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幼少期の中で辛かった人生ワースト3

2024-10-28 05:40:55 | 日記

私が幼少期の中で辛かった人生のワースト3を紹介します

☆幼少期の辛かった人生☆

《第1位》 佐賀市の児童養護施設への入所(小3の夏休み終盤~小6の2学期の終業式迄)

理由 私が当時小2の1996年の夏と小3の1997年の夏に家でお母さんから怒鳴られて叩かれる度に、泣きながら『お母さん嫌い!!』と反発して仕舞ってた事で2回も佐賀市の児童相談所で保護されて、小3の1997年8月25日(月)~小6の2000年12月22日(金)迄の間に佐賀市の児童養護施設に入所させられましたし、児童養護施設では殆ど自由が利かない上に毎日男の子達から揶揄われてパニックに成る度に先生達から怒鳴られて殴られてた訳で、常にホームシックに成って佐賀県嬉野市の実家に帰りたいと思ってました!!(TOT)。しかし、予定より6年3ヶ月早く児童養護施設を退所出来たのは凄く嬉しかったですが、児童養護施設に入所中は毎日が生き地獄でした!!(TOT)

《第2位》 お母さんと離れて福岡県福津市の祖父母の家での暮らし(2歳の終わり~4歳の終わり迄)

理由 私が当時2歳だった1990年度に、当時お母さんと住んでた神戸市中央区で、私と同年代の子供達で未就学の時から親から塾に通わせられたり幼稚園や小学校の受験をさせられたりする子が多かったみたいで、お母さんが私には九州で伸び伸びと育てたいとの事で取り敢えずお母さんが佐賀県嬉野市のアパートやマンションの空き部屋を探すも、独身寮しか空いて無くてしかも子供禁止だったらしくて、1991年5月頃~1993年5月上旬迄仕方無く私が福岡県福津市の祖父母の家に預けられました!!(TOT)。其れに、神戸市中央区に住んでた時は私が2歳に成ってちょこっと関西弁を喋ってたみたいですが、福津の祖父母の家に預けられた時は、私にとって初めての九州で方言の違いに戸惑った上に、お爺ちゃんもお婆ちゃんも私の事をほったらかしであまり話し掛けてくれなかった事で、結局幼稚園の年長組の1994年11月迄言葉を喋れませんでした!!(TOT)。そしてお婆ちゃんから怒鳴られて数時間も外に出されて家の中に入れて貰え無かったり、折角お母さんが買ってくれた玩具や三輪車やお絵描きセットも汚れるからと言ってお婆ちゃんが小屋の中に仕舞い込んで全く遊ばせて貰え無かったです(TOT)

《第3位》 佐賀県嬉野市に移住して来たばかりの頃(1993年5月)

理由 お母さんが1992年12月頃に子供禁止の独身寮を出て平屋のアパートに引っ越したみたいで、其の上中々言葉を喋れ無い私を見兼ねて親戚の人達からの後押しも有って、1993年5月上旬にお母さんが私を引き取ってくれた訳で、私としては2年振りにお母さんとの暮らしを再開出来た事は嬉しかった反面、私にとって初めての佐賀県で環境の変化に戸惑って、家で毎日大泣きする度にお母さんから『泣き止みなさい!!』と怒鳴られてました!!(TOT)。其れに、嬉野に移住して来て早速嬉野市内の幼稚園に行くも、幼稚園で人間恐怖症に成って、幼稚園の授業中も行き帰りのバスの中でもずっと大泣きしてましたし、結局幼稚園を僅か1ヶ月で退園して、1993年8月中旬頃~1994年4月1日(金)迄は嬉野市内の保育所に通ってました。そして嬉野に移住して来た時から早速お母さんが毎晩旅館の仕事に行ってた事で託児所に夜間保育で預けられてましたが、託児所に居ると必ず毎日託児所に泊まらなきゃいけなくて自分の家で寝れなかった事が歯痒くて、託児所も僅か3ヶ月で止めました(TOT)












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