「咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る
何をくよくよ川端柳 水の流れを見て暮らす」
食用馬肉の文化は、今から400年前に起こったのではないかといわれております。
1590年代に豊臣秀吉の命により朝鮮出兵が行なわれました。
その戦場に出陣した、賤ヶ岳の七本槍こと
肥後国、熊本城主、加藤清正公が
戦地での食糧難に陥った時、軍馬を食したことに由来する。
その後、蔓延した高熱病などの治癒、薬膳料理として普及し
食用馬の飼育が盛んになったそうです。
医学的にも、その優れた栄養価が立証されており
ヨーロッパではアスリートやトップモデルが好んで食するほど。
日本では675年、天武天皇が「牛馬犬猿鶏の肉を食うことなかれ」とし
四足の禁忌が植え付いたようです。
すべてのものに神が宿る日本的な考えなのか
穢れを嫌う他宗教の影響なのか・・・
仏教の影響もあり、獣を食すことは戒律上できないわけですが
まったく食べられていなかったわけではありません。
今も残る
「モミジ」「ボタン」「サクラ」などの
植物の名前に置き換えた肉食はひとつの文化となって伝わっておりますので。
史実にのっとれば
江戸末期に、西洋文化が浸透すると
維新と共に食文化も激変した。
洋食に代表される肉食が普及すると、高価だった食用肉は
しだいに庶民レベルまで値を下げた。
(ザンギリ頭で鉄鍋は文明開化の味ぞなもし)
しかし牛肉の需要には及ばない馬肉。
背景には?
交通の要であり、戦場での軍馬としての関わり…
農耕民族にとって貴重な馬…
これら、食用として馬を避けてしまうイメージがあるのでしょう。
しかし、安価だったためコンビーフの増量用にと牛肉に混ぜられたり
馬油として、母子に好まれるなど。
主ではないが身の回りに多く馬は使われていた。
(現代ではペットフード利用なども…アシタメ的には非常にもったいない)
他の食用肉と比べても、生体時の基礎体温が高く、回虫も少ないコト
鉄分を多く含むコトなどなど…
最近耳にする、ペプチドが豊富で保温効果、解毒効果
高血圧の血管を拡張し血圧を下げる効果がある。
さらに馬肉の脂肪をヤケドや怪我の患部にあてると治りが早くなる効果など…。
さらに!さらに!馬肉に多く含まれる、ヘム鉄・グリコーゲンは最近注目のダイエット成分!!
やはり、その高い栄養価と安全性は様々な民間療法にもいきている。
少しそれますが、生の馬肉を直接患部にはりつけて治療する地方も存在するとか。
(王監督と秋山選手の逸話など)
さて、それでは本題!
長井市、はたまた山形県内に食用馬の風習が残ることを
アシタメなりに考察…
まず、全国に見る食用馬の産地として
北から…
福島県
長野県
山梨県
岡山県
そして・・・
熊本県
ん~。
共通ワードを紐解く前に
山形の馬肉文化をアシタメなりに!
時は、安土桃山から江戸時代・・・・
加藤清正公の三男、忠広公は庄内丸岡に配流となり
父、清正の骨を丸岡城に埋葬したと言われております。
焼失してしまいましたが、丸岡城跡の地中からは
鎧一領と、蓋の無い人骨の入った壺(九州肥前弓野焼)が発見され
「正保4年12月3日、清地院居士敬白」と
刻字された五輪の塔が出土しております。
加藤家には築城・治水工事に優れた物が多く
熊本の地から多くの職人も庄内の地に移り住んだのではないでしょうか?
20人の家臣の内、忠広公没後に庄内藩に召し抱えられた6名によって
熊本の文化や風習が伝わったのではないだろうか…
その際、伝統である「食用馬」の風習も伝わったのでは?
食用ではないですが、最上町は江戸時代、小国駒の産地だった。
さてさて、ここでちょっと余談ですが
山形県内を領地としていた武将やその家臣が
朝鮮出兵に絡む史実。
1592年から行なわれた朝鮮出兵
加藤清正、上杉景勝、直江兼続の共通点
「朝鮮」「治水工事」「石工」「庄内」
出兵時に、大陸の石組みの技術や治水の知識を学び
日本の技術と融合させたのでは?
戦利品として持ち帰った兵法の書もしかり・・・
当時、上杉領だった庄内地方と置賜地方
最上川舟運と食用馬をこじつける。(飯豊山や最上川の開削・掘削知識)
1610年~1650年代までに
熊本の文化と出羽の文化が融合して・・・
飢饉時、粗食時代を経て
栄養価の高い食の研究がなされ
かてものが確立。
荒っぽい考察ですが、的外れでもないので?
そして現代に馬肉を食す文化が!!
福島会津地方も馬肉の産地ですからね~。
書きなぐってますが・・・。
近頃話題の
競馬場のながれもいいのですが
今泉に競馬場があったことは知っています。
八ヶ森へ登る道の途中
新バイパスを越えた少し先の一帯がそうでした。
かなり昔、小屋や柵があったように記憶してますが・・・?
旧日本軍の射撃場もあったりと。
じっちゃの話で聞いたことがありますが、道産子のような競馬だったような。
外来種のサラブレットの時代じゃないと思いますしね。わすっちゃは~!
馬について和種の存在は、その他に知りません。
牛にも食用があるように
馬にも食用があります。
自国での消費が少ない、カナダ産やアメリカ産が流通しておりますが
黒毛和牛のような、馬の和種は残っているのでしょうか?
ペルジャン・ペシュロン・ブルトン
交配種ペルブルジャン
どれも道産子のようにガッチリした体型の馬。
現代の食肉用の馬だそうです。
まぁ~何にしてもです
戦国武将と馬のイメージから
なかなか難しい考察となりましたが
長い文章にお付き合いいただきありがとうございます。
「三千世界の馬を食し、かめやで朝ラーしてみたい」
次回、書くことがあれば
また備忘録から吸い上げます。
昔、我が家にも馬がおりましたので
ナマナマの前で、じっちゃとばっちゃにでも聞いてみます。
おじんちゃだったらわがっかな~。
しかし
こんな裏とらなくても
観光ってできるんだろうけど~。
大河観光世代は、定年富裕層ですから
こっち側からのアクションを起こしていかないと
魂をくすぐれませんし。
歴女しかり
仏男しかり
(仏像をこよなく愛する男子=アシタメの造語)
ありがとうございました。