ありのまま日記

無関心を辞め政治に参加しよう!2

https://taro-yamamoto.tokyo/transcription/202007041630/

【街宣文字起こし全文】ゲスト:湯川れい子さん 応援スピーチ!山本太郎(れいわ新選組公認) 東京都知事候補 2020年7月4日 阿佐ヶ谷駅南口

山本太郎:
ありがとうございます。今日はですね、応援演説、来ていただける方がいらっしゃってくださってます。この方です。よろしくお願い致します。湯川れい子さんです。よろしくお願いします。

湯川れい子:
はい、皆さん、こんにちは。湯川れい子と申します。私のことを知らない人も、若い人の中にはいるかもしれません。実は、音楽の評論、昔はエルヴィス・プレスリーとか、ビートルズとか、マイケル・ジャクソンとか、ラジオの日本で最初の女性ディスクジョッキー(DJ)だったと思います。そして途中からは作詞家として、「ランナウェイ」とか、「六本木心中」とか、「恋におちて(-Fall in love-)」とか、最近は氷川きよしさんの「ボヘミアン・ラプソディ」とか、そんな作詞をしてきました。今年でちょうど60年になります。すごいでしょ? そして年齢的にいうと、私は太郎ちゃんのおばあさんくらいです。84歳になります。年女です。

で、その私が何を言いたいかって、今日来たかといいますと、いわゆるその思想的な、政治的な思想ではなくて、この小さな日本に、本当に世界地図見るとわかるけど小指の先ほどの日本に、絶対に原子力発電所なんて作ってはいけないと思ったのは、なんともう60年近く前です。そして60年間のこの仕事の中で、政府の審議会その他でもずいぶん発言をしてきました。でも何で生き残ってこれたかっていうと、やっぱりたぶん外国の音楽を手掛けて評論家としてきたし、他にプレスリーに会った、ビートルズに会った、マイケル・ジャクソンにも12回も会ったなんていうのはそんなに業界的にもいないし、世界的にもいないし、そして一方、ヒット曲もたくさん作ってきたから潰されなかったと思っていたんです。ところがそうじゃなかった。自民党の中にも本当にちゃんとそういうことを理解してくれた先生たちがいらっしゃいました。私はずいぶん可愛がっていただきました。そんな人たちに守られてきたところもあった。

でも今の政治は全く違います。全く違います。私は60年間、まあいわば男性社会の中で頑張って仕事をしてきて、いろんな人にも守られて、ニコニコ笑いながらやってきました。でもその経験から言って、これほど嘘つきの、これほど信用できない、こんな日本の政治がここまで落ちぶれたの見たこと初めてです。このまま私は死ねない。そういう思いが非常に強いです。そこでよく言いますよね、「最後のお願いに来ました」って。最後のお願いに来ました。年齢的にも体力的にも最後だと思います。だからこんな赤いお洋服を着て、今日は来ました。選挙や政治っていうのは何か? もう一回考えて欲しいんです。今までなんでこんなに2世、3世の議員が多いんですか? どうしてですか? 変えたくないと思う年寄りがいたからかもしれない。代わってもらうことに恐怖を持ったのかもしれない。それと同時に、それをいいことにして利権を守ってきた、そういう人たちの組織票があった。そしてもうひとつは、「選挙なんか行ったって何も変わらない」と思ってきた若い人たちがいる。よね? 本当にそれが一番情けない今の日本を私は作ってしまったと、そういう教育をした私たちも悪い。でもこのままだったら本当にどうなるんですか? 明日の日本は。死んでも死にきれない。

で、そんな私が最初、太郎さんと出会ったのは、実は福島の原発事故以来です。ずっと50年間、反原発、反核兵器。当たり前じゃないですか。そんなものあったら人類生きていけないんだから。なんでそれで愛し合って一生懸命苦労して、子ども学校にやって教育して育てるんですか? 愛情って何ですか? 結婚って何ですか?って思いませんか? 私は絶対そんなの嫌です。

人間だけじゃない、生き物がすべて一緒に生きてけるためにはそんなもの要らないんです。絶対に要らないんです。でもその時に、太郎ちゃんがあの福島が爆発した時に、原発は要らないって言ってどうなりましたか。まあおかげさまで全部仕事干されて、そして今、ここにいます。そのこと自体がおかしいじゃないですか。

で、私は2013年前に、山本太郎さんがすべての仕事を失って政治家になるって言った、最初の選挙から応援をしてきました。ずっとこの7年間太郎さんを見てきました。だから私、今日ここにいるんです。こんなに嘘のない奴はいません。体張ってきました。

あなたが太郎だと思ってちょっと考えてください。新橋の駅前で、あるいは沖縄で九州で北海道で、こういうところに立って話し続けてきました。怖いですよ。どんな人がいると思いますか? いつ襲われるかだってわからないんですよ。誰も守ってくれないんですよ。でも彼はなぜそれをできたか? 私利私欲じゃないからです。私利私欲じゃないんです。絶対に皆んな本当にかわいそうな人たち、そして日本のためを思ってる、私も日本、日本のためを思ってます、本当に。むしろ私は愛国者だと思ってる。私は愛国です。右翼ではないだけです。左翼でもありません。私は人間が大事なんです。自分の子どもがかわいいんです。自分の身もかわいいんです。だから皆んなで幸せに生きていきたいんです。そのために、物を命がけで言ってくれる人が欲しいんです。今、そんな人がどこにいますか? いやもうひとり、候補者として立候補してらっしゃる方もそうかもしれません。私は他の候補は一切何も言いません。

でも太郎さんのすごさは、この7年間見てきて、あれパフォーマンスだっていう人がいるけど、パフォーマンスだって? じゃあ、あんたやってごらんってそんなこと。できますか? できないです。それを私は7年間見てきたから。だから明日選挙に行くなら、絶対に太郎さんにして欲しい。本当に心から心からそう思うし、この日本、東京という1400万人のこの都市は、素晴らしいことに900万人、生産年齢の人たちがいるんです。そんな国は、そんな都市は世界にそうありません。

それだけど、今、このままだったら小池さんが何を守るか? 見たらわかるじゃないですか。もしかしたらこの秋またコロナが戻ってくるかもしれない、たぶん戻ってくるでしょう。その時に私たちを守るお金が今の状況で都にありますか? ありません。作ろうともしてくれないでしょう。だってオリンピックが大変なんだから。たぶんこの選挙が終わって小池さんがまた無事に都知事になったら初めて、今度のオリンピックについて触れ始めるでしょう。そしてまず、たくさん投資した大きな会社や大きな代理店やそういう人たちにまずお金がなんとかいくようにするでしょう。オリンピックの組織委員会にもお金が回るようにするでしょう。じゃあ私たち、コロナがもっとまた戻ってきたらどうするんですか? 

もう私の周りは悲惨です。私はお陰様で住む家があります。原稿の仕事もあります。まだ、まだ仕事が来ます。でも私の周りは悲惨です。もう全部のイベントがなくなっちゃった。コンサートもライブハウスもなくなった。そこに出ている人たちはまだいいんです。そこで働いてた人たち、そして特に悲惨なのは女の子たちです。ひとりで一生懸命勉強して、メディアで食べていけるようになりたい、メイクアップアーティストになりたい、あるいは音響になりたい、カメラマンになりたいとフリーランスで働いてた女の子たちはもう今、もう4カ月経ったら家賃がありません、払えません。一生懸命、太郎さんや雨宮処凛さんがそういう人たちが泊まるところを一生懸命、夜、手配してくださっています。それが現実なんです。その人たちを今すぐに助けることができるのは、全部の候補者の中で、もし山本太郎が都知事になったら私は絶対にやってくれると思ってます。

やれると思わない? そういう人に都知事に私はなって欲しいんです。なんとか「神風」なんて言葉使いたくないけど、でも「お願い、風を吹かせて欲しい。なんとかして奇跡を起こして欲しい」と心から思っています。だからお友達に言ってください。この人しかいないって。私が最後のお願いで、赤いお洋服着て頼みに来たって。そう言ってください。心から心からお願いをして、私のスピーチとさせていただきます。ありがとうございました。ありがとうございます。はい。

湯川れい子さんでした、ありがとうございました。マイク代わりまして、れいわ新選組公認で東京都知事に立候補している山本太郎です。私、元々芸能人やってたんですね。16歳のときから芸能界にいたんですよ。今、45歳なんですけど。で、そう。メロリンQ。グラビアアイドルです。で、ずっと20年くらい芸能界の中で、自分の人生だけ考えて生きてきたんですよね。で、原発事故起こって、その意味をやっと知った。最初は怒り沸騰だったんですよ。東電に対して、国に対して。けれどもそこを入口に、この社会にある問題を初めて知っていくんですよ。労働の問題があったりとか、貧困の問題があるってことを。

全国いろいろ回って、仕事が「原発いらない」っつったら、仕事が無くなって、で、全国の皆さんが「うちにしゃべりにおいで」っておっしゃってくださったんですよ。「あなたの置かれた状況をしゃべってみな」っつって。で、その全国の人たちが人を集めてくれて、いろんな全国を2年くらい回ったんですよね。で、行く先行く先に、いろんな社会問題に取り組んでいる弁護士さんだったり支援者の方だったり当事者の方だったり、いろんな話を聞いてたらびっくりしたんですよ。世の中ってこんな壊れてるのかって。

で、この世の中を作ったのは誰か?って考えたときに、地獄みたいな世の中を作ったのは誰か?って思ったときに「自分だな」と思ったんですよ。どうしてか? 社会のことを想いを馳せたりとかしてこなかったってことですね。自分の人生だけ考えて生きてきたけれども、その間に社会は壊れていってて、誰かのために声を上げたり何かのために声を上げるなんてことは、一切やってこなかったってことです。要は、無関心の先頭に立ってた自分がこの世の中作っちゃったんだなっていう。政府や東電やっていうようなところに向かってた怒りが、自分に向かってったんですよ。
だったら、仕事が無くなったこともいいことだし、じゃあ直接、国会の中に物を言ってやろうということで、初めて選挙に出たのが2012年冬、それ杉並(選挙区)でした。石原伸晃さんと戦ったってことですね。その、生まれて初めて選挙に出て、選挙とはどういうものかも知らずに初めて私がマイクを握った場所が、ここ阿佐ヶ谷なんですよ。この阿佐ヶ谷。で、ちょうどこの今、白いバンが停まっているところに街宣車止めて、「じゃちょっと演説、軽くして」って言われて、私、マイク持ったまま阿佐ヶ谷の駅前で4時間しゃべり続けたんです。だってわからないから。どこでやめたらいいかわからないし、人は入れ替わるじゃないですか。電車が来るたびに。だからどこでやめていいかわかんないから、4時間しゃべり続けたっていう思い出があるのが、ここ阿佐ヶ谷です。で、その選挙のときに、山本太郎を応援するっていうだけでもケチがつきそうな芸能界の中で、湯川れい子さんは応援に来てくださった。その湯川さんが今日も演説をしてくださいました。本当にありがとうございます。

(拍手)

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湯川れいこさんと言えば、わたし世代ですと作詞家として有名で、キャリアウーマンの先駆け的存在。幅広いアーティストに楽曲を提供しています。

そんな湯川さんで思い出すのは、25年前に読んだ『anemone 』というスピリチュアル系の雑誌。その中で湯川さんは連載記事を提供していた。

その記事の内容がどんなものだったのかを詳細に覚えていないけれど、その雑誌では身体に優しいレシピを紹介したり、家庭から天国を造ることを提唱していた、ゆるふわなスピ系雑誌でした。

もともと玄米食や無農薬野菜が好きで子育てを始めたばかりの私にとって、とても相性のいい雑誌だったことを記憶しています。

そんなスピリチュアル系の雑誌に湯川さんが記事を提供していて、その文面は少し変わった視点で物事を捉え、あえてスピリチュアルな側面を暮らしている私にも何の違和感もなく、スーッと湯川さんというスピリットが伝わってきました。

その時、遠くにいた湯川さんがとても近い存在であることを知りました。

その湯川さんが、山本さんの応援団の一人であることに驚きはありません。

とても心に響く応援演説でした。

社会の片隅に追いやられている人々や、地球で共存している生き物たち。全部ひっくるめて豊かに幸せになりましょう…

そのために今わたしたちができる最善は、自己愛と利他愛に目覚めた、わたしたち一人一人の生きる尊厳を守ってくれる政治家を育て、代表として選出していくことなのです。

みなさん、無関心を辞めて投票へいきましょう!


あるがままで










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