過ぎた最悪の年の事を書いてみる
かかりつけ医に行き
総合病院に行くように言われ
実家近くに住む私は母と総合病院に向かう
検査するまでは父は会話も普通に出来たし
かかりつけ医での検査結果に異常があるというだけに見えた
検査している間に急変
医師に
親族の方に連絡を と。
母と私はすでに病院に居たが
妹は実家から50分程の距離に住んでいて
病院に連れていくのも何をするのも
どうしてもすぐに行ける私に母から連絡が入る
1時間ほどして妹が来た
いつも私が先に来ている事が気に入らなかったらしい
物も言わずすごい顔で私を見る
妹の子供はまだ当時中学と高校生でシングル
私は実家からも近いし、将来的に介護も始まるだろうからと
家の近くにあるスーパーに転職し
午前中は親の通院に充てて
午後からの出勤にしていた
母も私も妹の事を気遣っての事だったが
妹はそれが気に入らなかった
だけど妹は実家に顔を出すこともほぼなく、
電話で父の様子を聞くような事もなかった。
危篤状態だった父の側に、母と私が交代で病院で付き添った
妹は子供たちのお弁当や仕事もあるため
その状態は理解して欲しかった
峠は超え、容態は落ち着いたが
父はまだしばらく薬で朦朧としていた
昔の事を思い出しているのか夢の中のような状態で言葉を交わし合った
妹の姿は一度も見ることはなかったが
私や母のいない時を見計らって来ていたのかもしれない
ある日、父の着替えを持って病院まで行った時、妹と出会した。
妹が行くならと着替えを渡そうとすると
もぎ取るようにして、すごい顔で私を睨みつけ無視して行ってしまった。
母が妹の家に電話をした時
妹は不在で息子が出たらしい
その時
「お母さん(妹)は遊べる時は今しかないから」
と話の中でそう言ったと聞いた
信じられなかった
妹に
「私らいろいろ親不孝してるんだから
お父さん、いつどうなるか分からないんだ
から、詫びることやお礼を言うことあるや
ろ?後悔するよ」
と伝えると
「姉ちゃんは見てないからそんな事しか
言えないんや
私だって行ってる!
姉ちゃんはそうやっていつっも暴言
吐くよな」
え?え?
母と妹の折り合いが悪く、私は間に立って
お互いの気持ちに寄り添いながら言葉を掛けてきたつもりだった
暴言なんか吐いた覚えもない
私がおかしくなって来たのはきっとその辺りじゃないかと思う
看護師さんに
父を訪ねてくるような人はいるか聞いてみた
母と私以外に身内の人は来ていない
と言った
「遊べるのは今しかない」
と言ったのが本当だったとしたら
暴言吐いているのは妹じゃないか
来ていないって看護師さんも受付の人もそう言ってる
妹の話になるといつも泣いた
情けない、辛い、怒り、悲しみ、、、
いろんな感情が湧いて来て
「妹の話はやめて欲しい
聞くのも言うのも嫌だ」
母の前でも看護師さんの前でも
涙を止める事ができなかった
状態が落ち着いてから
緩和ケア病棟に移った
ここで最期を迎える事になっていた
しかし、病院から転院の話が出た
やむ無く転院し、
そこでしばらくは父も落ち着いていて
欲しいものが食べれて
病院の許可をもらって
お正月には餅を小さくしてお雑煮を作って行ったり、夏にはアイスコーヒーやアイスクリーム、父の好きなおはぎやいろんなものを持って行っては美味しそうに食べていた。
そのうち少しずつ食が細くなり
食べる事ができるものがだんだんと減っていった。
いつ何が起こってもおかしくない状態ではあるため、
結婚を決めていた息子は、彼女は振袖を着て結婚の報告を生きているうちにしたいと
父の所へ行った
その時点では息子は養子に行く事になっていた
彼女の母親から直接電話で
うちの娘は嫁に出すつもりはない
と聞いていた
息子も行くつもりでいたので
本人に任せていた
反対した覚えもない
本人がそれでいいならそうすれば良いと思っていた
話は戻り
母は保険会社に書類を父の自署で書かなければならない所を書いてもらうため
父にペンを持たせて
父は震える手で一生懸命書いていた
母は
そんな字じゃ分からんが
しっかり書かれ と言う
私は
お父さんだって一生懸命書こうとしてるんだから待ってあげて と何度も言った
食が細くなった父に
これも食べれんようになったんかな
しっかり食べんと と言う母
近所の人が亡くなった事を
誰それさんが死んだんよ
おとうさん、まだ死んだらいけんよ
市原悦子が死んだんよ
死んだ死んだ と食べる事も書く事も出来なくなっている父の前でいう母、、、
父はまだ生きているのに
葬式の準備を淡々と進める母
葬儀の時にはこの曲を流して欲しい
私はこの曲好きなんよ
誰のお葬式なの?
この曲を流してもらって父が喜ぶの?
何の演出なの?
母の言葉、母自体が私には理解できなくなって来ていた
折り合いの悪い妹の事を
あの子から電話がかかって来たら
またお金の事かと心臓が止まりそうになる
とか
話しやすいのはあの子よりあんた(私)
うんうんってあんたは聞いてくれるけど
あの子は一つ言ったら100返す勢いで喋るから何も言えない
とか
なのに
あの子は旦那がいないから
私が死んだらお金もないあるのはこの家だけだから
あんた(私)は遺産放棄して欲しい
と何度も何度も何度も言われ
葬式の日にも言われた
金が欲しくて母の手伝いをしているわけではない
そんなもの要らない と何度も言って来た
葬式の後
妹と私と私の主人
(私は再婚で主人は私の連れ子を2人育ててくれた)
の3人に遺産分けとして纏まったお金を出してくれた
私の主人には
血のつながらない子をよく育ててくれた
と、これだけしか出せないけど受け取って欲しいと。
私はその時
「要らんって言ったよな!」
と言うと
妹は
なんだかんだ言ってもこれからも
姉ちゃんには世話にならんといけないから
私は半分返す
これだけ受け取る と半分を受け取って
半分母に返して、母はそれを受け取った
私は、
は?え?
あんな態度や言葉を吐いておいて
これからも私に世話になる?
意味がわからない
私は
妹が側にいるのも嫌だったので
母にお金を返してその場から離れた。
主人は
私の分は貰う意味があるけど
自分は貰えません
と母に戻した
(私はその場にいなかったので実際に見てはいないが、主人は絶対にそうしたと見なくてもわかる そんな人だ)
だけど母は
いいから と言って二人分を主人に
渡し、礼をきちんと言って受け取った
3回忌があるまでの間だったと思うが
たくさんの事が一度にあったので
順序を覚えてない
私が息子に結婚の事を聞くと
自分たちで決めて報告するから
と言われ続けていた
突然、話があるといい家に彼女と来て
彼女の母親が別れた旦那とヨリを戻すと言い出して、嫁に行ったら?とか私の実家は跡継ぎがいないからおばあちゃんちの養子に入ったら?とか言い出したらしく
息子も怒り、彼女は泣き出して
結局嫁に来る事になった
この後、彼女の母親からその報告や詫びの言葉もなく、話だけが私たちは蚊帳の外で進んで行った
あれだけ二人で母親の事を怒っていたにも関わらず
私達のやる事を制限しておいて
介入しないでくれ
と散々言われて
嫁を取る事になったのに何をどうしたら良いのかもわからず
ただ自分達で決めるからとだけ言われ
何かすると
叱られ
何もしないでいると
彼女の母親や親戚はお祝いとかしてくるのに
お前らは何もしない
彼女が肩身の狭い思いをしている
と。
意味がわからない、、、
あちらと接触をするとまだそんな関係じゃないだろ!と激怒され
親としての存在を失いかけていた
そんな中、一人になった母は前にも増して
私の場所や時間の中に入り込んで来た
父への態度、言葉が頭から離れない
「今」こそがお互い 自由に好きな事ができる時ではないのか
私も自分の時間を過ごそうと思っていたが
母は違った
家に来る
電話はほぼ毎日
職場にも来る
ノイローゼになりそうだった
職場は職場でおかしな人達ばかり
「もうしばらく電話もメールも家にも来ないで!」
その言葉で状況は一変した
母は私の息子に
お母さんにこんな事言われた
お母さんがこんな事した
お母さんが
お母さんが
と息子に全部伝えた
主人と私に遺産分けで幾ら渡したと金額まで言って
礼も言わずにポケットに突っ込んで帰った
と そんな事まで伝えていた
息子は全面的に母の味方についた
息子からラインで文字の攻撃が始まった
(息子の)母として、(私の母の)娘として
人として 全てを否定された
お前ら、ばあちゃんからあれだけの金をもらっておいて
結納金も出さんってどういうことや!!
散々激しいありえない言葉で攻撃された
育ててくれた父親にも
人格否定するようなラインを送りつけて来た
すでに私は自分の存在がわからなくなっていた
毎日毎日、泣いて、
時には笑いながら
私なんかいなくなればいいんだ
私なんか死ねばいいんだ
私がバカだったんだ
と泣きながら笑っていた
夜 恐怖で目が覚めた
死神でもいるかのように
震えながら泣いた
死にたくない
死にたくない
死にたいと思っていたのに
死にたくないと声を震わせて言ってた
家に居たら頭がおかしくなりそうで
夜中、車で近くのコンビニで朝が来るまでコーヒーの飲んでいた
負の連鎖だ
私が何とかしないと終わらない
と思い
実家に行った
母に、なんでもかんでも息子に言わないで
と言った
そんなに私が邪魔なら、私の葬式にも来なくていい!! と怒鳴られた
私は瞬時に
縁を切られたと受け取ってしまった
泣きながら、どの道をどうやって帰ったのかも覚えてなく
ドラッグストアに立ち寄ったのは覚えていて
薬を買った
そこから家までもどうやって帰ったのか覚えてない
死神に操られてるかのようだった
家に着いて薬を全部飲んだ
家族ラインで(息子を除く)遺書を送った
どこか助けて欲しいと言う気持ちがあったのかもしれない
娘がすぐ気づいたようで
一人暮らししている住まいから来て
救急車を呼んだ
「おかあさん!
これ全部飲んだんっ???」
その声と
救急隊員の呼びかけは微かに覚えている
病院で目が覚めた時
号泣して
母と息子には絶対に言わないで
と叫んだ
死ねませんでした
オーバードーズでは死なないらしい
それからも息子からの攻撃ラインは続いた
文字だけで姿は一切現さない
その後、母とも息子とも絶縁した
孫が出来たそうだが
私達は死んだ事になっているそうだ
もう1歳半くらいになるだろうか
私達はおじいちゃん、おばあちゃんに
なった実感も全くない
会いたいとも思わない
許す気持ちにはまだなれない
80を超えた母も私が産んだ息子も。