三次元奴隷競争社会において、私たちは長い長い間、劣等感を持ちながら競争社会を勝ち抜くことを強いられてきました。劣等感という、他に劣ることを恐れる感覚を、格差奴隷競争社会という弱肉強食社会おいて、蔓延させることはそれほど難しくなかったでしょう。
狂った社会においてサバイブするために、私たちはこの劣等感に、ただひたすら『勝つ』勝ち続けることだけが必要なのです。
競争社会では勝つことが一番大切なこととして教えられます。勝つことにによって、高額な報酬を受け、裕福な暮らしが約束される。このような洗脳は教育という中に取り入れられ、人は勝つことで人生を成功させることができると錯覚させられるのです。
そうです、競争社会では無意識のうちに他と競い合う闘争精神を植え付けられます。そして劣等感を恐れる人々は、劣等感を克服しようと優越感を持とうとしたり、ただ勝つことだけが競争社会を生き残る手段になっていくのです。
さて、このような社会で育ち生きるのですから、それはそれは大変なことです。病む人々が年々増加するのは当たり前ですね。ありのままの自分を封印して生きなければ暮らしていけないのですから。
しかし、少しだけ意識を変えることで、この奴隷競争社会の中でも、ありのままの自分を認めて生きることが可能なのです。
管理人の長女は現在大学三年生。1年間休学し渡豪をへて、見失っていた自分を見つけて帰ってきました。受験という競争社会で自分を見失っていましたが、今の自分を愛し認め、自分を何かと比較する必要のないこと、急がなくても自分のペースでいいこと。自身を縛っていたのは自身だったこと。
これらに気づいて…すごく楽になったと帰国した本人は言っています。
オーストラリアから帰ってきたくなかったというのが毎日の口癖ですが、4月から大学に戻ることも非常に楽しみにしています。
出かける前はとても気にしていましたが、今では体重が増えたことも自虐ギャグにしているので、年頃特有な繊細なマターも許せていることが分かります。
ありのままの自分の姿を認め
劣ることを恐れない
奴隷競争社会で心の病を治療するためには、この二つが生命力を高めると実感しています。
3人姉弟の中でも、奴隷競争制度に一番のめり込んでいた長女ですが、ようやく競争社会の闇から離脱できたようです。
自分は自分で他と比較する必要はなく、あるがままの自分でいい。無理することなく、自分を信じて、自分の好きなことに自分のペースで取り組んでいけばいい。実際にはこのことを本人の体験を通して実感することが学びであり気付きです。
また例えば子供に、親がこうあるべきだを強要すると遅かれ早かれ爆発します。
それがどのような形になって表れるかはその子しだいですが、できるだけ早く気付き尊重してあげたいものですね。
純粋なる宇宙エネルギー=神=愛はどんなあなたでも、あるがままのあなたを認めてくれています。
魂にとってその肉体をまとった人にとって、その存在をあるがまま認めること、あるがまま認めてもらえること。それは神性に基づいた思いであり、行動であります。私たちは、すべての魂が平等公平にそのような恩恵を受けられる次元社会へと移行しています。
心の病を抱え、あるがままを認められなくて辛い思いをしている方が多いのは、文明社会が交互関係において提起された問題を、社会全体で解決していくためなのです。
この狂った社会の末期において、勝つことよりも、劣ることを恐れない子に育んでいくことが賢明なようです。
あるがままで