先日「許せん」とのタイトルで書いた日記。
あの時思い出した、実に8年も前の出来事。
まだ私も30代の若い時に経験をした事を
社内報に寄稿していた原稿が出てきたので転載。
改めて思い出すこの時の経験は、
少なくともその後8年の私の子育てに生かされている。
先日投稿いただいた方に、これがどう映るのか
又、色々な立場の方に、これはどう映るのか
若干心配では有りますが、私の「思い出」として
読んでいただけたらばと思います。
ある方のお誘いで、秋晴れの秋分の日、私は養護施設の子供たちとともにデイキャンプを楽しんだ。その数、約二百人。様々な理由で親とともに生活が出来なくなった子供たちを預かるというこのような施設、名古屋市の一部だけでもこんなに沢山の子供が居ると言うのも驚きであるが、急激な増加傾向にあるその理由と現実に驚く。虐待である。目の当たりに「あざ」が出来てしまった子どもたちを見たとき、心が凍りつく思いであった。
今回私に声がかかったのも、子供が増加していてボランティアの手が足らない事からであった。様々な団体から、又個人として、老若男女問わず様々な人達がボランティアとして参加していた。ただし参加ルールとして、自分の子供を連れてこない事。当たり前だが、非常に大切な事であった。我々の役割は、子供と手をつないで一緒にいてあげること。短い時間だけれども、親代わりになって話を聞いてあげること。実に簡単な事なのだが、子供たちはそういうことを必要としていた。始めは人見知りしながらも、二言三言話をした後は心を開いてくれる。そして、どこにでもいる普通の子供たちと同じになる。子供独特の目の輝きは、様々な事を経験したであろうこの子供たちも、全く同じだ。
こんな事があった。いろいろなゲームの企画があり、その中の玉入れをしていた時であった。私ともう一人私の友人とで、しゃがんでこの玉入れの「かご」の棒を支えていた。ゲームが始まるやいなや、すさましい勢いで「かご」をめがけ玉を投げ入れる。これだけの人数が玉入れに興ずれば、すごい数の玉が中に舞っている事となり、ご想像のとおり、棒を支える私の頭にいくつもの玉が当る。痛い。よりによって玉がちょっと堅い。本当に痛い。そんな時、小学校低学年くらいであろう男の子がやってきて、私の頭と、友人の頭に手をかざした。「痛くない?」彼の優しい言葉は今でも心に響いている。友人が「大丈夫だから玉入れやっておいでよ」と言うと、「おじちゃんたちがかわいそうだから・・・」ふっと上を見、小さなその手の間から見えた優しい顔。涙が出そうになった。
「私たちみたいに遊んであげてね」と、朝、送出してくれた娘たちに迎えられ家に帰った。改めてこの子供たちの責任者である事を再認識し、しっかり育てなくてはと言う使命感を覚えた。普通の状態であると言う事の幸せ。非常に貴重な経験をさせていただいた。
この運営団体は名養クラブデイキャンプと言う組織で、
現在の会長は、私より2つほど若い、
バイタリティー溢れる知人社長がやっておられる。
こういう事に精力的になる彼も又、私は尊敬している。
あの時思い出した、実に8年も前の出来事。
まだ私も30代の若い時に経験をした事を
社内報に寄稿していた原稿が出てきたので転載。
改めて思い出すこの時の経験は、
少なくともその後8年の私の子育てに生かされている。
先日投稿いただいた方に、これがどう映るのか
又、色々な立場の方に、これはどう映るのか
若干心配では有りますが、私の「思い出」として
読んでいただけたらばと思います。
ある方のお誘いで、秋晴れの秋分の日、私は養護施設の子供たちとともにデイキャンプを楽しんだ。その数、約二百人。様々な理由で親とともに生活が出来なくなった子供たちを預かるというこのような施設、名古屋市の一部だけでもこんなに沢山の子供が居ると言うのも驚きであるが、急激な増加傾向にあるその理由と現実に驚く。虐待である。目の当たりに「あざ」が出来てしまった子どもたちを見たとき、心が凍りつく思いであった。
今回私に声がかかったのも、子供が増加していてボランティアの手が足らない事からであった。様々な団体から、又個人として、老若男女問わず様々な人達がボランティアとして参加していた。ただし参加ルールとして、自分の子供を連れてこない事。当たり前だが、非常に大切な事であった。我々の役割は、子供と手をつないで一緒にいてあげること。短い時間だけれども、親代わりになって話を聞いてあげること。実に簡単な事なのだが、子供たちはそういうことを必要としていた。始めは人見知りしながらも、二言三言話をした後は心を開いてくれる。そして、どこにでもいる普通の子供たちと同じになる。子供独特の目の輝きは、様々な事を経験したであろうこの子供たちも、全く同じだ。
こんな事があった。いろいろなゲームの企画があり、その中の玉入れをしていた時であった。私ともう一人私の友人とで、しゃがんでこの玉入れの「かご」の棒を支えていた。ゲームが始まるやいなや、すさましい勢いで「かご」をめがけ玉を投げ入れる。これだけの人数が玉入れに興ずれば、すごい数の玉が中に舞っている事となり、ご想像のとおり、棒を支える私の頭にいくつもの玉が当る。痛い。よりによって玉がちょっと堅い。本当に痛い。そんな時、小学校低学年くらいであろう男の子がやってきて、私の頭と、友人の頭に手をかざした。「痛くない?」彼の優しい言葉は今でも心に響いている。友人が「大丈夫だから玉入れやっておいでよ」と言うと、「おじちゃんたちがかわいそうだから・・・」ふっと上を見、小さなその手の間から見えた優しい顔。涙が出そうになった。
「私たちみたいに遊んであげてね」と、朝、送出してくれた娘たちに迎えられ家に帰った。改めてこの子供たちの責任者である事を再認識し、しっかり育てなくてはと言う使命感を覚えた。普通の状態であると言う事の幸せ。非常に貴重な経験をさせていただいた。
この運営団体は名養クラブデイキャンプと言う組織で、
現在の会長は、私より2つほど若い、
バイタリティー溢れる知人社長がやっておられる。
こういう事に精力的になる彼も又、私は尊敬している。
私はいつも冷静だからそんな事はない・・・けど・・・。
バンドでは冷静でないときが、時々・・。あれ?
なるほどと思わされるお話です。
全てに言えることは
子供にはそこまでの事をされる罪は無い。
とあの時は思いました。
あの時庇ってくれた彼が
元気に育っている事をただただ願うのです。
有難うございます。
きっと今日の記事はいい加減です・・・!
又お気づきのことがあれば
お教え下さいませ。
言われた事、された事を覚えていたら、
きっと親を手にかけるでしょう」私も実感
していますが、どれだけ酷い仕打ちを受け
ようが言われようが翌日にはやはりママ、
パパと甘えてしまうのでした。これはまさ
に前日の事をリセットしていないと出来ない
ことだと思います。子供を見ているとわかり
ますが昨日約束したこともすぐに忘れてしま
う事が多いように思います。本能的に何でも
すぐにリセット出来るように思えてなりませ
ん。私も煎れたてのお茶をかけられたり、
食べれないかぼちゃを無理やり口に突っ込ま
れたり、あざになるぐらいビンタをされた
経験をたくさん持ってますが、それでも何か
を考えて怒られていたのでもなく早く終わら
ないかぐらいに思っていました。私の場合は
おばあちゃんがよくかばってくれましたが、
それでも母親に呼ばれるとひょこひょこと
何事もなかったかのようについていってまし
た。今でもその心の傷が癒えることはありま
せんが、恨み節でもありません。虐待なのか
躾なのかそれとも愛なのかは当事者でしか
知りえないのかもしれません。ただ上手く
リセット出来ないでいると親を手にかける
ような昨今に事件になるのもわかるような
気がします。
ちょっと時間を頂きたく思います。