国府宮神社を後に、
隣町でもある一宮市目指して北上。
一宮と言う街も子供の頃には、
母に連れられてよく来たような記憶だが、
その街並みはがらりと変わっている。
特に鉄道。
名鉄の主要駅でもありJRも快速停車駅。
立派な高架駅となったのは何年前で有ろうか。
私の子供の頃は主要街道に踏切が並び、
あの頃であっても車が多いと感じていた。
また道路。
今やどうしても一宮というと
国道22号線バイパス辺りに店が立ち並び、
ともすると町の中心に感じてしまうが、
以前は当然駅を中心に賑やかだった記憶だ。
その駅近隣アーケードの商店街がまだ残る、
そんなどことなくあたたかな街なのだ。
そのアーケードはここ。
神社側から見たいわゆる参道が商店街。
この日はまだ時間が早かったので
商店街は人が閑散としていたけれども、
今でも恐らく開催されているであろう七夕祭は、
この街の1つの一大イベントで有った記憶だ。
参道を歩く様に前置きが長かったが先ずは正面鳥居。
どの神社もそうだが流石に立派だ。
そしてその奥に構える楼門。
国府宮神社同様実に立派な楼門が立つ。
ちなみに国府宮神社の時に書いた尾張五社。
諸説あるとされるのがネットで見ると分かるが、
そのうちの一説にはこの真清田神社もその一社。
犬山の針綱神社の時にも触れたが、
亡き父が毎年一月中に尾張五社を巡っていたが、
確か真清田神社にも参拝していた様な記憶が。
どの説を亡き父は信じていたか今では聞けぬが、
諸説どの説でも構わないので今後は父を真似て、
今後は私も巡ろうと思う程立派な神社である。
本殿も当然立派な建物。
お宮参りの子家族連れが複数いらっしゃり、
とても和やかな雰囲気が印象的でありました。
そしてここで初めて知ったのが、
同じ敷地内にもう一つの神様が。
それが服織(はとり)神社という名の神社が有った事。
その話は次へ。
隣町でもある一宮市目指して北上。
一宮と言う街も子供の頃には、
母に連れられてよく来たような記憶だが、
その街並みはがらりと変わっている。
特に鉄道。
名鉄の主要駅でもありJRも快速停車駅。
立派な高架駅となったのは何年前で有ろうか。
私の子供の頃は主要街道に踏切が並び、
あの頃であっても車が多いと感じていた。
また道路。
今やどうしても一宮というと
国道22号線バイパス辺りに店が立ち並び、
ともすると町の中心に感じてしまうが、
以前は当然駅を中心に賑やかだった記憶だ。
その駅近隣アーケードの商店街がまだ残る、
そんなどことなくあたたかな街なのだ。
そのアーケードはここ。
神社側から見たいわゆる参道が商店街。
この日はまだ時間が早かったので
商店街は人が閑散としていたけれども、
今でも恐らく開催されているであろう七夕祭は、
この街の1つの一大イベントで有った記憶だ。
参道を歩く様に前置きが長かったが先ずは正面鳥居。
どの神社もそうだが流石に立派だ。
そしてその奥に構える楼門。
国府宮神社同様実に立派な楼門が立つ。
ちなみに国府宮神社の時に書いた尾張五社。
諸説あるとされるのがネットで見ると分かるが、
そのうちの一説にはこの真清田神社もその一社。
犬山の針綱神社の時にも触れたが、
亡き父が毎年一月中に尾張五社を巡っていたが、
確か真清田神社にも参拝していた様な記憶が。
どの説を亡き父は信じていたか今では聞けぬが、
諸説どの説でも構わないので今後は父を真似て、
今後は私も巡ろうと思う程立派な神社である。
本殿も当然立派な建物。
お宮参りの子家族連れが複数いらっしゃり、
とても和やかな雰囲気が印象的でありました。
そしてここで初めて知ったのが、
同じ敷地内にもう一つの神様が。
それが服織(はとり)神社という名の神社が有った事。
その話は次へ。