青色日誌

還暦を超え、子育てもひと段落。さて!

退任

2024年02月15日 | ビジネス
二月も半ばになりましたので、
徐ろにこの事に触れようかと思います。


 実は私、

先月の1月10日をもちまして、
代表取締役社長を退任させて頂いていました。

この日に就任して以来足掛け16年、
会社のトップとして舵取りをして参りましたが、
丁度よい「その時」がやってまいりましたので、
その社長の「席」を譲る事といたしました。


いろいろな思いが交錯する中、
何より大切なお客様や協力会社の皆様方に、
しっかり説明をした後、blogにも載せようと思い、
少々時間が経過してしまいましたが、
やっとここでもその宣言をさせて頂きます。


社長業を振り返った時

 やはり正直、辛い思い出が多い。

でもそれはきっと自分の能力が足らなかった証拠。


それでもお客様や協力会社の皆さんはじめ、
何より社員やアルバイトの皆さんのおかげで、
無事、この大役を終えることができたのは、
本当に有難い事だと胸を撫で下ろしている所です。


思い起こせば会社の景況が
必ずしも良くない中でその舵取りを任されました。

その気持ちは当時の会社の経営計画書を始め、
この社長就任時に書いた記事にも書いて有りますが
「荒海に船を漕ぎ出した心境」と表現している通り。

それでも、その荒波航海は「とある目的地」に
必ず着くものと信じ、経営をしてまいりました。

着任後少し経った頃には
晴れ間も表れる事も増え、追い風にも乗り、
いわゆる順調に航海できた時期も随分続きました。

 正にこのblogにも記載してきた、
 関東圏に進出した頃の話になりましょうか。
 本当に毎日が意欲的だった様に思いますし、
 上に記した「辛い思い」も全てこの意欲が
 掻き消していたかに思います。

新しい商品を開発しようと社員皆んなでがんばり、
それが売れた時には、これまた社員皆んなで喜び、
ある意味「自信漲る」経営をしていた様に記憶します。

 しかしやって来たコロナと言う嵐は強敵でした。

漕ぎ手失うかの様に、まさに推進力を失い、
尚且つ、突風の様な嵐は確実に行手を阻みました。

それでも、着任したばかりの時に経験習得した、
荒波を乗り越えるその「技術」や「教訓」は
この時生かされ、いち早く立ち直る事が出来たのも、
やはり周りの皆さまのお陰でありました。


 そして先月
 とある目的地に無事着岸出来たのであります。



 昨今の記事で、

銀行に行っていたと言うのは、その手続きのため。
緊急で入院したと言うのは、今までその張り詰めていた
緊張の糸が切れた事を身体が正直に反応したという事。
(検査の結果、どこも異常はありませんでした)


そして会社の私の部屋のこの↓サインも、



この↓新しいサインに掛け替えられました。



最後ですが、
先週末に娘と息子が揃って我が家に来たのはこの為。



本当にありがたい!
心から社長業退任の慰労をしてくれました。
(本当は私が入院した日に来る予定だったとか)

本当に良い子供や孫に育ってくれたものだと、
親バカ爺バカながらただただ感謝するばかり。


そして、このブログで知り合った皆様方にも、
社長在任中大変お世話になりました事御礼申し上げ、
引き続き末永くお付き合いをお願い申し上げます。

有難うございました。
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