劇団の専属脚本家の多嶋は、この秋の公演に向けて構想を練っていた。
劇団員たちはすでに皆引き上げて、多嶋ただ一人だ。
この深夜の静寂が多嶋の構想する時間の後押しをするはずだった。
だが何故か今夜は、アイディアが空回りする、
ストーリー展開の歯車が合わない。
耳鳴りが気になり始めていた。
「疲れてるのかな」
ゴルフクラブを手に、外へ出てスィングをしてみた。
少しは気分転換になったようだ。
心地よい汗をぬぐいながら多嶋は、階段を上がり始めた。
以前病院だったこの稽古場の階段は、木造だ。
一足ごとに軋む階段
使い込まれたそれは、角が取れて歴史を感じる。
スウィングのおかげでシナプスは、はかどった。
一区切りついた多嶋は、傍らのワインに手を伸ばした。
買いためたボジョレヌーボーは
階下の受付に使用している小部屋の隅の棚に、何本も隠してあった
「もう一本持ってくるかな」
多嶋は、打合わせ用の固いソファーから立ち上がった。
多嶋専用の部屋は、2階へ上りきった階段のすぐ左側にある。
要するに多嶋の部屋は斜め向かいの例のトイレに面しているのだ。
だが、今夜の異変はトイレではなかった。
階下から、ゆっくりと誰かが登ってくる。
階段の軋む音がしだいに近づいてくる。
多嶋はゴルフクラブを手にしていた。
侵入者を威嚇しようとしていたのだ。
左手はドアノブへ、
ドアは思いっきり開けはなたれ、階段上がり框にむけ上段に構えたゴルフクラブを、
振り下ろすまでもなかった。
そこには、だれも居なかったからだ。
多嶋が部屋に戻るたびに、登ってくる軋む音が、絶えたのは、
空が白みを帯び、夜が明けるころだった。
姿の見えぬものの為に、多嶋は一睡もできなかった。