あぽまに@らんだむ

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急性肝炎で入院してました。

2021年03月24日 | 日記

 

 

 

 

ご無沙汰しております。
この数日色んなニュースがあったというのに更新出来ませんでした。
そんな自分に一番ニュースが有ったのです。


3月18日明け方の4時。
私は腹部の「みぞおち」を抉るような痛みで覚醒しました。
色々病気を経験して来た私でも感じた事のない痛み。
只事ではないと思いました。
少しベッドで我慢していたのですが、脂汗が滲み、耐えられません。
ベッドから這い出し以前から受診しようと思っていた掛かり付けの胃腸器科病院に電話して、
救急外来で看て貰えないか相談しました。
幸い検査は出来ないけれど看てはくれるというので5時に受診。
しかし胃の辺りだという事で消化薬と痛み止めを貰う事しか出来ませんでした。
その場で服薬し、仕方無く帰宅したものの、痛みは収まりません。
仕方無く再度、検査の出来る通常の診療時間に受診しました。
しかし、余りもの腹痛に座って居られず、看護師さんに頼み、ベッドで休ませて貰いました。
それほどの痛みだったのです。


採血、CT検査をすると院長先生から驚きの結果が言い渡されました。
「肝機能が健常者の20倍低下してるよ、入院した方がいいね」
採血の結果を見せて頂くと肝機能の数値で、
「11~35」以内じゃないといけない項目が私は「450」以上もあり、
「6~39」以内じゃいけない項目は「250」近くもあったのです。
診断は「”急性肝炎”」でした。
肝臓が炎症を起こしているというのです。
確かに子宮体癌後の抗がん剤の後、肝機能が低下し薬を服用していた時期がありました。
しかし数ヶ月後に、肝機能は改善し、今は通常の筈なのです。
私は寝耳に水状態でした。
そして思いました。
(刀剣乱舞、大阪城が出来ない。江雪兄さまを修行に出せない…)←根っからのおたく


先ず、入院する為には新型コロナ対策の為にPCR検査が必須。
職員入口の玄関横に設けられた検査場で長い綿棒を鼻の奥まで入れられました。
経験された方はご存知でしょうが、本当に凄い奥まで入れられるんですよ。
痛いどころの話じゃない。
脳みそまで入っちゃうんじゃないかと思いました。
あの検査、唾液で簡単に分かるようになりませんか、早急な対応を望みました。
結果は20分程で分かり、「陰性」ということで幸か不幸か入院の運びとなり、
それから肝機能を改善する為の点滴と検査の日々が始まったのです。


点滴は毎日、大きな袋で2つと肝臓を保護するお薬(注射)です。
全部体内に入れるには4時間掛かります。
大部屋4人部屋だったのでカーテンで仕切られていてテレビはイヤホン。
小さいテレビですが幸いBSも視聴出来ましたが、テレビばかりでは飽きてしまいます。
おまけにご存知、私はガラケーです。
ゲームも出来なければTwitterも観れない。
暇で暇で仕方有りませんでした。


その間にも胃カメラの検査が入りました。
10年以上前、胆嚢にポリープをこしらえた私は何度か胃カメラの検査を受けました。
喉の弱い私は口からも鼻からも異物を入れられると吐いてしまい、危険なので、
全身麻酔(今では眠たくなる薬と言うのですね)で検査を受けていました。
しかし、希望していたにも関わらず眠くなる事は無く、
何度も嗚咽し、ゲップを繰り返し、苦しいのと痛いのとで暴れ、
看護師に抑えられての検査になりました。
後から聴いた話、睡眠導入剤や睡眠薬を常用している患者さんは麻酔が効き難くなるとか。
酷い目に遭いましたが、検査は異常なし。
逆流性食道炎の痕や、嘔吐していた頃の痕は有りましたが、
胃や食道、十二指腸に問題は有りませんでした。


また、院長先生の提案で、今現在服用している薬を一端止める事にもなりました。
私は現在何種類かの薬を服用していたし、母に勧められたサプリも沢山飲んでいました。
薬の中には精神安定剤も入っていたので、不安でくよくよする事も有りました。
それくらいで問題は無かったのです。
入院して1日目の夜までは。


1日目の夜は4人部屋なのに1人だったし、疲労もあったので爆睡しましたが、
翌日から大腸検査でポリープ切除して戻って来た年配の女性のイビキで眠れ無くなったのです。
然もその患者さんは時々奇声まで上げるのです。
おまけに昼夜問わず。
私は昼寝まで出来ませんでした。
普段私は以前の仕事の職業病で不眠の為に睡眠導入剤と睡眠薬を服用していました。
しかし、それは止められてしまって為、服用してません。
その為、2日目は2時間ほどしか眠れず、3日目は余りものイビキで私はほぼ不眠に陥りました。
しかし、その年配の女性は自分が大イビキで寝て居るのを知らないので、
「喉が痛い。風邪じゃないか。この大部屋に戻って来てから痛くなって来た」
と騒ぎ出したのです。
しかし、私は「あれだけ昼夜問わず大イビキで寝てりゃね」とは言えません。
最終的には「個室に移りたい」と言い出し、4日目の午後移って行きました。
私はカーテンの影で「YES!」とガッツポーズを取ってました。
4日目からは誰が4人部屋に入ろうとイビキを掻く人はいなく、安眠出来るようになったのです。
一応、回診の際、院長先生に睡眠導入剤と睡眠薬はお願いして出して貰いましたけどね。


3日目の回診の際、肝臓に詳しい先生が来ているので、
初日にCTは撮ったものの、造影剤を使用していなかったので、
院長先生から造影剤を使用しての再度CT検査を提案されました。
造影剤はCT検査の際に何度か経験があったので、同意書にサインして検査しました。
しかし、肝臓も膵臓も胆嚢も問題なし。
(※胆嚢にはポリープは沢山あるのですが、数や大きさは変わってないとの事でした)
異常はないと言われてしまったのです。
その為、院長先生は
「後、検査していないのは大腸だけだから、来週半ば頃、大腸検査をしてみよう」
と言ったのです。
恐怖の大腸検査。
母から痛いと聴いていた私は胃カメラで酷い目に遭ったばかりなので、すっかり怖気づきました。
上から飲んで苦しい目に遭ったばかりです。
今度は下からカメラなんてとんでもないです。
然も本当に全身麻酔をして貰えるか分からない処か、効果さえも分からないのです。
でも、看護師さんが
「怖かったら無理しなくていいの。
でも、また痛くなって再入院になって、やっぱり検査になったらと思いませんか」
とアドバイスしてくれたのです。
また、母に電話で相談したら「女は度胸だ」の一言。
確かにそうなのです。
大腸検査は前日の昼食から検査用の食事を食べ、21時に下剤を飲み、
検査当日は絶食し、2ℓの下剤(ポカリ味)を飲み続け、トイレに最低8回は通う試練なのです。
私は覚悟を決め、検査を受ける事に同意しました。


入院してると確かに楽でした。
本来、大腸検査はキットを持ち帰り、前日の昼食・夕食・21時の下剤は各自行います。
それが入院しているので、上げ膳据え膳。
21時の下剤までコップに注いで看護師さんが持って来てくれました。
当日の2ℓの下剤までベッドまで持って来てくれました。
外来の検査の人が終わるまで自室(4人部屋)のトイレに通うのも気兼ね無かったです。
しかし、結果から言うと大腸は異常なしだったのです。
然も、案の定点滴口からの麻酔も効果は無く、「痛いよう」と泣きながら、
自分の大腸を映している画面を先生と見つつ、
「私の大腸大丈夫ですか?」と聴く羽目になったのです。


入院したのは先週の火曜日。
肝臓の炎症を抑える薬を毎日点滴すること8日間。
今週の月曜日と今朝方の採血で、肝機能の数値も正常に戻り、
院長先生も首を傾げながら
「一時的なものだったのかな」と結局、原因は不明なまま退院する運びになったのです。
私は入院している間、考えました。
婦人科の先生が一度、肝機能が低下した際言った事。
「例え、薬じゃないサプリなどでも飲み過ぎると肝臓に負担を掛けている事になるのよ」
確かに私は心配性の母に朝晩、14錠のサプリを言われるまま服用してました。
その他にもダイエットのサプリ、花粉症のサプリを服用し、
医師に処方された薬を疑問に思わず飲み続けていました。
でも、睡眠以外の薬は止められてもこの1週間問題無かったのです。
寧ろ、身体はすっきりとしていて、自分自身入院前日より元気だと思いました。
勿論、肝臓に負担の掛からない食事を病院で毎食頂いていたお陰だとは思いますが、
それだけじゃない気がしました。
だから、退院して家族に宣言しました。
「必要のない薬もサプリももう飲まない」と。


後、入院した当日から肝臓に負担が掛からないよう、病院食は「重湯」でした。
詳しくは「重湯・具のない味噌汁・ゼリー・ジュース」でした。
これが一番苦痛だったと言っても過言ではありません。
肝機能は低下していて、腹痛はあっても私は食欲がない訳じゃ無かったんです。
重湯フルコースは入院当日から3日続き、お腹は空腹で鳴きっ放しでした。
看護師に朝昼夕晩、腹痛の有無を聴かれていたのですが、正直に言いました。
「みぞおちが痛いのか、空腹で胃がキリキリ痛いのか分からなくなって来た」
早速看護師さんは院長先生に報告してくれて、重湯は半粥に変わったのです。
しかし、半粥と刻み食になったとしてもネームプレートには、
「肝臓食」の文字が。
そう、肝臓に負担の掛からないメニューなのです。
でも、重湯に比べれば御馳走です。
お粥が死ぬ程嫌いで以前の入院で食欲が落ちてしまった私は、
幸か不幸か今回の入院でお粥が美味しいと思え、食べられるようになったのです。
でも、辛い物、油っぽい物、味の濃い物はありません。
私はテレビで美味しい料理が出る度に思いました。
(退院したら思いっ切り好きな物を食べる)
原因不明の急性肝炎と闘いながら、私は携帯のメモに「食べたい物リスト」を入力し、
必死に病院食とも闘い続けたのです。


でも、以前入院した大学病院に比べると今回入院した病院食は親切でした。
肝臓食とはいえ、食欲が落ちないように工夫してくれている思いを感じました。
ご飯は重湯か半粥、良くなっても全粥です。
その為、入院患者が飽きたりしないよう「ゆかり」や「鯛のペースト」「梅ペースト」など、
お粥を少しでも食べられるように工夫してくれていました。
主菜・副菜も細かく刻んでくれていて、看護師さんも、
「焦らず、ゆっくり噛んで下さいね」
といつも声掛けしてくれていました。
(※サービス業経験者の為、私は普通の人より食べるのが結構早いようです)
一応、歯医者さんでもそれは注意されていたので、私は前にも増して良く噛んで食べました。
その為、私は大嫌いだったお粥が食べられるようになったのだと思います。


本日水曜日の午前中退院し、その帰りに「食べたい物、好きな物を買って来なさい」
母は私にそう言ってくれました。
新型コロナ流行の所為で、この1年、私と母は外食する事もせず我慢して来ました。
母は余り食べ物に執着する性質ではないので平気だったようですが、
私は本来、美味しい物は大好きなんです。
しかし、1年半前鬱病と子宮体癌を患ってから食べたい物をずっと我慢して来ました。
後、母が私の癌転移をさせないよう必死だった事も一因にあります。
その為、身体に害になりそうな食べ物は全て我慢して来ました。
でも、急性肝炎はやって来たのです。
然も原因不明のままの退院になったのです。
私は分からなくなりました。
何の為の我慢だったのか、
誰の為の我慢だったのか。
その思いを私は母に告白しました。
すると母は分かってくれて、「食べたい物、好きな物を買って来なさい」
と言ってくれたのです。


昼。
ずっと食べたくて我慢していた担々麺を食べて「美味しい」と笑顔な私に母も嬉しそうでした。
「今夜外食しようか」
母が1年振りに誘ってくれました。
そのお店は食に余り興味のない母もお気に入りのイタリアン料理店です。
ボロネーゼのパスタを一口食べる度に「美味しい」と感涙する私に、
母は「また来ようね」と笑って言ってくれました。
勿論、偏った食事は生活習慣病にもなるので、自制が必要です。
でも、自分を偽ってまでの我慢は必要なかったのかなと思いました。
どんなに身体によい食事を心掛けていても、
どんなに食事を補助するサプリを飲んでも、
どんなに新型コロナ感染を防ぐ為、不要不急な外出を避けても、
突然病気はやってくるのです。
防ぐ事が出来ないのならば、過度な我慢は不要だと思ったのです。
田舎なので、密な場所に行ったり刺激の多い食事を暴飲暴食する訳では有りませんが、
好きな映画は我慢せずに感染対策を取りつつ、出掛ける。
好きな食べ物は食べ過ぎに気を付けて食べる。
好きなお店には感染対策が取れているか確認しつつ、自分でも予防して行く。
そう思ったのです。


今回の入院は本当に辛い体験でしたが、色んな気付きもありました。
それが今後、私の生き方のいい導きになればと思います。
そしておたくなので、1番悔しかったのは冒頭でもお話しましたが、
大切な刀剣乱舞の経験値2倍の大阪城が、1週間出来なかった事です。
後、数人はレベルカンストさせてあげられたのになと本当に残念です。
あ、帰宅して荷物片付け終わって昼食摂って先ずした事は、
江雪兄さまを修行に出した事です(笑)
皆様も万全な新型コロナ対策をして過度な我慢のない毎日をおススメします。
健康が1番。
美味しいご飯が食べられる事は本当に幸せなことなんです。
普段、当たり前だと思っていること。
実は本当に大切なんです。
少しでも皆様の心に届けば幸いです。
ここまで読んで頂いて、有難うございました。感謝です。

 

 

 

 

 

 


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