「電池交換お願いします」
「3週間かかります」
「は?」
「電池交換は外注に出すので3週間かかります」
「電池交換待ち、3週間って!ありえない。ここで買ったのよ。電池交換できないならそういう風に掲示しておいてくださいよ。だったらここで買わないし!」
「専門店がそちらにありますので聞いてみてください」
「ここは?ちがうの?」
「ここは、○○の経営のなかの時計販売であちらが時計専門店です」
「・・・・」
というわけで、同じフロアーの時計やさんに行って電池交換してもらいましたとさ。
で、私ってほんとおばさんになったなぁ~と。
20代30代だったら、電池交換で3週間待ちはありえない!までしか言えなかったと思うの。
買わないし!まで言っても対応している女子店員ただのレジ打ちさんで商品知識まである人ではないはず。そういう方にそこまで苦情をいっても仕方ない事なのにね。言ってしまう私って!
たぶん、私の言い分は正しい。
でも、受ける側がその正しさを受けるだけの許容量がないのだ。
もしかしたら、政治の世界もそうなのかも。
やること、やって欲しいこと、やらなければイケないことは山積。
だけど、それをこなすだけの「人」がいない。「知恵」もない。
受身の一般ピーメ[はただただ歯がゆい思いで事態がかわるのを待ってるという。
今の日本、嫌、昔の日本だってそんなこといっぱいだったはず。
いらいらせず、少しずつ少しずつ器をつくってゆくのが人の人生であり、組織の成長であり、社会の成熟、国のあり方なんだなぁ~と今きづいたわ。
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