先日の日曜日に父の25回忌に行ってきました。
最初、拝んで頂こうかとは思ったのだが、足が悪く正座できないし、他の方にも迷惑がかかるのでは
と思ったので、境内には椅子があり、そこで父と語ろうと思ったため
拝んで頂くのは止めにした。
去年は去年で父に呼ばれた気がしたので、拝みには行ったのだが、
何を言いたいのか分からないままでした。
今年の1月終わりか2月になって、目が覚めた私に「ちひろ」と確かに読んだ父の声で
返事をした私だったが、寝込んではいたが、付き添いでお参りにいった。
はっきり私の名を呼んだのは初めてのことだし、余程のことがあり呼ばれたと感じた。
私は思い当たることは全てやったと思っている。
それからは父から呼ばれることはない。
境内に1時間程いただろうか?カラスは相変わらず鳴いていたが、遠くで鳴いていたのだ。
その代わり、ウグイスが綺麗な声で5回も6回も時間を空けて鳴いていた。
父が亡くなったのが2001年だった、前の夜に父から助けてくれと言われたのに
私は助けてあげる事もできなかった。
貧乏ながらも苦労を感じたことのなかったのは、両親の育てられ方だと思うし
両親だけは逝かないと思い込んでいた私が馬鹿だったのだ。
あっけなく、突然それはやってきた。
母から電話が入り、直ぐに父の元へと戻った。
変わり果てた父を寝ずに明け方まで見ていて、朝になって死亡届を出しにいった。
父は、私の生まれる前から、鹿児島を出ているため、宗教がわからない。
そのため、主人のおばあさんが入っている東本願寺に入れて頂くために、お坊さんを呼んで拝んでもらったのだ。
拝んでいる部屋は、友人とその子供、主人が居たはずだが
私と母は台所の部屋で二人座って話していたのだが、煙草も灰皿も置いていない部屋に
私と母の間に煙草の煙があがった。母と顔を見合わせて、「お父ちゃんやなあ」と直ぐに存在がわかったのだ。
私の家系がそうなのだと言われた事があるが、亡くなった人を感じたり、呼ばれたり、見えたりする特徴があるようだ。
あまり大きな声で言うとお医者様に頭がおかしいと誤診されるのでいわないのだが。
主人の家族と私と母とお葬式をした。焼き場もあったのだが、焼き場での最後の挨拶にシャッターが下りる寸前に
私は「お父ちゃん!」と泣き叫んでしまった。シャッターにしがみつき、これが最後のお別れかと思うと
叫ばずには、泣かずにはいられない衝動にかられた。そこに義父が「千尋さん、止めなさい」と
割り込んで私を怒りながら止めた。私は何もかもを我慢して飲み込むしかなかったのだ。
大事な父を失い、泣いてる私を何故に止める権利があるのか…怒りを感じながらもグッとこらえたのだ。
義父の育ち方と、私の育ち方は違う…個人を偲んで泣き叫ぶことがそんなにいけないのだろうかと言う思いに
なったとたん、義父のしていた数珠が切れて飛び散った。
私は父が怒ったのだと直ぐに思えた。また泣きそうになるのをこらえるしかない私だった。
目に入れても痛くない程可愛いんだ千尋はといつも言っていた父。
あれから24年の月日が流れたのだ。父は結婚後の事を何もかも見ている。母だってそうだ。
決して義父を義母を嫌いではない。むしろ、月日が流れる程に許しも出来て、優しくもなれたと思っている。
24年の間に何も言わない父ではあったが、多分、私がやらなければならないであろう事を全て行ったと思ったから
出て来てくれて、後は自分に正直に生きなさいと教えてくれたのだと思う。
2006年4月母が亡くなったため、気持ちはどん底だった。その年に大好きだった橋本龍太郎氏が亡くなったことすら知らなかったのだ。
余裕がなかったのだろう。龍さまが亡くなった事を知ったのは確か2011年ぐらいだったように記憶している。
それも母の誕生日の7月1日が命日だと知った。
意を決して2012年か13年にお墓参りを決意し、東京に向かった。
主人はあまりいい顔はしなかった。そういう事には協力的ではないので。
確か2泊3日で行ったと思う。ここで詳しくは書かないが、青山墓地と次の日は横浜の方にもお墓参りに行ってきた。
そして、色んなことを私なりにしたと言う事を父も母もご先祖様も見ていてくれているように思う。
去年、8月14日が命日の政治家(随分昔だ)のお墓参りも青山墓地で済ませて来た。
台風直撃の最中、一粒の雨にも濡れることなく無事に帰ってこれたのは、もしかしたら私の願いよりも
父の願いだったのかもしれないと思う今日この頃だ。
私は知らぬ間に、自分のする事を感じ、受け取り、行っていたのだと思う。
今の政治家には程遠い、真っすぐで清廉潔白な政治家のお墓参り巡業は多分、幕を閉じたのだろう。
私のあまりにも熱の入れように主人との対立もありはしたが、守ってくれたのは紛れもなく、父と母、そしてご先祖様
精霊たち、天界からの与えられた修行や、試練を全うし、
自分なりの成長を遂げたから、父はもう自分に正直に生きなさいと言ってくれたような気がする。
あまり詳しいことは書けませんが、ここまで読んで頂いてありがとうございました。
また、検索で飛んで来てくださった皆様、ゆっくりとして行かれてくださいね。
本当にありがとうございました。