京橋の松下IMPホールに行ってきました。
第三回正論大阪シネマサロン。
前売で2000円。虎ノ門ニュースで知って、申し込みました。
結構早めに行った方がいいかなと11:30開場だったので、11:45くらいには会場に着きました。
まだたくさん席は空いてたけど、最終的には満席に近い状態でした。800席だそうです。
早めに行ったので見やすい席が取れました。
12:30映画上映。
岡田君がかっこよすぎて、あと日本映画に良くある、なんて?台詞聞こえへん状態。
まあ、話はわかってるので、いいけど。
で、講演でもおっしゃっていましたが、日本人の侍ぶり が 描ききれてないなと思いました(時間の都合上仕方ないとも思うし、百田さんもおっしゃってました)。
講演でもお話があったのですが、イラクとの貿易にこぎつけるまでの話の中で原作に出てきた「東京銀行の係長」「
財務省の役人」「東京海上火災保険の担当者」は実名だそうです。
戦後日本の一般の人には誇るべき日本を愛する心があったのだと、日本のためになんとかしたい、自分のクビ一つですむならという思いがあったんですね。今の自分が情けない。
原作もホントはあと200ページあったそうですが、長すぎるので泣く泣くカットしたそうです。
しなくていいのにー。
15時に休憩。
15:15講演開始。
冒頭から笑いまくり。
百田さんは日章丸事件を知らなかったそうで、探偵ナイトスクープの女性スタッフに2011年8月に教えてもらったそうです。
それで、その時はすごいドラマのような事件があったことに驚いたけど、それを小説にするつもりは無かったのだとか。
周りの人に聞いたところすべて(20人とおっしゃってました)知らないとの答えで、仕事で知り合った加藤さんという講談社(?たしか)の方にもお話したが知らないと言われたそうです。
加藤さんのくだりは結構長かったんですが、天王寺高校から東大を出て、大手週刊誌(現代とか)の編集長を歴任されたのだけど、当時他社が手だししなかった大物政治家、プロダクション、角界などの記事を連発して、有名な方らしい。
方々から名誉毀損の訴訟をされ、一度に総額44億円だったかな、大記録を打ち立てたらしいです。
そのせいもあって、エリートコースから外れて左遷されていた部署(ノンフィクションを扱うところ)にいるときに知り合ったそうです。
ちなみに加藤さんの手柄は袋とじを開発したとのこと。あのときに特許申請しとけばよかったのに、と。
2011年10月に加藤さんからダンボールが届き、その中身が大量の「袋とじ」ではなく、日章丸事件の資料が入っていたそうです。
その内容は出光の内部資料とおぼしきものとかで、とても普通にネットや図書館で集められるものではなかったそうです。
GJ加藤さん(フルネームばらされてましたけど(^-^;)
百田さんがおっしゃる通り、戦後の日本人のがんばりようはただただすごい!としか言いようがないです。
これに感銘を受けないひとがいるでしょうか。
彼ら日本の為に尽くした日本人があってこそ今の生活があるんですよね。
大東亜戦争で戦死した200万人の英霊は、大正後半生まれの方が多かったと、3~4人に一人が亡くなったそうです。
その後復員された方々が、戦後「日本が復興するには50年必要、昭和5年くらいまでに戻る程度」という予測に反して、20年たらずで東京オリンピックを開催し、新幹線を走らせた。
本当にすごいことです。
原作にはない話として、昭和53年(たしか)に93歳?でお亡くなりになった出光佐三さんに対して、昭和天皇が御製をお詠みになったらしいです。
予定時間は不明でしたが、時間超過して終了後、最後に産経新聞社の偉いさんから謝辞があって、終わろうとして再び百田さんが話し出した!
南沙諸島を埋め立てている中共によってタンカーが通れなくなる可能性、そこからの野田聖子総務相の「日本に関係ない」発言。
「まだしゃべってるわ、ええ?」と今度はNHKの世論調査によると18連休した野党の支持率が自民党の支持率の3分の1しかないという事実。これやったらあと12くらい野党いるで~。
立憲民主とか入れた人とかいないですよね、いたら手挙げてください、そんな人帰ってください。
あと、高槻から来た人いますか?高槻の人、あの辻本清美とか落としてくださいね!!
と、ここで産経の偉いさんから苦笑いの止めが入った。
もう、爆笑!
サイコー!
1時間いい話、笑える話、泣ける話もりもりでした。
楽しかったO(≧∇≦)o
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