(↑続き)
キリスト教会の三位一体は、このように理解できるだろう:
父(創造主:神あるいは宗派によっては他の名前で呼ばれる大宇宙(コスモス)に於ける最高のパワー)。
子(創造主による創造であり、その“子”である神。私たちの宇宙だけの至高存在であるが、地球では一般に創造主とは区別されていない)。
聖霊(創造主にもっとも近い領域あるいは世界。キリスト領域とも呼ばれる。そこの最高位の存在は光として表現される完全なる愛である。そして、そこから来た魂が肉体をもって、地球のイエス・キリストと仏陀などの、この宇宙全体に大きな影響を与える存在となった。)
呼び名と解釈が異なっていても、この三位一体がお互いに結び合っていることは同じだ。そして全知全能の神と全知の創造主とその次の全能パワーという聖なる階位にも違いはない。進化するにつれて名前が変わるだけだ。
スーザン:神と創造主は、その”管轄範囲”の大きさの他に違いはあるの?
マシュー:うん、ふたつの本質的な違いがある。でも、最初に、創造主のいかなる分身も創造主の要素のすべてを含んでいることを繰り返しておくね。だから、神とは創造主が完全に純粋なままに表されたものであり、実質的にこの宇宙の創造主だ・・知識と叡智においての創造主の思考、愛としての創造主のこころ、権威と責任においての創造主のパワーだ。
さて、最初の違いはこれだ:創造主の中心にある本質は、大宇宙コスモスの秩序と生命だ。その本質の主要な機能は活動的ではない。車輪の軸が動いている部分の”アンカー(錨)”の役目をしているように、創造主の中のその安定した力によって、ほかの部分が一定に運動できるようになる。その安定性が止むと、生命自体が止まる。いかなる形の生命の創造も、整然としたペースのエネルギー波動(振動)を必要とする。それは、創造主の機能の内の安定性と活動性の両面を必要とする。
神はあらゆる面で活動的だ。創造主の愛と光エネルギーのエッセンスと同じ資質と範囲をもち、この宇宙における創造主の拡大された活動的力として、神はここであらゆる生命体とあらゆる秩序をつくる。大宇宙コスモスで、最高の最もパワーあるエネルギーが光・・創造主のエッセンス・・であるように、この宇宙でもそれは真理だ・・神のエッセンス。
光は、より多くの愛の力と感覚を包容しつつパワーを増して変動する伸縮運動である。光は方向を変えられるが、捉えることも破壊することもできない。そして愛は永遠である。同じエネルギーでも現れ方が違うこの愛と光のちからは、神と相互に作用する個々の魂の基盤だ。私たちの宇宙にあるすべての形の生命は神からきているので、人間の創造は神のお陰だから、人間は神の姿(イメージ)を基に創られたとも言える。人間の姿のアイデアとその肉体を作っている素材は神のこころから来たものだ。
私たちの宇宙の生命創造とともに、神は銀河の軌道回転から種がいつその被膜から芽を出し成長を始めるのを知ることまで、すべてを司る止めようのない運動の法則を開始させた。これが始まってから計り知れない時が過ぎるその間、テクノロジーによってエネルギーの方向の微調整のみが、エネルギーの神聖なる目的と動きの本来のコースを変えた。エネルギーそのものには何の変化はあり得ない。なぜならエネルギーこそ創造だからだ。どのようにエネルギーが引き出され使われるのか、それが創造の鍵だ。
”始まり”のとき、この宇宙にあるあらゆる創造物は完璧で純粋、神性であり愛に満ちていた。すべては完全なる調和と融合にあり、生命はそのように生きるようになっていた。創造主は自由意志をすべての魂たちへの贈り物にしようとした・・それだから、宇宙の法則により、すべての宇宙の支配者はそれぞれの領域のすべての魂たちの自由意志による選択を尊重する義務があるのだ。しかし、魂に完全なる選択の自由を与えるという、このあらゆる贈り物中の贈り物が、あまりにも濫用され誤って使われてきたために、もうかつてあったような貴重な黄金の贈り物とは見なされていないという可能性もある。宇宙によっては自由意志など知らないところがあると僕らは聴かされている。その一方で、この宇宙の一部では、魂たちがその贈り物を輝けるものまでに大事にしているので、それはもはや個人の選択ではなく、何百万の集合した魂たちの統一した選択になっているところさえある。しかし地球では、創造主の法にしたがって、自由意志は生きる上での自然な理法とされ、そこでは神の手がつねに見守っているが、決して魂の選択を妨げたり否定してはいけないことになっている。
創造主と神との本質的な二つ目の違いはこうだ:
子(創造主による創造であり、その“子”である神。私たちの宇宙だけの至高存在であるが、地球では一般に創造主とは区別されていない)。
聖霊(創造主にもっとも近い領域あるいは世界。キリスト領域とも呼ばれる。そこの最高位の存在は光として表現される完全なる愛である。そして、そこから来た魂が肉体をもって、地球のイエス・キリストと仏陀などの、この宇宙全体に大きな影響を与える存在となった。)
呼び名と解釈が異なっていても、この三位一体がお互いに結び合っていることは同じだ。そして全知全能の神と全知の創造主とその次の全能パワーという聖なる階位にも違いはない。進化するにつれて名前が変わるだけだ。
スーザン:神と創造主は、その”管轄範囲”の大きさの他に違いはあるの?
マシュー:うん、ふたつの本質的な違いがある。でも、最初に、創造主のいかなる分身も創造主の要素のすべてを含んでいることを繰り返しておくね。だから、神とは創造主が完全に純粋なままに表されたものであり、実質的にこの宇宙の創造主だ・・知識と叡智においての創造主の思考、愛としての創造主のこころ、権威と責任においての創造主のパワーだ。
さて、最初の違いはこれだ:創造主の中心にある本質は、大宇宙コスモスの秩序と生命だ。その本質の主要な機能は活動的ではない。車輪の軸が動いている部分の”アンカー(錨)”の役目をしているように、創造主の中のその安定した力によって、ほかの部分が一定に運動できるようになる。その安定性が止むと、生命自体が止まる。いかなる形の生命の創造も、整然としたペースのエネルギー波動(振動)を必要とする。それは、創造主の機能の内の安定性と活動性の両面を必要とする。
神はあらゆる面で活動的だ。創造主の愛と光エネルギーのエッセンスと同じ資質と範囲をもち、この宇宙における創造主の拡大された活動的力として、神はここであらゆる生命体とあらゆる秩序をつくる。大宇宙コスモスで、最高の最もパワーあるエネルギーが光・・創造主のエッセンス・・であるように、この宇宙でもそれは真理だ・・神のエッセンス。
光は、より多くの愛の力と感覚を包容しつつパワーを増して変動する伸縮運動である。光は方向を変えられるが、捉えることも破壊することもできない。そして愛は永遠である。同じエネルギーでも現れ方が違うこの愛と光のちからは、神と相互に作用する個々の魂の基盤だ。私たちの宇宙にあるすべての形の生命は神からきているので、人間の創造は神のお陰だから、人間は神の姿(イメージ)を基に創られたとも言える。人間の姿のアイデアとその肉体を作っている素材は神のこころから来たものだ。
私たちの宇宙の生命創造とともに、神は銀河の軌道回転から種がいつその被膜から芽を出し成長を始めるのを知ることまで、すべてを司る止めようのない運動の法則を開始させた。これが始まってから計り知れない時が過ぎるその間、テクノロジーによってエネルギーの方向の微調整のみが、エネルギーの神聖なる目的と動きの本来のコースを変えた。エネルギーそのものには何の変化はあり得ない。なぜならエネルギーこそ創造だからだ。どのようにエネルギーが引き出され使われるのか、それが創造の鍵だ。
”始まり”のとき、この宇宙にあるあらゆる創造物は完璧で純粋、神性であり愛に満ちていた。すべては完全なる調和と融合にあり、生命はそのように生きるようになっていた。創造主は自由意志をすべての魂たちへの贈り物にしようとした・・それだから、宇宙の法則により、すべての宇宙の支配者はそれぞれの領域のすべての魂たちの自由意志による選択を尊重する義務があるのだ。しかし、魂に完全なる選択の自由を与えるという、このあらゆる贈り物中の贈り物が、あまりにも濫用され誤って使われてきたために、もうかつてあったような貴重な黄金の贈り物とは見なされていないという可能性もある。宇宙によっては自由意志など知らないところがあると僕らは聴かされている。その一方で、この宇宙の一部では、魂たちがその贈り物を輝けるものまでに大事にしているので、それはもはや個人の選択ではなく、何百万の集合した魂たちの統一した選択になっているところさえある。しかし地球では、創造主の法にしたがって、自由意志は生きる上での自然な理法とされ、そこでは神の手がつねに見守っているが、決して魂の選択を妨げたり否定してはいけないことになっている。
創造主と神との本質的な二つ目の違いはこうだ:
創造主は大宇宙コスモスの中で個々の転生を知っているけれど、創造主が魂たちの転生に関わるという規範はない。神は、この宇宙にあるすべての魂たちが住んでいるステーション(場)を知っているだけでなく、どの人の頭痛も秘密の夢も、苦悩、喜び、怖れも知っている。神にはすべてが分かっているんだ。
創造主がその崇高な沈黙を破ったとき、その目的は創造による経験をするためだった。創造主の完璧な表れとして、神は同じ目的をもっている。神の知覚能力という特性は、神が創造するあらゆる肉体をもつ、あるいはもたない霊的な転生での創造物すべてに入っている。神は、霊的な、あるいは肉体世界にいるすべての魂たちが感じるのとまったく同じ感情を感じるんだ。それらの霊的な進化段階と自由意志の選択がどのようなものであれ、神がすべての魂たちの感覚全体から離れることは一瞬たりとてない。そしてこれは、動物界と植物界のあらゆる生命体に言えることだ。
非常に高いレベルで、神は、現在の混乱と耐え難いネガティビティ(破壊的エネルギー)の中にいる地球の苦悩を経験している。また、他のすべての天体が感じる感覚も経験している。神の宇宙に存在するあらゆる生命体は神と不可分であることをいくら言っても言い過ぎることはない。その相互につながっている関係は、あらゆる形の生命体の魂どうしにも言える真実だ。これらの宇宙の感覚をすべて同時に感じることは、この宇宙で想像できる最も高く進化した魂でさえ想像することも不可能だ。
スーザン:創造主が私たちの人生に関わらないのであれば、それは神のように肉体的な苦痛や感情的な苦しみを感じないということなの?
お母さん。創造主の代名詞に"それ (It)"を使うのは、べつに品位を落としているわけではないんだ。あなたたちが存在というよりも物や状況を指し示すときに使う”それ”と比較はできない。創造主に対して使われるときは、白と同じ意味になる。白色というのは色がないことではない。それは合成色なのだ。白から宇宙のあらゆる色が屈折されてそれ自身のエッセンスになる。宇宙の他の場所では、あなたたちの惑星では見たことがない素晴らしい色がたくさん存在するんだよ。
それから、創造主は本当に人類の感情を経験するんだ。それもあなたたちの第三密度の肉体の能力をはるかに越える高度の感覚でね。でも、それ(創造主)は魂の状況に関わることもしないし、個人的な反応を与えることもしない。それに反して神は、その魂たちが生前に合意した選択の枠内で、可能なかぎりの援助ができるよう、つねにあらゆる手段を講じている。
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この文章の挿入をありがとうございます、お母さん。愛する兄弟姉妹たち、あなたたちは創造主の愛と光のエネルギーの比類のない素晴らしさとパワーが具現化された存在です。それがあなたたちを大宇宙コスモスのあらゆる存在と永遠につないでいます。
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愛と平和を
スザンヌ・ワード著
原文:Matthew's Messages
訳文責:森田 玄
(転載終了)
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ありがとうマシュー✨
ありがとうスージー🙏
こちらに転載させていただいたマシュー君のメッセージからは、多次元的に捉えた神や創造主の概念を垣間見ることができます
ここで確認させていただきたいのは…
皆様お一人お一人が『この大宇宙を創造した創造主の分身』であるということです
神が創造主を創造した目的は『経験』と『具現化』でした
ですから私たちも創造主と同じで、経験し具現化するためにそれぞれの人生を創造します。そのために地球に転生して参りました
《創造主の分身として》
私たち一人一人は創造主が創造した分身であり、創造主は私たちを創造しましたが
創造主そのものは魂の状況に関わることはしないし、個人的な反応を与えることもしない。
つまり私たちは自由意志によって人生を自由に創造することができるということです
そしてあまねく魂は本質的に『神と創造主に直結している』ことになります
神とは愛であり、永遠であり、純粋さであり、真実であり、無限であり…
あなたが神とはどのようなものなのか、思いつくすべてが神であり
わたしたち一人一人はそれ(神)を創造力によって、人生で経験し、実現し、具現化することができます
わたしたちが『意図する』ことが具現化されます(創造力)ので、
神の崇高な目的をあなたが意図することで創造主に繋がり、創造性を発揮できます
例えば家庭に天国を創造したい…とイメージし意図するなら
愛と思いやり・暖かさを家族で共有することで家庭に天国を具現化できます
また例えば職場を天国にしたかったら、自分が天の住人になることで職場を天国にできます
両方とも可能です✨
実際に自分の生きる場を天国にすることがアセンションに関わる目標でありました
その甲斐あって
今は家庭も職場も天国です
あるがままで
あるがままで