今日は、過激な表現もあると思うので、気分を害したら、すぐに画面を閉じて下さいませ。
小さな子供が、泣きながら親の元に飛び込んで来るのは、怖かったり悲しかったりで、抱き締めて貰う事で安心を得たいから。
抱きしめて「大丈夫」と撫でて貰い満たされる事で、優しい心や思いやりを育む事にも繋がる。
泣いて駆け寄っても、親に投げ飛ばされたら、身体が痛いより心が余計に悲しく辛く、解消したく、何度も駆け寄る・・・
だけど都度、投げ飛ばされたら、子どもの心はどうなるでしょう。
泣いて煩いから、押し入れに閉じ込める。
裸のまま外に放り出して、ドアの鍵を閉める。
今ならネットで騒がれたり、ニュースになったりするかもしれません。
それを100歩譲って許したとしましょう。許されませんが。
でも
泣いて煩いから、子どもを布団で巻いて、泣き止まないからと言って、その上に親が乗ったらどうなるでしょう・・・
子どもは死にます。圧死です。
息が出来ないから、泣く事も勿論出来なくなるし、小さな子どもでは、死は理解出来ない。
でも、息が出来ない苦しさから、これは大変な事になってしまう事は理解出来る。
息が出来ない苦しい時に子どもが出来る事は、たった1つしかありません。
この苦しみが終わるのを祈る事だけです。
でも、天使でも神でもなく人間は、苦しみと同時に憎しみを感じます。
この、上に乗っている重さ、やっている人間に対する憎しみです。
声も出さなくなった子どもに、我に返って止めたのでしょうか。
あと数秒で、子どもは死に、親は刑務所でした。
それは・・・たまたま死ななかったと言う結果で、人として許される行動ではありません。
弱く小さな子どもが、頼れるのは、守ってほしいのは、親しかいませんでした。
でも、その親に殺されかけたら、その子どもはマトモに育つんでしょうか。
案外、マトモに育ったとは思います。
周りの色んな人達のお陰で。
横浜では沢山の大人が近くにいたし、芦屋でも、お隣の宝塚スターさんが上質なバスタオルで、裸の私を包んで下さった。
初めに書いた事は、ずっと覚えてました、許しかけていました。
でも、死にかけた事は忘れていました。
苦し過ぎる出来事で、記憶が消えたのかもしれません。
ハッキリ思い出したのは10年前でした。
日頃から、娘や私は肉の脂は食べませんでした。
美味しいのは知っています。
身体を思って食べなかった。
「あんた達バカじゃないの?1番美味しいとこ食べないで」
そう言って食べていた親は、大動脈瘤が破裂しましたが・・・命は助かりました。
「お母さん、普段から1人で何でも出来る人?」頷くと・・・
「じゃあ勿体ないな」
手術前の先生の言葉の意味・・・
理解出来たのは、会計時でした。
ステントの手術だけで1000万は超え、ICU等、色々含め相当な額でした。
後期高齢者だった為、問題はなかったですが。
医師とは、そんなところ迄計算?するのか・・・なんとも言えません。
退院後の親のリハビリや日常生活を支える為、当時勤務していた銀行の電話の窓口の仕事を辞めました。
手を繋ぎ、歩行の練習を助け、入院で白髪が目立った髪を染めてあげた、その時!
髪を染めて貰いながら、親がTVを見て暴言を吐いているのを聞いた時・・・
何故?こんな人の髪を私が染めてあげないといけないのか・・・
疑問と共に思い出しました。
幼児期にされて来た事を。
そして、友人と富士の氷結の狭い洞窟に行った時に、息が出来なくなり、パニックになりそうになった時、確信しました。
何故、私は今まで、狭い所に怖くて入れなかったのか・・・
全てあの幼児期に死にかけたトラウマでした。
思い出してからの、この10年が苦しかった。
尚も続く乱暴な言動を見聞きする度、自分が壊れていった。
あの時、死んでくれてたら、と思う事もあった。
離れるには、親が年をとり過ぎていた。
今、目の前には、痩せ細った親がいて、同じ様な目に遇わせる事は出来ます。
でも、私の魂は、そこ迄汚れていないし、落ちぶれてもいない。
アウトローな世界に行き、恨み続ける事も出来た。
そんな世界の事も知っているし、そんな世界の人とお酒を飲む事もして来た。
でも、私の中には、高校でクラス委員をしたり、卒業時、学年の代表で挨拶した誇りがある。
祖母や学校に教えて貰ったテーブルマナーだって知っている。
皇族とだって食事出来る自信もある。
今の自分は、私が築いて来た上にあるけど、でも今なお私は、殺人未遂犯と一緒に生きているのです。
家族として生きているのです。
日々の葛藤は、同じ思いをした者でなければ分からない物凄いものです。
でも、その日常の中でも、落ち着ける漢方を服用し、日々感謝を見つけ、仕事に懸命に取り組み、ここでブログを書かせて頂いています。
性格が災いしてる
それは誰より私自身が!
自覚しています。
それが見え隠れしている事は、分かっています。
前を向いて進もうとしても、その言葉が胸に刺さっている間は、無理かな、苦しいかな、と思っています。
ヘラヘラしてる様でも、60年それなりに過ごして来た私の人生があり、その様な言葉を頂いても、正直、辛どいです。
母達の産みの親、私の本当の祖母は、結核で若くして亡くなっています。
三姉妹の長女である母が看病し、自身も結核を患い、結核の子達が集まる施設で、親元を離れて小学生時代を過ごし、二十歳まで生きられない、と言われたと言う経験を聞いています。
実際は4倍以上生きてますが。
戦後貧しい時代に、娘達の制服を祖母(大きいママ)が縫って作り、濃紺の生地が足りなくなり、母だけが青い生地で作った制服を着て学校に通った事も聞いています。
妹達が、いじめられて「お姉ちゃん」と泣いて来ると、物差しを持ってって、2度とやらない様にして来た事も・・・
幼稚園で、眠れる森の美女の劇で、やりたくなかった魔法使いの役をやった時「Kちゃんが1番上手で1番良かった!」と母が言ってくれた事も・・・
2人でピンキーと一緒に生きて来た日々の事も・・・
私の結婚式に、当時ハム作りの講師をしていた母が、1万の布巻ハムの引換券の往復ハガキを、100名全員の引き出物の袋に入れた事も・・・
1番欲しかった振り袖を買って貰った事も、好きな躍りや歌や英語を長年習わせてくれた事も、大学に行かせてくれた事も・・・
私が営業車で通いたく駐車場を探した時に、直ぐに祖父の店を駐車場にしてくれた事も・・・
私が娘と戻って来た時に、1人で行っちゃったけど、2人で帰って来てくれた、って喜んだ事も・・・
いつも強い母だった事も、みんな覚えています。
母が亡くなり、泣いた時に、全て流せる。
病院の先生は、そう仰いました。
年老いた親に伝えるべきか、このまま言わない方がいいのか迷い続け、生きてる内の解決を選び、昨年伝えました。
私が何を背負って生きて来たのか、今尚、虐待のニュースを見て「よく、こんな事が出来る」等聞く度に、どんな思いをしているのか、言えるのは、やった事がない人間だけである事も!
その他、苦しめられて私と娘が病気になっても、まだ変われないのか!と言う事も・・・
未熟でバカな親だった、と土下座して謝ってくれました。
何とか、生きている内に、全て流せないか、まだ模索し日々葛藤しています。
蒼の健気な優しい行動を見て、私も天使の心になれないか、自分に問いかけています。
母自身も変わりつつあります。
もう残された時間は長くはないので、そうなれる様、努めたいとは、思っています。
少しだけ、ブログをお休みさせて頂く時間を頂戴致します。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
もしよろしければ、追記で本意のほうを記していますので、もしかして、お読みになったほうが後味がマシかもしれません(?)💦
ちょうどのタイミングで、真逆のことが起こってしまい、残念な思いをされたことでしょう。ごめんなさい。
こちらでコメントいただいたあと、私の関係では改善気味なことがあったんです。なんだかけっきょく、私のほうが助けられたみたいで🙇
コメントいただいて、本当にありがとうございました。
やぐちゆみこ
何度もされたことでどれだけ傷ついてきたか…話しましたけど理解は得られず執念深いのねと鼻先で笑われて家を出ることにしました。
時が過ぎ今は認知症も進み世話をしなくてはなりません。実家に行くことがすでにキツくなかなかまっすぐには向かえません。父親は介護疲れが酷かったけどわたしが手伝い自分だけの時間が確保できたことでどんどん甘えが出てきて、結局あんたたち何にもかわらないじゃん、子どもは便利なツールじゃないんだよといつも思っています。ま、それでも同類になりたくないので人としてやらなくちゃいけないことはやりますけど(ーー;)
おそらく、もっと自分をこうしなきゃとか、ご自身に厳しく生きてこられたのではないでしょうか?
昔、いっけん、なにも欠点の無さそうな方でも、もしかすると悩みを抱えていた人もいたのかなって思ったし、何事にも共通するものがあると、この歳になって腑に落ちていたり。
いくところまでいった瞬間、この人たち、まったく逆を言ってる!と、いきなりわかった体験をしました。それは同時に自分が究極まで努力しきったとゴールを感じたのかもしれません。
土下座して謝ってもらったら、複雑な気持ちになるかもしれませんが、謝る必要も感じていない、悪いことをやったという意識もないまま という人も・・いるので、
それはそれで、悲しい中でも、一息ついてくださいね。
そのトラウマは今でも癒えていないし、母は未だにそんな事実があったことを認めてはいません。認知症が入って来たので、もう思い出してくれることはないと思います。そういうわけで、茉莉花さんのお気持ちは分かるような気がします。
ただ最近、母は脳梗塞で倒れたのがきっかけで入所した施設で、父と一緒の頃は味わったことがなかったらしい穏やかな日々を送っているためか、人格は変わって来ました。かつては私に一度も謝ったことがなかったのに、電話などで暴言を吐いたあとは「昨日はごめんなさい」などとわざわざ電話して来るようになりました。
茉莉花さんと親御さんにも、この後何か変化が訪れることをお祈りします。ブログは無理なさらずともよろしいかと存じます。応援しております。