございます。よい旅を。」
爽やかな女性だった。
 思えばこの旅の間、イタリア各地で単身働く何人もの日本人の女性たちに出会ってきた。どの方も颯爽としてかっこよかったな。その女性たちの勇気とたくましさに拍手。

雑感2  日本人専用レストラン?

2012-06-25 15:53:45 | 日記
 言葉も分からないし土地勘もない2人にとって、夕食をどこでとるかも大きな課題。そこで活躍するのがガイドブック。食事担当は妻の私ということで、値段も手頃で一通りその土地の料理を出してくれそうな店をチェックしておいたので、うきうきしながら出かけた。丁度7時ごろだったと思うが、私たちの前に先客が2組。会話から1組はイタリア人、もう1組は日本人だと分かった。飲み物を注文し料理がくるのを待っていたら、次々に客が入ってきて、そんなに広くない店のテーブルがほぼ埋まった。気がつくと客の3分の2が日本人。何気なく隣の人を見たら私が持っているガイドブックと同じものを持っていた。
 そうこうするうちに注文していた料理が出てきた。お味は、想像にお任せ。しかし、ガイドブックの宣伝効果はすごいと感じた出来事だった。本当においしい料理を出す店は、もしかしたらガイドブックには載ってないのかもね。



雑感1 「生かされなかった事前学習」

2012-06-14 10:58:00 | 日記
 ユーロスター・エクスプレスでローマからフィレンツェに移動する際の出来事。
自分たちの乗る列車がどのホームから出るのか確認したいと、少しもたもたしていると、若い娘さんが声を掛けてきた。夫が列車のチケットを見せると、さっとチケットを手に取り刻印機に差し入れ刻印をしてくれた。そこで、覚えたてのイタリア語で「グラッチェ」。更に7号車の51・52の席であることを確認し、私たちを先導し手招きをしながらずんずん行く。私たちも遅れまいとスーツケースをガラガラ引きながら彼女の後を追いかけ、やっと7号車にたどり着いた。そこで、再び「グラッチェ」。ここでさよならと思いきや、なんと列車に乗り込み更に先導し51・52の席まで着くとやおらかなり重いはずのスーツケースをひょいと荷物棚に上げてくれた。ありがたいのなんので私たち2人は米つきバッタのように何度も頭を下げ「グラッチェ・グラッチェ」。
 気持ちよくバイバイと思ったら、娘さんは、さっと手を出した。握手かなと思ったらそうではない。チップを要求される。夫が5ユーロ差し出すと、それでは足りないというようなことを言って帰ろうとしない。しかたなく夫が財布に手を掛けようとしたその時、相席の外国人のご婦人が、日本語で「もう十分ですよ。」と夫を制し、その後いろいろ言っている娘をいさめてくれた。娘は不満そうに列車を降りていった。
 いろいろやってもらっての5ユーロは、そう高くはなかったかなとも思えるが、しかし事前に「危険回避のマニュアル本」で(親切すぎる人には要注意!)と学んだはずなのに生かされなかった出来事だ。
 ところで、私たちを救ってくれたご婦人はというと偶然にも旦那さんが日本人の方だとか。そんな方と同席で、運がよかった。

新幹線の中で

2012-06-09 03:01:16 | 日記
2012.6.8(金)

 今回の旅のことを考えると,外国語のできない夫と地図の読めない妻,アバウトな夫と緻密な妻,そのような対照的な夫婦であったが,二人の力を合わせなくてはできない旅であった。
 旅の計画の概略と現地ツアーの手配は夫,航空券と列車とホテルの手配は旅慣れた娘,そして妻は,ガイドブックを調べ上げて毎日の日程を手帳に整理し,事細かくメモを作り上げた。旅先では,時には夫のでたらめな英語や身振り手振りも役立ったが,妻が事細かく調べ上げたメモ帳が大活躍をした。しかし,所々では,どたばた劇やパニックに陥り,二人で一丁前というよりは二人で半人前の旅であった。また,時には言い合いになったときもあったが,どうにか喧嘩はせずに旅を終えることができた。
 今回の旅行では,夫婦互いの違いや良さを改めて感じ合い,道に迷ったり,現地の人の優しさを感じたり,気に入った環境の中にいつまでも止まったりするような貴重な体験をすることができた。このようなことは,ツアーの旅行では味わうことの出来ないものであった。苦労があれば,それ以上の楽しみがある。やはり,ワクワクドキドキするような冒険とそれを乗り越えたときの感動体験は,いくら年を取っても必要なことなのだ。それは,旅だけでなくこれからの夫婦の生活の中でも言えることなのであろうと,改めて見直したように思う。
 帰宅時の新幹線の中で書いている。

帰国

2012-06-09 02:56:50 | 日記
2012.6.7(木)

 ドバイからの飛行機の中で,2回食事が出る。2回ともご飯もので,久しぶりに米の飯を食べておいしかった。更に,少しではあるがそばも付いてきて,日本に帰国する帰国する人たちのことを考えているメニューだなと感心した。
 機中では,暗くして眠るようにしたが,なかなか熟睡はできない。成田に近づくと,懐かしい田園風景が見えてくる。イタリアやスイスでは,山と丘と畑であり,田んぼのある景色をしばらく見ていなかった。水が満々と張られた田,太陽の光にきらきらと輝いている田,日本人の心の故郷を表しているのだなと思う。
 日本時間の5時30分,ほぼ定刻通りに着陸。各種の手続きをし,スーツケースを宅急便で送るように手続きし,成田エクスプレスで東京に向かう。有楽町で娘と合流し,親子三人で食事を取りながら,ブログでは書ききれなかった旅の思い出話に花が咲いた。天ぷら,焼き魚,刺身,長芋の鉄板焼き等を食べ,久しぶりに飲む日本酒は胃袋だけでなく,心の奥底まで染み込んで行った。ローマ,フィレンツェ,ヴェネツィア,ミラノ,そしてツェルマットと,世界に名高いいろんな名所旧跡を訪ね,その土地のおいしいものを食べてきたが,やはり,日本の食べ物はしっくりし,日本の風景の原点である里山を見ることや日本人のいる所は,落ち着く。やはり旅することは,自分の居場所を再確認することにつながるようだ。
 娘のアパートの畳の上で,しばらくぶりにゆったりとした気持ちの中で,二人爆睡した。

チューリッヒから帰国

2012-06-07 05:51:38 | 日記
2012.6.6(水)

 チューリッヒから,いよいよ帰国となった。昨日の疲れもあり,今朝はゆっくりと眠ることが出来た。8時半に朝食を取り,俺は昨日のブログの整理をし,妻は荷物の整理を行う。今日は飛行機乗りの一日なので,荷物の入れ替えが大変であったが,二つのスーツケースとリュックに入れ替える。
 昨日まで,いろんな所を見てきて,感動しっぱなしで心が飽和状態である。当初チューリッヒも半日観光をしようと考えていたが,もうその他に見ようとも思わない。午前中は荷物の整理をしたりホテルでゆっくりしたりする。
 11時にホテルをチェック・アウトし,飛行場に向かう。飛行場には,列車で1駅で10分程度で,12時前に着いた。しかし,15時35分発の飛行機なので,まだ搭乗手続きをしていない。スイス最後の食事を取り,12頃30搭乗手続きを完了し,飛行場の中でゆっくりする。ドバイ行きの飛行機なので,乗客は,アラブの人が大半で,日本人は極わずかであった。
 飛び立って1時間ほどして,ランチを配布しだしたが,搭乗前に食べたて,まだ腹一杯なので遠慮し,何も考えることなく,映画を見る。多くの映画の中から,「山本五十六」と「ミッション・インポッシブル」の2本も見てしまった。
 ドバイに着いたのが,11時30分頃。乗り換えの手続きをし,3時35分発の飛行機まで,待合室で待つ。成田行きの搭乗口は140で一番と奥まった所であった。ドバイ空港は,真夜中でも,乗り換えのためであろうか,人がいっぱいである。眠るわけにも行かず,この記事を書きながら待っている。

ツェルマットからチューリッヒへ

2012-06-06 02:24:31 | 日記
2012.6.5(火)

 いよいよツェルマット最後の日,朝の3時頃に目が覚めてしまった。妻もなかなか寝付かれなかった様子である。外を見るとマッターホルンに少し雲がかかり,満月が出ている。カメラを取り出し,夢中になって撮影する。青い空に,月が輝いており,マッターホルンにかかった雲が月明かりで輝いている。山に入ったときに,よく目にする光景ではあるが,ここはツェルマット,そして見えるのはマッターホルンである。幻想的な光景に,心を奪われ,ガメラ操作もおぼつかない,後で見ると,三脚がないのでぶれている写真が多かった。
 月が隠れ,しばらくすると明るくなり出し,今度はマッターホルンが,赤く染まってきた。待ちに待ったモルゲンロートである。最初に,頂上部分が赤くなり,だんだんと下に広がってくる。考えてみれば,大学4年の夏,友達に無理矢理連れ行かれた暁登山,その時のご来光とその後西の空や山がピンクに染まっていく光景を見た時の感動が忘れられなくて,山に夢中になったのであった。暗闇から,ピンクに染まる,神々しい山の姿を見れば,人間の存在を超えた,自然のすばらしさに,皆心を動かされることでであろう。今時の子ども達の多くが,このような感動体験をしていないという。本当に嘆かわしいことである。
 朝食も取らず,6時30分,妻と共にホテルを出発し,向かったのは,昨日も行ったゴルナーグラートである。始発の列車が7時なので,駅のキヨスクでパンとジュースを買い込み,登山鉄道の列車に乗り込む。朝早いので,登山電車に乗る人たちは,山で仕事をしている人たちがほとんどで,観光客はわずかばかりであった。途中,昨日はわずかばかり姿を現していたマッターホルンが,今日は惜しげもなくその姿を現している。
 ゴルナーグラートの駅に着いたとき,昨日以上の感嘆の声を上げた。駅から頂上に約5分ほど歩いて,たった二人で周囲を見回す。360度雲一つない青空に,純白の山々が,その姿の美しさを競い合っているのだ。その中で,一際群を抜いているのがやはり,マッターホルンである。まさに,アルプスの盟主である。ブライトホルン,リスカム,モンテ・ローザがその隣に連なり,遠くドームやホワイト等という山々が並んでいる。モンテローザとリスカムの間から,アルプス第2のゴルナーグラート氷河が流れている。白い雪が陽に輝ききらきらと光り,所々に氷河が溶けてできた氷河湖が青い水をたたえている。そして,真っ青な空には飛行機雲が幾重にも延びている。周りには観光客はほとんどおらず,このすばらしい風景が,俺たち二人のものなのだ。心清むまで写真を撮る。そうしているうちにドイツの若い男女が上ってきて,写真を撮ってくれというので,喜んで取ってやり,俺たち二人も撮ってもらう。同じ趣味を持つもの同士,言葉ああまりわからなくても,心は通じ合うようだ。
 約2時間,すばらしい風景を満喫した。2番目の列車で観光客がどっと上がってくると同時に,大声の日本語が響きだし周囲が騒がしくなってくる。日本人観光客が多いのだ。セントバーナード犬を相手に,記念写真を撮っている団体が多い。日本人観光客として,海外に行った場合,マナーに気をつけなければならないと感じた。「旅の恥はかきすて」では通用しない。そういえば,ツェルマットのホテルのエレベーターの中に,「ホテル内では大声を出さないようにお願いします」という内容の表示が日本語のみでしたあった。日本人は,一人一人では気弱であるが,集団になると豹変するのだろう。これから注意すなければと,強く感じた出来事であった。
 9時31分の列車で下山し,ホテルに戻り,荷物をまとめチェックアウトする。ホテルの電気自動車で駅まで送ってもらい,駅のコインロッカーに荷物を預けツェルマットの街を散策しようとした。しかし,コインロッカーの使い方がなかなか分からない。そうこうしているうちに,妻の機嫌が悪くなってきた。「前もって調べておかないからよ。」と,行ってくる。くわばらくわばら,妻をベンチに座らせて,もう一度説明を見てみると,なんだ簡単じゃないか。やはり,じゃまが入らないでじっくりと考えると出来るのである。スーツケースをロッカーに入れ2時間半程ツェルマットの街の散策に出かけた。
 それにしても,マッターホルンが美しい。白い姿を街の上に見せている。街の中には,マッターホルンがよく見える所に,ベンチがあるのだ。二人でそのベンチに座ってマッターホルンを眺めながら,今回,海外旅行に来ることが出来た幸せをかみしめる。
 昼食のために,レストランに入ってチーズフォンジュを注文したら,その店のお爺ちゃんとおぼしき人が,俺のカメラを見て,「テーブルの端から落ちないように,奥の方に置いておけ。ニコン,俺も持っているよ。D7000だ。だけどおまえのは,俺のより良い。」と話しかけてきて,店の絵葉書を1枚くれた。その裏には,ツェルマットで1番古いレストランとあった。チーズフォンデュが出てきて食べていると,じゃがいもを皿の上でつぶし,その上に溶けたチーズをかけて食うとおいしいと教えてくれた。気さくなお爺ちゃんで,一緒に写真を撮って店を後にした。
 午後2時39分発の列車で,ツェルマットを後にする。フィスプでチューリッヒ行きの列車に乗り換え,インターラーケンを通る。ここからクラリンデルワルトやクライデシャネックにも行けるのだなと思うと,またいつか来たいものだ強く念ずる。「念ずれば花開く」ことを念じつつ。
 チューリッヒの駅で降りて交差点の所で,ウロウロしているとサイクリストのお兄ちゃんが止まってくれて,話しかけてくる。地図を見せホテルの場所を聞くと,丁寧にも,アイホンで地図を表示し教えてくれた。駅の反対側に出てしまっていたのだった。何処にも親切な人はいるものだと,改めて感心した。
 ホテルに入り,疲れたので,今日は早めに休む。明日は,いよいよ帰国だ。