上海万博のニュースが
飛び交う様になりましたけど
そういえば愛・地球博から
早くも5年が経過したのですね。
このブログを書き始めたのが
丁度愛地球博閉幕後でしたので、
ブログにその愛地球博の記事は
有りませんので一寸思い出を。
この愛地球博の会場は、
私の自宅から自転車でも行ける距離。
(もっとも自転車では行っていないけど)
実に地元での開催でありました。
もともと愛知青少年公園という
広大な施設をベースしながらも、
瀬戸の自然の山々を利用するという、
今思うとやはり大きなイベントでした。
大鷹問題などが毎日報道されながら、
テロ対策等も大騒動だったのも思い出。
施設建設中から仕事柄出入りをし
車が泥まみれになること度々。
あの時知り合った建設現場の方々は、
結構東京の人が多かったのも印象的。
アクセス道路の東海環状自動車道も
あっという間に出来上った感でありました。
建設に携わる企業のみならず
準備中も開幕中も、私たちの会社は、
とあるヨーロッパの有名な大国と
直接お取引させて頂けたのも良い思い出。
本国からの入金に感慨深いものでした。
ただそこのお国の仕事は、
とてつもないハードな仕事でも有りました。
本国と調整をとりながら決められるそれは、
やはり過激な納期であったり、
究極な変更であったり。
担当者ではまかない切れない事柄を
フォローしていたのも懐かしい思い出です。
しかしながら、日本では
何が何でも間に合わせろ!的な
文化があるのに対して、その国は
出来ない場合には次の手立てに移行する
その柔軟な姿勢に助けられた覚えがあります。
勿論、そこに行き着くまでの
努力を認めて頂いた上での判断でしたが。
ところで、そんな愛地球博
覚えておられる方も多いと思いますが、
開幕直後は全く混み合わず
大丈夫?と思えるような状態。
仕事のみならずレアサウンズも
ここのお祭り広場で演奏をしましたが、
これもまた準備から大騒動だったのを
今思い出すのです。
搬入から撤収までの段取り。
嫌になるほど回数を重ねた打ち合わせ。
下見で会場入りをしたほどでした。
そして何より異様なほどの警備。。
その割りに当日駐車場はガラガラ。
で思い出したのが、レアサウンズ
旧ホームページに残る練習日誌。
結構まめにつけていたものですが、
こういう時に思い出として蘇ります。
折角なので(何が折角)その日の記事を、
ここに全文掲載したいと思います。
05年4月10日の出来事だったようです。
愛・地球博出演
本日を迎えるまでに本当にいろいろなことがありました。
万博という国際的一大イベントに参画できるという事の
意義の為に、困難と矛盾、そして超煩雑な手続きを
全てクリアして出た今日のステージは、
いつもの「充実感」とは一味違う、
言うなれば「達成感」のあるステージでありました。
9時、いつもの練習場に集まった面々は、遠足気分。
車に乗り合って演奏に出かけることが
久し振りであったと言う事もあってか、妙に楽しそう。
今回の万博演奏での第一関門が、楽器搬入。
テロ対策という事で、随分前から搬入車両の車検証から、
楽器の保険にいたるまでの手続きが済ませてあります。
搬入班は本当に今日はご苦労をかけました。
M崎・F原両氏の自家用車を利用して、
搬入班出発。直接万博会場に乗り付けです。
続いて、「手ぶら」組は、「老人クラブ」「中年クラブ」
「中年予後軍」の3班に別れ、ワゴンに乗って出発。
目指すはシャトルバス発着所の長久手駐車場。
出発時いきなり老人クラブから、「コンビニによって~」と。
確か老人クラブは朝の9時だというのにもかかわらず、
アルコールの匂いが漂っていたような。
先行きにとても不安が過ぎる。
3台の先導を任された私は、走り出して間もなく
やむを得ずコンビニに到着。なーんと、
3台からほとんどの人が外にでてお買い物。
あのねぇ、長距離ドライブじゃないんだからね。
老人クラブの面々は、缶ビールをコンビニビニールが
はちきれそうなほど買っているではないか。
思わず「万博会場持ち込み禁止ですよ」と私。
「知ってるよん。移動中に呑んじゃうからねー」だと。
刈谷から長久手までのほんの40分程の道中。
私の不安は更に深まる。
気持ち悪いほど空いている万博への道路。
これで良いのだろうかと思ったのは私だけでないはず。
会期前の想像では、とても乗り入れることは
出来ないであろうと思っていた会場お膝元
「長久手駐車場」へは全く難なく到着。
そしてその駐車場の空き具合に思わず
「アピタ開店の時の方が明らかに混んでいた!」
一台3000円也を支払いシャトルバスに乗り込む。
これが又空いている!おーい、むこうに客はいるのか??
しかし、老人クラブは何しに来たのだろうか。
老人クラブ代表格F込氏にいたっては、
真っ赤な顔をしながらバスに乗り込むや
「後は飯食って帰るだけだぁ」と結構真面目な顔で仰る。
あのねー、何しに来たっちゅうの!!と一同。
会場に入って、ある程度の人ごみにやや安心?!
目指す愛知県パビリオンへ、真っ赤なジャンバーに
身を包んだ変なおっさんの団体が進む。異様な光景だ。
確実にダレタ親父行列、何処かで経験したような気が・・。
そうそう、アメリカモンタレ-の時も、会場とホテルの間を
こうしてブラブラと歩いたことを思い出しました。
それにしても、会場は広い。
演奏までのかなりの時間、楽器の番を交代にしながら
順番に万博見物。とはいっても、私個人的には、
余り興味なし。仕事でお世話になった外国のパビリオン等、
メンバーと一緒に行きました。
異国の香りを随分感じることは出来ましたが、
見た国々のパビリオンは、どれも最新の機材を駆使しての
映像の配信に尽きるような気がしてしまいました。
本番は持ち時間約40分。我々は5曲を用意しての出演です。
今日はずーっと曇り空でしたが、この空模様は
演奏をする我々にとっも、客席におられるお客様にとっても
最高の天気。暑くもなく寒くもなく、そして風もなく。
この後の会期中でもなかなか無いであろう、
もってこいの天気でなかったでしょうか。
何分客席は露天。当然雨ではだめだし、かといって
昨日のようなカンカン照りでは暑すぎて
お客様が定着してくれない。出来についてはこの際、
どうでも良いというと怒られますが、
それなりにこなしたつもりですが、
天気には助けられたというところですね。
そうそう、ステージはそんなに広い訳では無いのですが、
我々の後ろに大きな液晶テレビ。演奏開始まえは
我々のバンド名などが紹介されていたのですが、
演奏中は、生の映像でソリストなどがドアップで
そこに映し出される。一寸だけさすが万博!
お金かかってる!と思った瞬間でした。
終演後、またまた少々面倒な手続きを済ませ搬出
(搬出に手続きが要るというのは何なんだろうか~)
赤いジャンバーを着た半分酔っ払い軍団も、
無事その団体行動をすませ、西出口で記念撮影
(搬入班の方ごめんなさいね)の後、今度は一転
大混雑のシャトルバスに乗り込み、
帰宅の途についたのでありました。
事前に出演を済まされたご同業バンドの方からは、
色々注意事項などを承っておりました。
しかし危惧する事は一切無く、
事前に言われていた対応の不具合についても、
逆にとても親切にしていただいた程でした。
多分スタッフの方が場に慣れられたということが
最大要因でありましょうが、担当しました私に、
全く欲が無い事(我々の主張は最小限度でよい)が
功を奏したのではないかなぁと思っています。
以後出演予定のご同業バンド様。ステージスタッフさんに
全く不安はありませんのでご安心ください。
事務局で随分苦労をした私にとっては、
つくづく苦労をした分良いステージであったと感じました。
こういうイベントも、周りの方の期待どおり出来ると言う事が
バンドとしての実力につながっていくのだと思います。
これからもできる限りこのようなイベントには積極的に参加し、
バンドとしての魅力を磨いていけれれば良いと感じました。
皆さん、ホント丸1日お疲れ様でした!
ところで、この後連休明けごろから
どんどん混み出したのは皆さんもご承知のこと。
私も家族で行った時には4時間5時間待ちの
パビリオンの数々に閉口した覚えです。
ただ地元開催のイベントが最終的には
大盛況で終わったというのは良い思い出。
最近子供をつれて公園に行く事など
全くと言って良いほどなくなってしまったが、
今度時間が有った時、この記念公園にでも
愛犬と一緒に行ってこようかな。。。
飛び交う様になりましたけど
そういえば愛・地球博から
早くも5年が経過したのですね。
このブログを書き始めたのが
丁度愛地球博閉幕後でしたので、
ブログにその愛地球博の記事は
有りませんので一寸思い出を。
この愛地球博の会場は、
私の自宅から自転車でも行ける距離。
(もっとも自転車では行っていないけど)
実に地元での開催でありました。
もともと愛知青少年公園という
広大な施設をベースしながらも、
瀬戸の自然の山々を利用するという、
今思うとやはり大きなイベントでした。
大鷹問題などが毎日報道されながら、
テロ対策等も大騒動だったのも思い出。
施設建設中から仕事柄出入りをし
車が泥まみれになること度々。
あの時知り合った建設現場の方々は、
結構東京の人が多かったのも印象的。
アクセス道路の東海環状自動車道も
あっという間に出来上った感でありました。
建設に携わる企業のみならず
準備中も開幕中も、私たちの会社は、
とあるヨーロッパの有名な大国と
直接お取引させて頂けたのも良い思い出。
本国からの入金に感慨深いものでした。
ただそこのお国の仕事は、
とてつもないハードな仕事でも有りました。
本国と調整をとりながら決められるそれは、
やはり過激な納期であったり、
究極な変更であったり。
担当者ではまかない切れない事柄を
フォローしていたのも懐かしい思い出です。
しかしながら、日本では
何が何でも間に合わせろ!的な
文化があるのに対して、その国は
出来ない場合には次の手立てに移行する
その柔軟な姿勢に助けられた覚えがあります。
勿論、そこに行き着くまでの
努力を認めて頂いた上での判断でしたが。
ところで、そんな愛地球博
覚えておられる方も多いと思いますが、
開幕直後は全く混み合わず
大丈夫?と思えるような状態。
仕事のみならずレアサウンズも
ここのお祭り広場で演奏をしましたが、
これもまた準備から大騒動だったのを
今思い出すのです。
搬入から撤収までの段取り。
嫌になるほど回数を重ねた打ち合わせ。
下見で会場入りをしたほどでした。
そして何より異様なほどの警備。。
その割りに当日駐車場はガラガラ。
で思い出したのが、レアサウンズ
旧ホームページに残る練習日誌。
結構まめにつけていたものですが、
こういう時に思い出として蘇ります。
折角なので(何が折角)その日の記事を、
ここに全文掲載したいと思います。
05年4月10日の出来事だったようです。
愛・地球博出演
本日を迎えるまでに本当にいろいろなことがありました。
万博という国際的一大イベントに参画できるという事の
意義の為に、困難と矛盾、そして超煩雑な手続きを
全てクリアして出た今日のステージは、
いつもの「充実感」とは一味違う、
言うなれば「達成感」のあるステージでありました。
9時、いつもの練習場に集まった面々は、遠足気分。
車に乗り合って演奏に出かけることが
久し振りであったと言う事もあってか、妙に楽しそう。
今回の万博演奏での第一関門が、楽器搬入。
テロ対策という事で、随分前から搬入車両の車検証から、
楽器の保険にいたるまでの手続きが済ませてあります。
搬入班は本当に今日はご苦労をかけました。
M崎・F原両氏の自家用車を利用して、
搬入班出発。直接万博会場に乗り付けです。
続いて、「手ぶら」組は、「老人クラブ」「中年クラブ」
「中年予後軍」の3班に別れ、ワゴンに乗って出発。
目指すはシャトルバス発着所の長久手駐車場。
出発時いきなり老人クラブから、「コンビニによって~」と。
確か老人クラブは朝の9時だというのにもかかわらず、
アルコールの匂いが漂っていたような。
先行きにとても不安が過ぎる。
3台の先導を任された私は、走り出して間もなく
やむを得ずコンビニに到着。なーんと、
3台からほとんどの人が外にでてお買い物。
あのねぇ、長距離ドライブじゃないんだからね。
老人クラブの面々は、缶ビールをコンビニビニールが
はちきれそうなほど買っているではないか。
思わず「万博会場持ち込み禁止ですよ」と私。
「知ってるよん。移動中に呑んじゃうからねー」だと。
刈谷から長久手までのほんの40分程の道中。
私の不安は更に深まる。
気持ち悪いほど空いている万博への道路。
これで良いのだろうかと思ったのは私だけでないはず。
会期前の想像では、とても乗り入れることは
出来ないであろうと思っていた会場お膝元
「長久手駐車場」へは全く難なく到着。
そしてその駐車場の空き具合に思わず
「アピタ開店の時の方が明らかに混んでいた!」
一台3000円也を支払いシャトルバスに乗り込む。
これが又空いている!おーい、むこうに客はいるのか??
しかし、老人クラブは何しに来たのだろうか。
老人クラブ代表格F込氏にいたっては、
真っ赤な顔をしながらバスに乗り込むや
「後は飯食って帰るだけだぁ」と結構真面目な顔で仰る。
あのねー、何しに来たっちゅうの!!と一同。
会場に入って、ある程度の人ごみにやや安心?!
目指す愛知県パビリオンへ、真っ赤なジャンバーに
身を包んだ変なおっさんの団体が進む。異様な光景だ。
確実にダレタ親父行列、何処かで経験したような気が・・。
そうそう、アメリカモンタレ-の時も、会場とホテルの間を
こうしてブラブラと歩いたことを思い出しました。
それにしても、会場は広い。
演奏までのかなりの時間、楽器の番を交代にしながら
順番に万博見物。とはいっても、私個人的には、
余り興味なし。仕事でお世話になった外国のパビリオン等、
メンバーと一緒に行きました。
異国の香りを随分感じることは出来ましたが、
見た国々のパビリオンは、どれも最新の機材を駆使しての
映像の配信に尽きるような気がしてしまいました。
本番は持ち時間約40分。我々は5曲を用意しての出演です。
今日はずーっと曇り空でしたが、この空模様は
演奏をする我々にとっも、客席におられるお客様にとっても
最高の天気。暑くもなく寒くもなく、そして風もなく。
この後の会期中でもなかなか無いであろう、
もってこいの天気でなかったでしょうか。
何分客席は露天。当然雨ではだめだし、かといって
昨日のようなカンカン照りでは暑すぎて
お客様が定着してくれない。出来についてはこの際、
どうでも良いというと怒られますが、
それなりにこなしたつもりですが、
天気には助けられたというところですね。
そうそう、ステージはそんなに広い訳では無いのですが、
我々の後ろに大きな液晶テレビ。演奏開始まえは
我々のバンド名などが紹介されていたのですが、
演奏中は、生の映像でソリストなどがドアップで
そこに映し出される。一寸だけさすが万博!
お金かかってる!と思った瞬間でした。
終演後、またまた少々面倒な手続きを済ませ搬出
(搬出に手続きが要るというのは何なんだろうか~)
赤いジャンバーを着た半分酔っ払い軍団も、
無事その団体行動をすませ、西出口で記念撮影
(搬入班の方ごめんなさいね)の後、今度は一転
大混雑のシャトルバスに乗り込み、
帰宅の途についたのでありました。
事前に出演を済まされたご同業バンドの方からは、
色々注意事項などを承っておりました。
しかし危惧する事は一切無く、
事前に言われていた対応の不具合についても、
逆にとても親切にしていただいた程でした。
多分スタッフの方が場に慣れられたということが
最大要因でありましょうが、担当しました私に、
全く欲が無い事(我々の主張は最小限度でよい)が
功を奏したのではないかなぁと思っています。
以後出演予定のご同業バンド様。ステージスタッフさんに
全く不安はありませんのでご安心ください。
事務局で随分苦労をした私にとっては、
つくづく苦労をした分良いステージであったと感じました。
こういうイベントも、周りの方の期待どおり出来ると言う事が
バンドとしての実力につながっていくのだと思います。
これからもできる限りこのようなイベントには積極的に参加し、
バンドとしての魅力を磨いていけれれば良いと感じました。
皆さん、ホント丸1日お疲れ様でした!
ところで、この後連休明けごろから
どんどん混み出したのは皆さんもご承知のこと。
私も家族で行った時には4時間5時間待ちの
パビリオンの数々に閉口した覚えです。
ただ地元開催のイベントが最終的には
大盛況で終わったというのは良い思い出。
最近子供をつれて公園に行く事など
全くと言って良いほどなくなってしまったが、
今度時間が有った時、この記念公園にでも
愛犬と一緒に行ってこようかな。。。
わたしも43歳だったと思うと
それだけでも感慨深いものです。
たったあれだけのステージのために
本当に何度も打ち合わせを繰り返しました。
そのうち怒り出す人や自己主張ばかりする人など
人間ウォッチングが出来た思いです。
警備についてもそれだけで一日がかりの説明でしたかね。
それなのにそんなことでしたか。
こんなイベントは以後ありえないかもしれませんが、
演奏できる機会が有る以上、苦労をしても
出来るだけ参加すべきだと言うことが
勉強になったイベントでしたね。
そういえば、その数年後にうちの会社に入社してきた社員が、学生時代によさこい踊りで万博に出演したんだとか。世間は意外と狭いですね。