実は来週末より一週間ほどかけて、
私が育った実家の取り壊しが始まる。
家を壊してこの土地を他人に売るのではなく、
私個人的には大変有難いと思っているのだが、
息子夫婦がここに家を建て住んでくれるのだ。
そもそもここの土地、
誰かかから買った土地では無くて、
昭和三十年代前半、名鉄が山を切り開き、
ここに当時としてはまだ珍しかったであろう
建売住宅を造ったというのが起源なのだ。
だから、大昔は知らないが
近代にしてみれば我が家族が先住民。
それだけに何となく他人に譲るのは
気乗りがしなかったというのは事実であった。
で、その我が家。
山を切り開いた当時の一区画はそこそこ広く、
そこにこじんまりとした平屋が建っていた。
時代の変遷とともに二回ほどの増築を重ね、
それでも今の住宅に比べると小さな平屋だが、
思い出はやはりいっぱい詰まっていたのだ。
で、年の瀬迫る12月30日
二人の子供家族が付き合ってくれて、
この家が取り壊される前に賑やかさを取り戻し
家を慰労しようと^^集まってくれた次第。
その時の思い出の写真。

ここは家族が集まる場所だった所。
そしてお正月などに集まると
よく記念写真を撮っていた所でもあったので
こうして最後に写真に納めてみた次第。
その反対側に広まる二間続きの和室は、
親父の自慢の空間であった記憶でもある。

外観は特に古びてしまったので、
少々恥ずかしいけれど記録の為に載せておく。

6段の石段を上った玄関。

引き戸の玄関は何とも昭和の香り漂う。
これらは娘が写真に残してくれたほんの一部。
来年の今頃は息子が建てた家がここに。
一つの時代が過ぎていく実感をした日となった。
私が育った実家の取り壊しが始まる。
家を壊してこの土地を他人に売るのではなく、
私個人的には大変有難いと思っているのだが、
息子夫婦がここに家を建て住んでくれるのだ。
そもそもここの土地、
誰かかから買った土地では無くて、
昭和三十年代前半、名鉄が山を切り開き、
ここに当時としてはまだ珍しかったであろう
建売住宅を造ったというのが起源なのだ。
だから、大昔は知らないが
近代にしてみれば我が家族が先住民。
それだけに何となく他人に譲るのは
気乗りがしなかったというのは事実であった。
で、その我が家。
山を切り開いた当時の一区画はそこそこ広く、
そこにこじんまりとした平屋が建っていた。
時代の変遷とともに二回ほどの増築を重ね、
それでも今の住宅に比べると小さな平屋だが、
思い出はやはりいっぱい詰まっていたのだ。
で、年の瀬迫る12月30日
二人の子供家族が付き合ってくれて、
この家が取り壊される前に賑やかさを取り戻し
家を慰労しようと^^集まってくれた次第。
その時の思い出の写真。

ここは家族が集まる場所だった所。
そしてお正月などに集まると
よく記念写真を撮っていた所でもあったので
こうして最後に写真に納めてみた次第。
その反対側に広まる二間続きの和室は、
親父の自慢の空間であった記憶でもある。

外観は特に古びてしまったので、
少々恥ずかしいけれど記録の為に載せておく。

6段の石段を上った玄関。

引き戸の玄関は何とも昭和の香り漂う。
これらは娘が写真に残してくれたほんの一部。
来年の今頃は息子が建てた家がここに。
一つの時代が過ぎていく実感をした日となった。