葬儀場控室に折紙が置いてあった。
裏面にはメッセージが書かれる様になっていて、
お別れの時に棺に入れると言う物。
折鶴を実は折れなかった私。
家内や子供、挙句に孫達にも笑われてしまったが、
それでも沢山の時間が有ったので
随分早く折れるようになった。
今回は実にこじんまりとした家族葬で見送った。
勿論このご時世多くをお呼びする訳にも行かず、
そしてそれは母の遺志の一つでもあった。
実はそれがこんなに心休まるものになるとは、
葬儀をするまでは思いもしなかった。
私と家内、姉夫婦、そして子供に私の孫。
たったそれだけしか参列しないお葬式という感覚が、
それだけの参列者だからこそ温かなお葬式という
気持ちになったのは通夜式の時からであった。
誰も気を遣う事の無い間柄の人達と、
素直に泣いたり笑ったりしての時間は、
父の時のそれとは全く違う物となったのだ。
告別式も全く同じ。
人数的な寂しさなんて言うのは全く関係ない。
むしろこの方が余程良いと皆でそう感じた次第。
時代によって変わった葬儀の形。
これからは大いに有りの様な気がしたのであります。
もしこれをお読みになった方が迷われるその時が来たら
ごく身内での家族葬というのは本当にお勧めです。
そして無事に今日、見送る事が出来ました。
裏面にはメッセージが書かれる様になっていて、
お別れの時に棺に入れると言う物。
折鶴を実は折れなかった私。
家内や子供、挙句に孫達にも笑われてしまったが、
それでも沢山の時間が有ったので
随分早く折れるようになった。
今回は実にこじんまりとした家族葬で見送った。
勿論このご時世多くをお呼びする訳にも行かず、
そしてそれは母の遺志の一つでもあった。
実はそれがこんなに心休まるものになるとは、
葬儀をするまでは思いもしなかった。
私と家内、姉夫婦、そして子供に私の孫。
たったそれだけしか参列しないお葬式という感覚が、
それだけの参列者だからこそ温かなお葬式という
気持ちになったのは通夜式の時からであった。
誰も気を遣う事の無い間柄の人達と、
素直に泣いたり笑ったりしての時間は、
父の時のそれとは全く違う物となったのだ。
告別式も全く同じ。
人数的な寂しさなんて言うのは全く関係ない。
むしろこの方が余程良いと皆でそう感じた次第。
時代によって変わった葬儀の形。
これからは大いに有りの様な気がしたのであります。
もしこれをお読みになった方が迷われるその時が来たら
ごく身内での家族葬というのは本当にお勧めです。
そして無事に今日、見送る事が出来ました。