安っすい^^居酒屋巡りに終始した
ゴールデンウイークだったので今回は、
こんな所で晩御飯を。
どんな所かと言えば、
こんな所。
何と客は我々だけ。
鉄板越しに色々な京都の話を聞きながら
とてもおいしく頂きました。
ちなみに大阪の時はここ^^
ちょっと落差が激しい。。
勿論ワインも頂く。
魚料理も有ったので白。
ただオーナー氏、
肉だから赤とか魚だから白とか、
そういうのではなく呑みたいものをどうぞ。と。
そうね。
で、そのオーナー氏も仰っていましたが、
これと同じ料理をどこぞのホテルで頂いたら
軽く倍はすると言われる程リーズナブルなのは驚き。
始めの生ビールに↑のワイン1本、
オプションのガーリックライスを付けて
二人でD万で十分お釣りが来ました^^
ホテルは京都御所の近く。
内部がこんな素敵な造りのホテルだったのですが、
これ又少々驚くほど安い。
その理由を午前に乗った
タクシーの運転手さんが教えてくれました。
それは、京都の方針が
旅館主体からホテルへの転換がはかられてのが
コロナ突入する数年前の事。
海外からの観光客が伸びに伸びている時に、
今迄70程のホテルだった所に
200ものホテル建設を進めたのだとか。
(あくまでもタクシーの方の話)
ただ後々調べてみたところ、
あながちいい加減な話では無くホント。
そこへコロナがやって来て外資系のホテルも
開業間もなく倒産した所がいくつも有るとか。
従って以前からあるその70程のホテルは
お客様の争奪戦との事で特にこの日はウィークデー、
朝食も↓の様なお店で実に美味しい和食を頂き
大満足だったのです。
ちなみにこのタクシーの運ちゃん
よーしゃべる。
まぁ休日は観光タクシーをされているから
ついついその口調になるのだろうれども、
ただ、私が車窓越しに珍しい物見つけ一言触れると
それについて長々長々解説をして頂けれる。。
このホテルの価格の話も、
乗って間もなく話し始めお教え頂いた(^^♪事。
てな訳で(どんな訳。。)、
土曜日は母の実家のお寺の本山である
東本願寺様に参拝。
京都に来る度、
出来るだけ寄って参る様にしているが、
本当に立派な山門と、
立派な本堂はご存知の方も多いのかもしれない。
改めてここが京都の入り口に近い事も分かるが、
京都タワーが相変わらず^^周りに馴染みにくい
建物であるという事も良く分かったのでありました。
帰宅したその翌日14日は母の日。
私にとっては無事納骨をさせて頂いた事が
母の日に出来た人生最後の「感謝」だった様に思えた。
京都の記録完。
ゴールデンウイークだったので今回は、
こんな所で晩御飯を。
どんな所かと言えば、
こんな所。
何と客は我々だけ。
鉄板越しに色々な京都の話を聞きながら
とてもおいしく頂きました。
ちなみに大阪の時はここ^^
ちょっと落差が激しい。。
勿論ワインも頂く。
魚料理も有ったので白。
ただオーナー氏、
肉だから赤とか魚だから白とか、
そういうのではなく呑みたいものをどうぞ。と。
そうね。
で、そのオーナー氏も仰っていましたが、
これと同じ料理をどこぞのホテルで頂いたら
軽く倍はすると言われる程リーズナブルなのは驚き。
始めの生ビールに↑のワイン1本、
オプションのガーリックライスを付けて
二人でD万で十分お釣りが来ました^^
ホテルは京都御所の近く。
内部がこんな素敵な造りのホテルだったのですが、
これ又少々驚くほど安い。
その理由を午前に乗った
タクシーの運転手さんが教えてくれました。
それは、京都の方針が
旅館主体からホテルへの転換がはかられてのが
コロナ突入する数年前の事。
海外からの観光客が伸びに伸びている時に、
今迄70程のホテルだった所に
200ものホテル建設を進めたのだとか。
(あくまでもタクシーの方の話)
ただ後々調べてみたところ、
あながちいい加減な話では無くホント。
そこへコロナがやって来て外資系のホテルも
開業間もなく倒産した所がいくつも有るとか。
従って以前からあるその70程のホテルは
お客様の争奪戦との事で特にこの日はウィークデー、
朝食も↓の様なお店で実に美味しい和食を頂き
大満足だったのです。
ちなみにこのタクシーの運ちゃん
よーしゃべる。
まぁ休日は観光タクシーをされているから
ついついその口調になるのだろうれども、
ただ、私が車窓越しに珍しい物見つけ一言触れると
それについて長々長々解説をして頂けれる。。
このホテルの価格の話も、
乗って間もなく話し始めお教え頂いた(^^♪事。
てな訳で(どんな訳。。)、
土曜日は母の実家のお寺の本山である
東本願寺様に参拝。
京都に来る度、
出来るだけ寄って参る様にしているが、
本当に立派な山門と、
立派な本堂はご存知の方も多いのかもしれない。
改めてここが京都の入り口に近い事も分かるが、
京都タワーが相変わらず^^周りに馴染みにくい
建物であるという事も良く分かったのでありました。
帰宅したその翌日14日は母の日。
私にとっては無事納骨をさせて頂いた事が
母の日に出来た人生最後の「感謝」だった様に思えた。
京都の記録完。