<不死鳥は眠らない>
吹き荒れる暗雲の中、硬い甲殻の翼を広げ、悠然と見下ろして来る無機質の相貌を、5人は茫然と見上げるしか無かった。
確かに倒したのだ。
昆虫の蛹のような「オーバーロード」と名乗る最後の敵を。
目の前で崩れ落ちる姿を皆で見ていた。しかしその亡骸から彼の敵は、まるで不死鳥のように舞い上がったのだ。
「聴いてねぇ…」
ダークハンターのラザフォードはベルトに収めたばかりの鞭を再び、その手の先に抜き放った。
全員、攻撃専門のフォースは先程の戦闘で使ってしまった。
フォースポイントを上げるアクセラも全て使い切っている。
最後の敵が第ニ形態に変化するなど誰が想像しただろう。
核熱の術式を連発した為、アルケミストであるリュサイアのTPも残り僅かだ。
知る筈も無かった第二形態の弱点データなど勿論無い。
何の技が効くのか、どんな技を放って来るのか、それさえも分からないのだ。
青褪め、ブシドーの雪之丞が傍らのソードマン、アディールの服を掴んだ。視
線は敵を睨み付けたままだが、裾を持つ手が微かに震えている。
愛する者を労るようにアディールは、その手に自らの手を重ね、強く握り締めた。
ハイ・ラガード公国に置いて来た恋人レイヴァントを想い、ラザフォードは首から掛けた御守代わりのペンダントを強く握り締める。
ラザフォードを信頼し、心を開いてくれたレイヴァントを置いて、此処で死ぬ事など出来やしない。
しかし状況は極めて厳しかった。
リュサイアは自分の精神力であるTPを冷静に分析する。核熱の術式は、あと数発撃てればいい方だ。
しかしTPを回復させてくれるアムリタは数える程しか無い。それに多くTPを要する核熱の術式である。
アムリタの回復では追い付かないだろう。
生き残れるのか。
生きて兄リュシロイやヴァランシェルドの仲間達に再び逢えるのだろうか。
何より、今此処にいる恋人、メディックのシャスを護れるのだろうか。リュサイアは気を引き締めるかのように唇を噛み締める。
そして再び、上空で停空している最後の敵、「オーバーロード」を睨み上げた。
「私…諦めません」
囁くような声だった。しかし静まり返った広間で、その声は確かに皆に届いた。
後衛で立つ彼女を、皆振り返る。其処には吹き荒れる暴風の中、やっと立っている程に「か細い」少女のメディック。
シャスは叫んだ。
「皆さん!闘って下さい!私のフォース、まだ使ってません!TPも充分に有ります。アムリタは全部リュシィに使って下さい!私はTPリカバリーがあるから平気です!」
前衛で硬直していたアディール、雪之丞、ラザフォードの三人は目を見張った。
隣に立つリュサイアも声を失っている。あんな絶大な気を放った強敵を前にして何と気丈な事か。
絶望的な今の状況でさえ、彼女は諦めていないのだ。
最初に闘った第一形態の際にも、硬くてフォース以外のスキルでは全く刃が立たなかった相手なのである。
死なないで闘い続けるにも、どの位の延長戦になるか予測も出来ない。それでも彼女は帰るつもりなのだ。
仲間達の待つハイ・ラガード公国へ。泣くのを堪えながらも笑顔で送り出してくれた人々の許へ。
「どのくらい長くなっても、全く刃が立たなくても、全然ダメージを与えていない訳では無い筈です。アディー君とユキさんのお二人を。ラズさんはレイさんの為に。そしてリュシィ、あなたを。私は絶対に死なせません!私、毎ターン、エリアフルヒールを唱え続けます。幾ら傷を負っても痛いと思う前に回復させますから」
そしてシャスはこの場にそぐわない程の天使のような笑顔で4人の冒険者達に微笑んだ。
「だから、…だから闘って下さい!」
そして再び闘いの幕は切って落とされた。
アディールの予測通り、いい武器の無かったソードマンと有効なスキルが効かないラザフォードは掠り傷しか負わせる事が出来ない。
雪之丞は色々なスキルを試し、結果、卸し焔を連発させ少しずつでも敵のHPを削り続けた。
リュサイアの核熱の術式は確かに効いたが、みるみる内にTPは尽き、アディールが注ぎ込む筈のアムリタも3つしか無かった為、敵のHP半ばにしてTPが尽きてしまう。
最後の足掻きで残ったTPとアディールのチェイスで術式を発動させようとする。
「ばっ!そんな事したら、お前、精神力使い果たして気絶するぞ?」
アディールが背後のリュサイアを庇いながら叫んだ。しかし無口なアルケミストは頭を振った。
「皆が闘っているんだ。僕は僕に出来る事を最後までしたい」
意志の強い蒼い瞳がアディールを映していた。頑固な双子の弟は言い出したら聴かない。
それは全て愛する者を護る為だと言う事をアディールは知っている。リーダーであるソードマンは微苦笑した。
ハイ・ラガード公国で待つ双子の兄、リュシロイに心の中で謝罪する。
叫び声がして雪之丞が吹き飛ばされて来る。横でラザフォードが壁に叩き付けられた。口の端を切ったのか血を流している。
しかし次の瞬間、それは瞬く間に消えていく。
待機して次のターンを伺っていたアディールとリュサイア、二人の掠り傷さえも同時に消えていく。
小鳥の歌声のような高い少女の呪文が、4人の冒険者の傷を一瞬で癒していくのだ。
「エリアフルヒール!」
パーティ全員の全回復呪文。そのTPの消費量を凌ぐTPの残量。
火力特化で闘って来たパーティの後ろ盾に彼女が居なければ此処まで無謀に闘って来れなかっただろう。
アルケミストを上回るTPを誇り、惜しみも無くその呪文を繰り返しているのだ。
雪之丞は立ち上がり、上段の構えをする。卸し焔を繰り出す構えだ。
ラザフォードも口の端を手の甲で拭い不敵に笑うと胸のペンダントを握り締めた。
効かなくても少しのダメージは与えているとヘッドボンテージとアームボンテージを繰り返しているのだ。
これで何ターン目だろう。
アディールは既にターン数を数えるのを止めていた。リュサイアが雷の術式を唱え始める。
それに呼応してアディールもチェイスショックの構えを取った。
効いて欲しい。
嫌、効いてくれ。
アディールは奥歯を噛み締めた。
しかし皆の攻撃が終わらない内に敵の全体攻撃に加え、ターゲットを決めずにランダムに攻撃が降り注いで来ると、先ずは防御力の低い雪之丞が血を吐いて動かなくなった。
アディールが悲痛な叫びを上げ、蘇生のアイテム、ネクタルを取り出した。
シャスが蘇生と共にエリアフルヒールを唱えようとする。
しかし敵は無情だった。
元々紙切れのような防具しか身に着けていないアルケミスト、リュサイアを敵は標的に絞ったのだ。
丸太のような大きな爪が華奢な少年に振り下ろされていく。
ラザフォードが鞭を放って止めようとするが、間に合わない。
鮮血が二人の少年から舞い散った。
細い身体を庇い合うように重ね、やがて二人は動かなくなった。
残るは虫の息のアディールとメディックの少女。せめてこの娘だけでもこの部屋から出してやって欲しい。
アディールは霞む目を必死に開け、雲を切って旋回する上帝と名乗る存在の名を叫んだ。
しかし、すぐ傍で黄金色の光が溢れ出す。アディールは身を凍らせた。その光は護るべき少女から放たれていたのだ。
「やっ…止めろ…!シャス!俺がネクタルオールを使う!それで君が呪文を…!」
しかし金の光る粒を放ちながら、メディックの少女はアディールに微笑んだ。
先程縛りに翻弄され、パーティが半壊仕掛かった際に、シャスはメディックのフォースを使ってしまったのだ。
だからもう死を恐れる事は無い。シャスはあの呪文を使う気なのだ。
自らの死を以て全員の復活、回復を行う究極の呪文を。
「それじゃ…間に合わないかもしれないから。アディー君は先ず自分にメディカⅢを使って」
「止めろ!その呪文はあれ程使うなって言ってるだろ!…あいつが…リュシィが生き返った際、俺にどう言い訳させるつもりなんだ!お前が居なきゃ誰が皆を回復させるんだ!」
少女は何も言わなかった。散歩に出掛ける少女のようににっこりと微笑むだけだった。
そして顔を引き締めると、腕をクロスさせ両手に挟んだ幾本もの試験管にある薬品を呪文の詠唱と共に一気に解き放ち、周囲に散布していく。
それはゆっくりと煙のように形を成し、大きな薄紅色の鳥のように翼を拡げたかと思うと、無数もの翅に形を変えた。
そして倒れ、息をしていなかった少年達の許へ、淡い雪のように降り注いでいく。
床へ突っ伏し無力な自分を呪っていたアディールの上にも翅は優しく舞い降り、傷付いた身体をみるみる癒していった。
少女の皆への愛が胸を抉るように痛かった。
状況が分からない三人は不思議そうに周囲を見渡している。
そして生き返ったばかりの皆を庇い、攻撃を受け続けた少女の変わり果てた姿に愕然とする。
口を開け何かを叫ぼうとして言葉にならず、諤々と震え始める。状況を把握したのだ。
「捨て身の医療…完了…」
少女は囁いた。そしてまるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。
青褪めた相貌は、それでも満足そうに微笑んでいた。
気でも触れたかのようにリュサイアが奇声を上げて少女に駆け寄る。
しかしただ一人、その光景を全て見ていたアディールは大声でそれを制した。
「シャスの言葉を思い出せ!!」
少年達は息を呑んだ。そしてその一言だけで冒険者の顔に戻る。
第二形態との戦闘前、シャスが皆へ言った言葉が思い出された。
絶対に諦めない。
人間が生きるべき大地へ、皆の許へ帰る。
ハイ・ラガード公国へ5人揃って生きて帰る。
アディールがネクタルを握り締めリュサイアに頷いた。出来る事をやる。
そう、闘いはまだ続いているのだ。
鞭を、剣を、杖を、それぞれ握り締め、少年達は少女の想いを胸に、立ち上がった。
「覚えておるか? この公国に初めて来たとき、そなたらに言った言葉を…。諸王の聖杯を入手した時、望むのならばそなたらを貴族に取り立てる話じゃ。… …わかっておる。そなたらがそのような立場を望まないであることはのぅ。自由であってこその冒険者。この老体にも、それくらいのことはわかるのじゃ」
ハイ・ラガード公宮では馴染みとなった年老いた大臣が優しい眼差しで5人の冒険者のそれぞれの顔を見渡した。
泥に塗れ、身に着けた鎧は傷だらけ、どんな嵐の中を来たのか、と言わんばかりに髪の毛はボサボサの冒険者達を、この公宮内で非難蔑視する者など一人も居ない。
彼等は勝った。
公女の望んだ「諸王の聖杯」を入手し、ハイ・ラガード公国へ戻って来たのだ。
彼等の闘いを街の人々は皆知っていた。
瓦礫を撒き散らし、閃光を放つ第五階層の最上階で、5人の冒険者は最後の敵、「オーバーロード」と対峙し、生きて帰ったのだ。
ミッションは果たした。
しかし彼等は名声などを欲している訳ではない。
ただ、手が届く範囲の優しい人々を護りたい。後は少しばかりの冒険心だけの為に闘ったのだ。
リーダーであるアディールが深々と頭を下げる。それは肯定の証。残った4人もそれに習った。大臣はもう一度頷いた。
「では、報われること少ないそなたらにこの老体、姫さまを助けてくれた事に感謝し、個人的な報酬を出そう。遠慮なく受け取ってくれぃ!」
5人は顔を上げると嬉しそうに顔を見合わせた。
彼等はまだ知らない。最後の階だと思っていた25階より上に新たに第六の階層がある事を。
そして数々の冒険がまだ残っている事を。
しかし彼等はきっと遣り遂げるだろう。彼等の待つこの第二の故郷に彼等を待つ人々がいる限り。
<了>
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タイトルの不死鳥は色んな意味で。
冒険者、シャス、敵、などなど。