それは、物事を分析して理論的に答えを導き出すわけですが、必ずしも我々を幸せに導くとは限らないものです。
最近、私は本を読んでいると、“自分の魂に正直に生きたほうが良い”というような意味合いの文章に出くわすことが多いのですが、“魂に正直になる”ってどんなことなのだろう?と考えていました。
もしかすると“魂”というのは、普段使われていない「潜在意識」にアクセスできる能力があって、「顕在意識」の知りえない情報を伝えてくれているのかもしれません。
ということは“魂に正直になる”というのは、その情報を心でキャッチして従うということではないかと思いました。
とは言っても「潜在意識」には膨大な情報があり、しかも理論的な心には理解できない情報も多いので、心はただ漠然としたものしか受け取れないことでしょう。
『何となく嫌だな~』とか、『何かいい感じがする!』とか。
こんなことはありませんか? ある場所に出かけようと考えているとき、微(カス)かに嫌な感じがしたので今日はとりあえずやめてみた、すると、しばらくして雨が降りそうでなかった空なのに雨が降ってきたとか、出かけていたら受けることができなかった大切な電話を受けることができたとか。(どちらも実際にわたしにあったことです)
“魂”からの情報。快、不快の感覚。本当に微かに感じるので注意が必要です。
こんなこともありましたよ。去年の3.11の震災が起こる何ヶ月も前から、訪問した方が良いかなという場所があったのに、どうも行きたくないのです。
その場所自体に行きたくないわけではなく、乗り物を乗り継いで出かける遠方ということで行きたくないと感じていました。理由は全くわからず、そう感じていました。
急を要することでもなかったので、その感覚に従いましたが、震災が起こって、そのことに関連した感覚だったのかもしれないと思いました。
でも、なぜ何ヶ月も前から、そう感じていたのかはわかりません。
地震がいつ起こってもおかしくない状況だったからなのか?あるいは、出かけることで、私のその後の状況が変わるため、とめられたのか?
まさに、そういったことは理論的な心では理解できないものなのかもしれませんね。
このような体験から、魂の微かな感覚に注意を払った方が良いという思いを強くしました。
これは人付き合いにおいても言えると思います。
最近こんなことを試すようになりました。人に会った後、自分がどんな気分になっているか観察するのです。
テンションが上がったとか下がったとか、妙に寂しい気分になったとか、イラっとしたとか様々ですが、このような感覚も魂からの情報だと思います。
マイナスの要素を持った人、こちらからエネルギーを奪って行くような人とは付き合い方を考えなくてはいけないなと感じました。
これはDVDなどで映画を見たときにも試すことができます。その映画を見た後どんな気分になったかチェックするのです。
がんばろう!という気分になったとか、清々しい気分になったとかなったなら良いですが、ネガティブになるものは、あなたからエネルギーを奪っていきます。
だから魂も不快を感じていることでしょう。それを見ても良いことはないという意味だと思います。
もしかすると“魂”というのは、その人にとっての“幸せのありか”を教えてくれるナビではないだろうかと思いました。
だから、いろいろな書物に、魂に正直になることの大切さが書かれているのかもしれません。
幸せとは、常識とか理論的な心で感じられるものではありません。
もっと人間存在の根源的なものにかかわるものだと思います。
だから、魂の告げてくる感覚に敏感になることが大切だと思いました。
Photo by ミントBlue
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