jasmine*茉莉花のお気に入り日記

横浜生まれ横浜育ち🚢2023年還暦です🌼
コザクラインコ蒼(アオ)君や大好きな横浜、お気に入りや日々の思いを書きます♪

私はどうしても!そのバスに乗らなければいけなかった

2024-02-18 15:50:30 | 日記

お心を寄せて頂き、ありがとうございました。


書きたい事を、書きたい時に、また書いていこうと思います。
宜しくお願いします。


長いので、お時間のある時に読んで頂けると幸いです。


子どもの病気のお話が苦手な方は、画面を閉じて下さいませ。


春が近づくと思い出す事があります。
30年近く前のお話になります。
娘の名前の1文字を取って、ここでは花ちゃんと書かせて頂きます。

幼稚園の入園を楽しみに、手作りの幼稚園バッグ、絵本袋、上履き袋も完成した頃、娘は入園出来ずに、たった1人で入院しました。

3歳から習っていたバレエのストレッチで、身体が硬いとは思っていましたが、まさか病気とは思わずストレッチを手伝ってしまっていました。

「疲れちゃった、ママ抱っこ」
と、よく言う様になりましたが、抱っこすると喜んで笑うので、甘えているのかな、と思っていました。

立ち上がるのに「よいしょ」と言って手をついた時!
子どもがする行動ではなかったので、直ぐに近くの整形外科に行きました。

骨に問題はなく筋肉だと思う、と先生が仰り、子ども医療センターに紹介状を書いて下さいました。

子ども医療センターがどの様な病院かは・・・知っていました。
大学病院など、大きな病院では治療が難しい子どもが行く、子どもの病気に関わる全ての科のスペシャリストの先生方が揃った特別な病院です。
全国から、来る最後の砦です。


大変な事になってしまったのは、その時分かりました。


子ども医療センターへ行き、病名を明確にする為、様々な検査を行ないました。
当時、筋電図の検査は過酷でした。
麻酔は出来ない検査で、太い針を筋肉に刺し、電流を流します。
「ママー!」と泣き叫ぶ声
可哀想で胸が張り裂けそうでした。

病名は分かりましたが、直ぐには治療出来ませんでした。
ベットがないのです。
ベットが空く迄、自宅で待ちました。

その時、TVの「となりのトトロ」を見ながら、娘が「花ちゃんは、どうして、お病気になっちゃったんだろう・・・」って泣いた事が忘れられません。

「頑張って治そうね」と言って抱きしめる事しか出来なかった・・・
トトロを見ながら、2人で抱き合って泣きました。

代わってあげられない私は、どんな病気になってもいいので、花ちゃんの病気を治して下さい・・・
毎日、祈りながらベットが空くのを待ちました。


入院の日、片足を失ないストレッチャーで運ばれて行く男の子
「私○○宜しくね」と挨拶してくれた女の子は髪がありませんでした。
衝撃で胸が抉られる思いでしたが、娘は「うん」と返事をして受け入れていました。


当時、身体の不安からか、夜は私の袖口に手を入れないと寝れない娘でした。
いつも、私から離れられなかったので、幼稚園に行けるかな、と思っていましたが・・・
それどころではなく、私から離れてたった1人で、病気と闘う為、入院する事になってしまいました。


面会時間は、2時から7時
私がいる内に、何とか寝てしまう事が出来ないか!
私の袖口に手を入れて
必死に寝ようとする娘・・・
7時に帰らなければいけない私
頑張って堪えても涙が出てしまう娘を、笑顔で励まし、お別れし、二重扉を閉め、エレベーターに乗った途端、私も泣き崩れました。


面会時間をじっと耐えて待つ娘の為に、毎日2時のエーデルワイスのメロディが鳴ると同時に1番に会いに行きました。

お昼寝の時間の後なので、病室はまだ暗く、小さな子どもは寝ています。
娘は、もうお昼寝はしないので、暗い部屋で、1畳位のベットいっぱいにおもちゃを出して、1人で静かに遊びながら、毎日2時を今かと待ち続けていました。


でも、入院の間に、持参したマロンちゃんのテーブルで、クロスワードパズルをしたり、絵本をいっぱい読んだり、動けない中でも、好きな事、特技をを伸ばす事が出来ていたと思います。


面会時間の2時丁度に行ってあげる為に、毎日決まったバスに乗っていました。
普通の戸塚行きのバスは、何本も来ますが、子ども医療センター経由の戸塚行きのバスは、1時間に1本しかなく、私はどうしても、そのバスに乗らなければいけない為、早めにバス停に行き、待つ様にしていました。

いつもの様に、子ども医療センター経由のバスが見えて来ましたが、バス停に停車中の戸塚行きのバスの運転手が手招きして、先に行く様に促し、子ども医療センター経由のバスは、バス停に停まる事なく行ってしまいました。

暗いベットで時計を見ながら2時を待つ娘を思うと・・・
子ども医療センターは山の上にある為、間に合わない!
当時は、タクシーで行くと言う考えが回らず、どうしたらいいのか分からず、ややパニックになったまま、そのバスに乗りました。
そして・・・

「私は、さっきあなたが手招きして、先に行かせてしまった子ども医療センター経由のバスに、どうしても!乗らなければいけなかったんです」
運転手に言っていました。

暫く、走ったあと、運転手がマイクで「このバスは、子ども医療センター経由で運行します」と言いました。

他の皆さんにご迷惑をおかけする事は嫌なので、結構です、とお断りしました。

又マイクで「いいえ、このバスは、お客さま優先で!運行します」
そして、後ろを振り返り
「他の皆さんも、いいですね!」
と言い、乗客の皆さんが頷いて下さいました。

昔のバスは電光ではなかったので、行き先の字幕のローラーが回り、子ども医療センター経由の戸塚行きに変わりました。

そんな事は知らない、他のお母さん達が「医療センター経由が来たー!良かったねぇ」と言いながらバスに乗って来ました。

降りる前、運転手さんの元へ行き、最敬礼でお礼を伝えました。
娘の元へ2時に行く事が出来ました。
その日も暗闇で、こちらを見つめて待っていました。


私がいない間、娘を支えてくれたペンギンのトモちゃん、辛い気持ちも娘の涙も全て受け止めてくれた、片時も離れず娘を守ってくれた、神様の様な存在でした。

シーツ交換で、一緒にくるまれていなくなってしまった時は、トモちゃんがいない!とショック過ぎて泣く事も出来なかった花ちゃん・・・
ゴワゴワになっちゃったけど、帰って来たトモちゃんを、ずっと抱きしめていました。

今でも、トモちゃんは娘の分身、何よりの宝物です。
蒼は・・・神様だから触っちゃダメだょ!と言われ我慢していましたが、トモちゃんが大好き。
側に行っても神様のトモちゃんを触らず我慢して見ていたら・・・
お姉ちゃんとお揃いの、蒼のトモちゃんを買って貰えました。
「チュル」って優しく話しかけながらクチバシをつけて仲良くし
嬉しくて大事にしています。


お薬が始まる時、先生が
「お母さん、花ちゃんのお顔が変わります」と仰った。
ショック過ぎて理解出来なかった!
副作用で食欲が出て、花ちゃんの小さなお顔がパンパンになるなら、もう少し、上手に説明してほしかったな・・・
私はいつも1人で先生のお話を聞かなければならないから・・・
強くなるしか!ありませんでした。


実際、薬が始まると凄まじかった。
副作用で異常に食欲が出てしまう。
ご飯の時間が待てないで、小さな子はお腹が空いた!って、ご飯の数時間前から泣いてしまう・・・
余りにも我慢が出来ないので
「Hちゃん!しょうがないでしょ!」とお母さんが叱ってしまった・・・

その時看護師さんが直ぐに来て!
「お母さん!Hちゃんを叱らないで!Hちゃんが言ってるんじゃないんだから!お薬が言わせてるんだから・・・」
そして
「花ちゃんも同じだょね、泣きたいけど、お姉さんだから、我慢してるんだょね、偉いね」
黙ってジッと耐えている娘に、そう仰って下さいました・・・

そして、ご飯が運ばれて来ると、蓋についたご飯つぶから舐める様に食べて・・・
何日も食べていない人の様に、毎食たべていました・・・

その看護師さんは男性でしたが、お風呂の後、珍しく髪があった花ちゃんを、三つ編みにしたり、いつも可愛くして下さいました。
他の看護師さんも・・・
子ども達を支え守って下さり
今でも頭を下げて何度もお礼を言いたいです。


MRIの音を子どもは怖がってしまう為、麻酔の入ったシロップを飲んで行きますが
苦しそうに頑張って飲んでる娘に、頑張れるね、お腹も空いてるしね、と言ってしまった事がありました・・・馬鹿な親!

「お母さん!手!」
手の平に1滴垂らされたシロップ
「それ!舐めて!」
目眩がして気持ち悪くなり、吐きそうになりました。
「花ちゃんは今!これを飲んでるんです!!」
娘に心から謝り、反省するしか出来ませんでした・・・


入院は8ヶ月続きました。
手術や検査を頑張り、薬の量がやっと減り、歩ける様になり、退院する事が出来ました。

やっと!花ちゃんが私の元に帰って来た!
それから、私がやる事は・・・
花ちゃんを、私が治す!!と言う事。

当時、60年間、1度も訴訟問題を起こしていない、信頼のおける会社のニュートリションを、花ちゃんが飲み込める大きさに包丁で切って、毎日飲ませました。

病気の為には飲まなければいけなかったお薬の、副作用から身体を守るハーブが、そのタイミングで完成し発売され、合わせて飲ませました。

外来の度に、先生が驚く数値に回復し、私の選択が間違っていない事を確信し、飲ませ続けました。


退院後の1年間は、他の子どもと接して、法定伝染病になると命に関わる為、家から出られませんでした。

幼稚園には、卒園前の3ヶ月位、マスクをしながら通う事が出来ました。
不安な花ちゃんに寄り添い、私もハンドベルのチームに入り、園に顔を出す様にしました。

私も卒園した幼稚園の園長先生は「○子ちゃんの娘さんなのね!まぁ~花ちゃん、花ちゃん!」と娘の入園を喜んで下さいましたが・・・
病院は、親しか面会は出来ない為、在宅中に何度も会いに来て下さいました。
卒園後、花ちゃんの何十冊もの絵本を全て、園に寄付させて頂きました。

私が持っていたパネルシアターや、作り方等、教材の本たちは、子ども達を喜ばそうと作って下さっていた看護師さんの元に置いて来ました。


18歳迄は通う事が出来る、子ども医療センター。
娘が入院していた頃には、無菌室にGがいた!と聞いた事があるボロボロの病院でした・・・
何度も建て替えの署名を県に出しました。
ディズニーの様に生まれ変わった子ども医療センターも、最後に見る事が出来ました。

キレイなお姉さんになった花ちゃんを、先生に見て頂く事も出来ました。

そこへ行くといつも思います。
死んでしまおう、なんて思ってしまったら、ここへ来て、1時間でいいから座ってごらん。
こんなにも懸命に生きようと頑張っている子ども達がいるょ、って。


そして、同時期入院していた、共に命を繋ぐ為闘っていた、同じお部屋のお友達、花ちゃんを愛して下さり、ありがとうございました。

入院の日は、セーラームーンの日でした。
お部屋にTVが1つありましたが・・
男の子もいるし、録画して何度も見ていた大好きなセーラームーンまで我慢しないといけないんだ、と思っていました。
翌日、セーラームーン見れた?恐る恐る聞いてみると・・・
「うん!」の返事が!
だって花ちゃん、もう歩く事も出来ないのに、どうやってチャンネル変えられたの!
「あの子がやってくれたの」
1歳からずっと入院している、花ちゃんよりお兄さんのY君が笑ってこちらを見ていた顔が、今でも忘れられません!

N君は「花ちゃんママ、ボクはね、花ちゃんと結婚したいんだょ!でもダメなんだょ!花ちゃんはFクンと結婚しちゃうから・・・」
1歳から好きなFクンの事を話した様で・・・
お喋りが好きなNクンは、やりきれない気持ちを先生や看護士さん、みんなに話していました。

みんな、どうか、お元気でいて下さい。
北海道など遠い親御さんは、アパートを借りて、お父さんとお母さんが順番で面会に来ていました。
北海道に、元気で帰れました様に。

初めて、子ども医療センターを訪れた日。
「お母さん、僕は初めはこの病気の事が分からなかった。でも、今は治療法も分かった。最初に治療したお子さんは、お母さんになって会いに来てくれますよ。」
何より励ましのお言葉を下さり、花ちゃんを治療して下さった先生方、どうぞ、お元気でいらして下さい。

そして・・・
私の愛する娘を守ってくれた、私を誰より愛する、お兄ちゃん・・・
ありがとう!

花ちゃんは、もっと小さい時に、お兄ちゃんに会っています。
「誰か見てるょ」
お顔、髪形、メガネをしてる事も、花ちゃんの説明は・・・
お兄ちゃんでした!
私だって!会いたかったょ・・・


入院で、一生分の涙を流した娘は、その後の人生で1度も泣いていません。
卒業式も、いつも笑っていました。


何等なんて関係ない、花ちゃんが走る事が素晴らしい事!と伝えても、走るのが苦手な娘は、拒否反応で運動会の日はよく熱を出していました・・・
それでも、自分が先頭だから休んだらみんなが移動出来なくて困っちゃう!と言って、ダンスの時間だけ熱があっても頑張って出た事もありました。

6年生になって、白組の団長をした花ちゃんは、学ランを着て大きな声を出して、赤組に応援を贈り、逞し過ぎて、涙が止まりませんでした。

高校で、ダンス部に入れる位になれました。最高にカッコ良かったょ!花ちゃん!


私の人生の、どんな事とも比べられない程の辛い思いを、わずか4歳で体験してしまった花ちゃん。
その後も、あなたは人として立派です。
私が真似出来ない事を日々実践し、継続している。
何事も文句を言わず、差別の心など無く、全て堂々と受け入れる姿を見せて、学ばせてくれる。
私を、人として、ここ迄成長させてくれて、ありがとうございました。
でも、まだまだ至らない母・・・
迷惑をかけるつもりはないけど、どうか、これからも間違えた時は、教えて下さい。



命より大切なあなたが、永遠に大好きです!!!



長いお話に、最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。





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12 コメント

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Unknown (luffy000616)
2024-02-18 16:28:32
私が今、入院してる病院には
小児科はあるんですけど
小児病棟はありませんが
以前入院していた病院には
小児病棟があり、、、
必死に病気と闘ってる
親御さん達を見てましたが、
子供が風邪をひき
熱を出しただけでも
代わってあげたいと思うのに
重い病気なら、、、
お察しします。
苦しみを乗り越えた娘さんは
人の痛みを分かるだろうし
これからも生きて行く力強さは
誰よりもあるんでしょうね
返信する
Unknown (aokun115)
2024-02-18 16:50:58
@luffy000616 真衣さん🎀
いつもありがとうございます🍀
お陰様で、逞しく優しい大人になってくれました😌
真衣さんの入院、リハビリが終了し、退院されて🍀お肉を食べる日が早く来ます様に、お祈りしています🎀
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Unknown (なおとも)
2024-02-18 16:59:48
本当に感動しました。よく頑張られましたね。
胸に迫るものを抑え、心を震わせながら最後まで拝読しました。元気で美しい女性に成長され、どんなにか嬉しかったでしょうね。本当にお母さまのお気持ちを思うと言葉がありません。
普通である事に感謝する気持ちをさらに教えて下さり、本当に有り難うございました。
その時のお友達皆様がお元気でお幸せでありますように、お祈りしています。 なおとも
返信する
Unknown (aokun115)
2024-02-18 17:15:04
なおともさん🎀
いつも有り難いお言葉を頂き、感謝申し上げます。
30年近く前の事ですが、この季節が来ると昨日の様に思い出してしまいます。
なおともさんが仰られた様に、私も平穏に過ごせる日々に改めて感謝です。
お部屋のお友達の事も、今でも夢をみます。
素敵な大人になって下さってると思います✨
長くなりましたのに、最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました🎀
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Unknown (marimari58)
2024-02-18 20:40:08
こんばんは。
涙涙で読ませていただきました。
本当に辛い辛い治療を経て、今はお元気に過ごされているとのこと。本当に良かった。
きっと人の痛みがわかる、本当に素晴らしいお嬢さんでしょうね。

私の娘は次男を妊娠中に障がいがあることがわかり、産んで1ヵ月でその子を亡くしました。
結局自宅には戻ることができず、亡くなるまでICUに入っていたので、毎日毎日母乳を届けに病院まで私が車に乗せて連れて行きました。
最後はママの腕の中で亡くなり、娘は色々な管が取れてやっと楽になったのでホッとしたと言っていました。
今生きていれば10歳になります。
そのことと、この記事のお話がだぶりました。
結果は違いますけどね。
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Unknown (aokun115)
2024-02-18 21:12:33
@marimari58 marimariさん、いつもお世話になります🎀
お辛いこと思い出させてしまいましたね😢
お話下さってありがとうございました。
娘さん、どんなにお辛かったか!
お孫ちゃんのことに加えて、娘さんの気持ち、2つを思われていたmarimariさんは、2倍お辛かったですね😣
最後にママの腕の中で、そして娘さんが仰って下さった言葉に頷き、神様の元に一旦帰られたんですね。
また違う形で、娘さんと出会い、今度はずっと一緒に、お話したり楽しい時間もいっぱい過ごして下さる事、心からお祈りしています。
読んで頂き、大切なお話教えて頂き、本当にありがとうございます🎀
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Unknown (yyinsectbird52127)
2024-02-19 00:44:20
こんばんは😃🌃
神奈川中央交通(カナチュウ)のバスの写真がとても懐かしかったです。
上京した頃に良く乗り、車体の色を覚えています。
バスの運転手さんに声をかけたこと、運転手さんが通り道を変えてくれたこと、とてもいいお話を聞かせていただきました。✨心があたたかくなりました。
やぐちゆみこ
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Unknown (aokun115)
2024-02-19 08:34:41
@yyinsectbird52127 ゆみこさん😌
おはようございます✨✨
そうでしたか、ゆみこさんも乗られていたんですね✨神奈中。🚌
色変わっていません、ずっと😌
私が普段乗る市営バスも、市電の頃から変わっていません(何故か肌色にブルー)が、最近は新しく白×ブルーが出て来ました⚓️
子ども医療センターには、神奈中バスが行ってくれて、とても助かり、外来含めて14年間お世話になりました🍀
ゆみこさんに、いつも、お心を寄せて頂き、ハートがあったまり😌前向きになる事が出来ます✨
本当にありがとうございます🎀
返信する
Unknown (ぐふ)
2024-02-19 14:44:27
お子様も聡明でいらっしゃるけど、
aokunn115さんも、文字通りお子様に親身になられて、心うたれます。
私だったら、あるいはお子さんのことでなければ心の中で叫ぶだけでバスの運転手さんにかけあわなかったかもしれません。きっと
aokunn115さんが上手にお話しできたからでしょうし、運転手さんが最善のことをなさって、心温まることでしたね。
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Unknown (talk_to_keijiro)
2024-02-19 16:13:08
aokunn 115様、
この記事を何度か読ませていただき、
コメントさせていただきます。

全編辛くて痛々しい描写に胸が潰される思いがいたしましたけど、
この記事は、
必死に苦しみを乗り越えながら今日を迎えておられるaokunn115様の娘さんの、
生きた者の記録であり、
生きることの愛のメッセージだと思わされました。

麻酔無しに、
大きな注射針を打たれた上に電気まで流されて、
大人でさえ悲鳴を上げます。
それを4歳で耐えられて、
他の薬物の副作用から心理的苦しみまで耐えてこられたんですから、
aokunn 115様の娘さんのお姿を通しまして、
生きることを中途半端に考えること自体、
間違っていると反省させられました。

こうして必死に生きて、
必死に回復されたからこそ、
熱が出ても、
運動会の練習に先頭切って参加される責任性が養われられたんだと思います。
他者を思いやることが出来る方ほど尊い人はいません。

私も、
この記事を読ませていただきつつ、
今元気に生きている奇跡に感謝しつつ、
生き甲斐を更に強く持って、
歩んでいきたいと思っております。

いろいろと思い出されながら記事化されて、
辛い時も幾度かあられたことでしょう。
けど、
この記事は、
勇気を持って苦しみを耐え忍んで今日を迎えた娘さんの、
勝利の記録として、
私の心に留めさせていただきます。
そして、
aokunn 115様と娘さんやご家族様のことを、
常に、
お祈りさせていただきます。
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