(以前、「人生を光に変える魔法」というタイトルで、この本のことをこのブログに書きました)
この本を読んだのは、だいぶ前のことだと思います。2002年に出版されているので、その当時読んだとしたら、もう10年近くになるかもしれません。
気になる部分をピックアップする形でまた読んでみました。
驚いたことに、そこに登場するデリバランス老人の印象は、最初に読んだときよりもイキイキと感じられました。
そう感じたのは、随分と時がたち、私のスピリチュアルな面の理解が深まって、内面の苦しみが格段に減少したからなのでしょうか?
それとも、真実を語る人物は時を経ても色あせないからなのでしょうか?
ところで、今回読み直してみて、気になる部分がいろいろありました。
その一つに、デリバランス老人が語る『一つの生命(いのち)』の話があります。
自分の人生は八方塞がりだと嘆くスチーブという登場人物にデリバランスはこう言います。
「君のいくつかの過去生は名声と富に満ちた人生であり、今生においては、そうした人生の沈滞を打ち破るために必要なドラマを創りあげたのだと、私が君に教えても、君はまだ自分の人生は全くの失敗だと感じるだろうか?」
それを聞いたスチーブは過去生という話にびっくりします。
そこで、デリバランスは『一つの生命(いのち)』の話をしてくれました。
どの人生も、一つの生命の続きなのだよ。もし君たちが、たった一つの人生しかないと信じているとしたら、君の全人生が虚偽の上になりたっているということになる。また、いくつもの人生があると信じていても、その一つひとつの人生に始まりと終りがあると思っていたら、それは同じように、誤った考え方で間違っている。
魂である君たちは、生まれもしなければ、死にもしない。魂のレベルにおいては、君たちは死ぬことのない一続きのつながりなのだ。その魂が、いくつもの肉体を通して、自己を表現するのだ。それぞれ一つの肉体によって、一つの人生を過ごすのだよ。
そして、さらに解りやすく、こう説明してくれました。
今、ビデオの映画があるとしよう。映画は何千というコマからできている。そのすべてがひとつながりになって、そこから映像ができる。そのビデオ全体が君の魂の人生だと考えてみなさい。映画の一コマ一コマが、一つの肉体、一つの人生だということだ。
それを聞いてスチーブはこんなことを言いました。
もし、それが本当なら、くせというものは一つのコマから次のコマに簡単に移ってしまうことになる。
以上の部分を読んで私が思ったのは、自分の人生に不満があるとしたら、今すぐ取りかかれってことでしょうか。
過去や未来に思いをはせても始まらないのです。今という瞬間に気づいていることが鍵なのでしょうね。
たいていの人々はそんなことを考えず日々を過ごしています。そして、次の人生になってもその繰り返しを続けようとします。
でも、そのうち何か変だな?!と気づき始めるのです。
そう感じた人々がスピリチュアルなことに感心を寄せるようになるのでしょうね。
現代は、そうやって気づきだす人が増えてきているように思えます。
今まで私は、過去生というものは信じていましたが(というより、感じていたと表現した方が近いかな)、それは断片的にいろいろなものがつながっているような印象を持っていました。
でも、デリバランス老人の話を聞くと、もっと、まとまりのあるもののようですね!
改めて、今の人生を見直してみたいと思いました。
自分は、魂の存在であるという観点から。
Photo by ミントBlue
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