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前回は重い話になってしまいましたが
自分を確認する為に綴りました。
気持ちの変化はなく、平常心で居られました。
明日、明後日はわかりませんが、
たぶん、時間が長い人生の一コマにしてくれていると感じています。
人は、苦しい事や悲しい事、体の不調、様々な困難にぶつかりながらも日々を乗り越えて
います。
周りをみれば幸せそうに見える人たちも
私に降りかかった困難と同じように
大なり小なり、他人に言わないだけでそれぞれ抱えているものがあるはずです。
それを糧にするか、バネにするか
妬んだり僻んだり人にその矛先を向けるか
どちらを選ぶかでその先の人生は決まってきます。
ある人は優しくありたいと言っています。
ある人は患った疾患を受け入れるには時間がかかりそうだけど頑張ると言っています。
私の場合は、今のところ精神疾患とコレステロール値が高いのとメニエルで聴覚に異常が少しある程度でメニエル以外はお薬を飲んでいれば何とか制限なく生活ができますので
意識の持ち方や捉え方、これまでの事を振り返って学習し、どうすれば生きづらさを軽減出来るかを考える事で回避できるし、改善も可能です。
相手がある事で問題が起きたのであれば
双方に問題があるのです。
また喜ばしい事も相手がある事ならば
双方が喜ばしい。
偏り過ぎた私の思考も、私をそうさせた「相手」があったから問題が起きた
そう考えたら、何もあんな事しなくて済んだのです。
事故でも割合があるように、
無差別殺人でもない限り
何らかの理由がお互いにあるのです。
私の母と息子は、今どんな思いでいるかは
わかりません。
だけど絶縁に至るにはそうなる理由があったわけです。
それをお互い考える事が出来たなら
いつになるかも分かりませんが
分かり合える時が訪れるのかもしれません。
今の時点でも相手はどうか分かりません。
でも私自身はまだそのような気持ちにはなれません。
私がここまでの気持ちになるまで約2年の月日が必要だったように、時間が答えを出してくれるでしょう
その時、母が生きているか、それもわかりません。
わからない事をいくら考えても答えは出て来ません。
それならば「今」をどのように過ごすか
楽しくするか、恨みや怒りを抱えたまま
心貧しく、人を寄せ付けない空気を漂わせて孤独に生きるか
どちらにするかは私自身です。
ある人が言われたように
私も優しくありたい。
心穏やかに、心が豊かでありたいです。
そして自分の周りに私を豊かにしてくれるような人達がたくさん集まって来てくれる
そんな人でありたいです。
歳と共に老化は進み、動きも鈍くなって行くでしょう。
それも全て受け入れて、嘆くだけではなく
「おばあちゃん元気?」と声をかけてもらえるような可愛いおばあちゃんになりたいです。
人生無駄なことは一つもないと言われます。
あの生死を分けた一件も何か意味があったのだと受け入れます。
生きていて良かったです。
皆さんと出会えて良かったです。