キティの日記&替え歌

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おぼっちゃまくんのOP曲の『ぶぁいYai Yai』の替え歌

2024-10-28 23:20:35 | 日記

テレ朝系列でかつて放送されてたアニメの『おぼっちゃまくん』のOP曲で1990年に発売されたいんぐりもんぐりの『ぶぁいYai Yai』の替え歌です

《佐賀県最大の糞事業バージョン》

〇ー〇〇〇〇嬉野は!!糞事業だよ!!

責任者変わって屑達だ!!

初代の責任者と大違いだよ!!

人間関係に!!大失敗!!

令和4年2月1日に!!突然責任者変わって!!

動揺の上!!ろくで無しで!!悲劇の始まり!!

令和4年4月後半に!!女性スタッフがボスで!!

私が!!皆んなから苛められ!!出勤停止!!

落ち込んで!!生き地獄だよ!!耐えられずに退所した!!

二度と行きたく無い作業所!!

〇ー〇〇〇〇嬉野は!!糞事業だよ!!

責任者変わって屑達だ!!

初代の責任者と大違いだよ!!

人間関係に!!大失敗!!







ス〇ー〇ジ〇〇有田の嬉野便の送迎バスの調整

2024-10-28 19:55:48 | 日記

今日10月28日(月)の朝8時半過ぎに市役所の障害者相談支援窓口に電話して

佐賀県西松浦郡有田町の障害者の作業所のス〇ー〇ジ〇〇有田の嬉野便の送迎バスが満員で有る為に、もし私が利用者としてス〇ー〇ジ〇〇有田に仕事に行くように成ったとしても、交通費の関係で毎週月曜日と金曜日の週2回だけ仕事に行かせて貰いたい事を話したら

窓口のスタッフさんが『今の所は嬉野便の送迎バスは満員だけど、11月7日(木)にス〇ー〇ジ〇〇有田に見学に行った時に嬉野便の送迎バスの事を話し合って調整しますと言う事ですよ』と言って下さってちょっと安心してます(^O^)

私は、本当はス〇ー〇ジ〇〇有田には毎週月・木・金曜日の週3回仕事に行きたいので

どうにか嬉野便の送迎バスに乗れればと思います!!




お母さんと絶縁状態に成ったと感じた時期

2024-10-28 09:18:20 | 日記

私は、高校生の時にたまに佐賀県武雄市の障害者の入所施設のす〇〇〇の里に泊まり掛けのショートステイに行ってましたが

最後にショートステイに行った時は、高3の時の2007年2月2日(金)~5日(月)迄の間と2月9日(金)~13日(火)迄の2週連続でお母さんから無理矢理行かされて最悪でした!!(TOT)

2007年2月の第1週目の時は2006年4月下旬以来9ヶ月振りだったので苦痛じゃ無かったのですが

第2週目の時は2007年2月8日(木)の夕方に佐賀県伊万里市の特別支援支援学校の寄宿舎にお母さんから電話が掛かって来て『今週も又ショートステイに行ってくれない?。もうす〇〇〇の里に電話して言ってるから!!』と言われて流石にうんざりして『お母さん!!す〇〇〇の里に電話して言うなら私に先に言ってよ!!』と言うと

『す〇〇〇の里に電話して言ったからあんたに言ってるんじゃない!!』と言われて『私はね!!今週末は嬉野に帰って来てからあ〇〇〇まつりに行こうと思ってたんだよ!!』と言うと『3月から仕事に行く就労支援センターは大人の人ばかりでしょう!!。だからショートステイに行きなさい!!』と言われて

そして部屋の担当の先生に電話を代わってからあまりにも歯痒くてパニックに成りました!!(TOT)

す〇〇〇の里は殆ど自由が利かないし、私にとっては佐賀市の児童養護施設に入所してた時のトラウマが有るので

す〇〇〇の里にたまにショートステイに行くのは楽しいけど

兎に角最後にショートステイに行った時は2週連続だったので苦痛でした!!(TOT)

其れに最後にす〇〇〇の里にショートステイに2週連続で行かされた時は、2月の第2週目に凄く嫌がってる私を兎に角無理矢理行かせた訳ですし

私は2007年2月2日(金)~11日(日・祝)迄嬉野で開催されてたあ〇〇〇まつりに行くつもりだったのにお母さんのせいであ〇〇〇まつりに行けなかったので

あの時はすっかりお母さんから嫌われて絶縁状態に成ったような感じでした!!(TOT)





成人してからの中で辛かった人生ワースト3

2024-10-28 08:08:33 | 日記

私が成人してからの中で辛かった人生のワースト3を紹介します

☆成人してからの中で辛かった人生☆

《第1位》 総合病院の私の作業療法の担当の先生の3回目の産休中(2014年3月31日(月)~2015年5月2日(土)迄)

理由 私の作業療法の担当の先生の産休中でも、1回目と2回目の時は直ぐ様代わりの先生が1年間作業療法を一緒にして下さいましたが、3回目の時はどうしても代わりの先生が居らっしゃら無くて2014年4月2日(水)~2015年5月20日(水)迄私の作業療法自体が中断されて、其の上仕事に行きたくても中々行けなかったので凄く苛々してました!!

《第2位》 去年2023年の夏から初めて半年間も総合病院での作業療法を停止された時(2023年7月19日(水)~2024年1月17日(水)迄)

理由 2023年6月26日(月)に佐賀県嬉野市の障害者の作業所のト〇〇〇でう〇〇〇特別支援学校の当時高2の就業体験生を巡って最悪な結末に成ってから私の心が荒れてて、精神科の外来の看護師さんや市役所のスタッフさん達としょっちゅう電話で喧嘩してた事で、2023年7月5日(水)の精神科の受診の時に主治医の先生から9月27日(水)迄の3ヶ月間作業療法を停止と言う事にされましたが、其れ以来作業療法が無い上に仕事に行きたくても行けなくて苛々してて2014年の状態に逆戻りした感じで余計に苛々してて、2023年8月24日(木)~27日(日)迄の間に腹癒せに〇ー〇〇〇〇嬉野で最後に私を苛めた上に未だに和解出来て無い5人に郵送で怒りの手紙を出して警察沙汰して仕舞った為に、2023年9月5日(火)の精神科の受診の時に主治医の先生から作業療法の停止期間を更に3ヶ月間延長されました!!(TOT)

《第3位》 総合病院での作業療法を初めて3ヶ月間停止された時(2009年5月27日(水)~8月26日(水)迄)

理由 2009年のGWは祝日の関係で精神科の受診が1回潰れて作業療法が2009年4月29日(水・祝)と5月6日(水・祝)の2週連続で潰れた事で凄く苛々してて、2009年5月13日(水)に3週間振りに作業療法が有ったかと思ったら、作業療法の担当の先生が精神科の外来の待ち合い室に私を迎えに来られるのが予定より2分遅れたので余計に苛々して作業療法の担当の先生と喧嘩して、2009年5月20日(水)の作業療法の時も些細な事で担当の先生と喧嘩して折り合いが悪かった為に、2009年5月26日(火)の精神科の受診の時に主治医の先生から初めて3ヶ月間作業療法を停止されましたし、其れで2009年8月中旬迄は物凄く落ち込んで総合病院自体行きたく無くて、精神科の受診にも、総合病院内の就労支援センターの仕事にも行きたく無かったのですが、お母さんに言うと『其れはあんたの我が儘よ!!。仕事と精神科の受診はちゃんと行きなさい!!』と言われたので、2009年8月中旬迄は嫌々ながら精神科の受診や就労支援センターの仕事に行ってました(TOT)



幼少期の中で辛かった人生ワースト3

2024-10-28 05:40:55 | 日記

私が幼少期の中で辛かった人生のワースト3を紹介します

☆幼少期の辛かった人生☆

《第1位》 佐賀市の児童養護施設への入所(小3の夏休み終盤~小6の2学期の終業式迄)

理由 私が当時小2の1996年の夏と小3の1997年の夏に家でお母さんから怒鳴られて叩かれる度に、泣きながら『お母さん嫌い!!』と反発して仕舞ってた事で2回も佐賀市の児童相談所で保護されて、小3の1997年8月25日(月)~小6の2000年12月22日(金)迄の間に佐賀市の児童養護施設に入所させられましたし、児童養護施設では殆ど自由が利かない上に毎日男の子達から揶揄われてパニックに成る度に先生達から怒鳴られて殴られてた訳で、常にホームシックに成って佐賀県嬉野市の実家に帰りたいと思ってました!!(TOT)。しかし、予定より6年3ヶ月早く児童養護施設を退所出来たのは凄く嬉しかったですが、児童養護施設に入所中は毎日が生き地獄でした!!(TOT)

《第2位》 お母さんと離れて福岡県福津市の祖父母の家での暮らし(2歳の終わり~4歳の終わり迄)

理由 私が当時2歳だった1990年度に、当時お母さんと住んでた神戸市中央区で、私と同年代の子供達で未就学の時から親から塾に通わせられたり幼稚園や小学校の受験をさせられたりする子が多かったみたいで、お母さんが私には九州で伸び伸びと育てたいとの事で取り敢えずお母さんが佐賀県嬉野市のアパートやマンションの空き部屋を探すも、独身寮しか空いて無くてしかも子供禁止だったらしくて、1991年5月頃~1993年5月上旬迄仕方無く私が福岡県福津市の祖父母の家に預けられました!!(TOT)。其れに、神戸市中央区に住んでた時は私が2歳に成ってちょこっと関西弁を喋ってたみたいですが、福津の祖父母の家に預けられた時は、私にとって初めての九州で方言の違いに戸惑った上に、お爺ちゃんもお婆ちゃんも私の事をほったらかしであまり話し掛けてくれなかった事で、結局幼稚園の年長組の1994年11月迄言葉を喋れませんでした!!(TOT)。そしてお婆ちゃんから怒鳴られて数時間も外に出されて家の中に入れて貰え無かったり、折角お母さんが買ってくれた玩具や三輪車やお絵描きセットも汚れるからと言ってお婆ちゃんが小屋の中に仕舞い込んで全く遊ばせて貰え無かったです(TOT)

《第3位》 佐賀県嬉野市に移住して来たばかりの頃(1993年5月)

理由 お母さんが1992年12月頃に子供禁止の独身寮を出て平屋のアパートに引っ越したみたいで、其の上中々言葉を喋れ無い私を見兼ねて親戚の人達からの後押しも有って、1993年5月上旬にお母さんが私を引き取ってくれた訳で、私としては2年振りにお母さんとの暮らしを再開出来た事は嬉しかった反面、私にとって初めての佐賀県で環境の変化に戸惑って、家で毎日大泣きする度にお母さんから『泣き止みなさい!!』と怒鳴られてました!!(TOT)。其れに、嬉野に移住して来て早速嬉野市内の幼稚園に行くも、幼稚園で人間恐怖症に成って、幼稚園の授業中も行き帰りのバスの中でもずっと大泣きしてましたし、結局幼稚園を僅か1ヶ月で退園して、1993年8月中旬頃~1994年4月1日(金)迄は嬉野市内の保育所に通ってました。そして嬉野に移住して来た時から早速お母さんが毎晩旅館の仕事に行ってた事で託児所に夜間保育で預けられてましたが、託児所に居ると必ず毎日託児所に泊まらなきゃいけなくて自分の家で寝れなかった事が歯痒くて、託児所も僅か3ヶ月で止めました(TOT)