らんらんらんヽ(´▽`)/

 細々と、淡々と、目立たずに書いて行きたいと思います✨

 昔のわたしはもっと肥えていました。

2024-09-04 09:37:36 | 今と昔物語。

 昔のわたしはもっと肥えてました。

 しばらく前にお尻の穴の入り口の直ぐのところに悪い腫れ物が出来てしまい、照射や投薬の治療を受けました。幸い治療はうまく行って、今は再発しないか見守りの期間です。

 

 唯、病気のせいでだいぶ痩せました。

 昔のわたしは今よりもっと肥えていたのです。

 

 

 わたしは15才のときから肛門性交を行い、16才のときには慢性痔ろうに成ってしまいました。

 

 痔の治療も行いながら、今も性生活では肛門を使用しています。それが病気の原因で有ったかも知れませんが、わたしはきちんと好きな人と快楽を共有することは悪いことでは無いし、生きて行く力の糧として大切なことだと考えています。

 

 今はなるべくお尻の穴の内側に負担が掛からない様な動作でパートナーと悦びを分かち合っています、

 

 だいぶ目方も戻って来ています。

 いっとき吐き気でご飯が食べられないときが有ったけど、そのときは蓄えていた贅肉が役に経った様に思えます。

 

 わたしは今では肥えることに安心を感じています。

 

 

 

 

 

 2年前くらいのわたし。

 1年前くらいのわたし。

 最近のわたし。

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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ゆうまりさんへ (masyo69)
2024-09-05 07:35:01
今回の記事は、私たちの内面に迫っていますね。
ゆうまりさんは、女装さんというよりLGBTもしくは「女」そのものなのだと思います。
まぁ無理に分類することは無いのですけれど‥(笑)
ルッキズムに話を戻すと、いかにもオヤジ女装だったら、ブログに何が書いてあろうと、恭子は申し訳ないけど、そういうポテンシャルも努力も無い人を女装って言って欲しくないのです。
ゆうまりさんは、女性って言われても違和感がありませんし、恭子のブログに書かれた文字さえも女性のオーラを放っていて、最初は純女さんかと思い、恐る恐る確かめたのでした。(笑)
本題に戻すと、女装にも何種類あって、コスプレ女装、下着女装、画像加工女装(これは女装と認めたくありませんが‥)‥
要は衣装だけ下着だけのファッションが多いと思います。
恭子の場合は、女性として日常生活がしたいという中身の葛藤です。
当然、恋愛対象は男性になってゆきました。(昔は、下着女装→衣装だけの天ぷら女装という道のりです)
男の人に愛される事で、女になっているんだってゆ実感を得られました。
それも最初は、性行為が目的化していましたけれど、徐々に複数いたセフレは、本当に好きな男の人に絞られてゆきました。
恭子にとって女装というのは、コスプレなど外見ではなく、中身も女性を志向することで、ゆうまりさんの云う「好きな人と快楽を共有する」ことだと思います

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Unknown ( ゆうまり)
2024-09-05 13:55:25
 恭子さん^ ^

 わたしは初めてお尻の穴で性行為をされたとき、痛くて怖くて少しも気持ち良く成れませんでした。

 痛いと言うのは本当に痛くて気絶してしまうい程に痛かったのでした。怖いと言うのはわたしの好きな人は全く人が変わったみたいに荒々しく成ってわたしを床に投げ倒して押さえ付け、そして何をされているのかわからなくて、もしかしたらわたしは殺されようとしているのでは無いのかと感じたからでした。


 本当にお尻の穴で愛されることが気持ち良く思えたのは半年くらい経ってからでした。それまでは毎日朝と夜はとても陰鬱な気持ちに成っていました。出来ればパンティを脱がされ無い内に射精させてしまおうと色々手を尽くしたりもしました。

 結局何をやっても最後はお尻の穴を使われるのだと分かり、ある時もう逃れようとしないで立ち向かうことを決心しました。そして少しずつ肛門性交が好き成りお尻の穴が気持ち良く感じるように成れました。多分わたしはその人を愛していなかったらそれは絶対に無理だったと思います。

 でも一時的に性行為そのものが目的に成ってしまうことは有り得ることだし、有る意味自然なことだとも感じます。それはわたし達にも動物としての本能故に、生きて行くことと子孫を残すことに強い執念が有るからです。

 性行為の目的ははつい愉しみや生き甲斐と思ってしまいますが、本当の目的は子どもを産んで子孫を繁栄させようとする切実なことです。頭では夢中で悦楽に浸っていても、遺伝子は必死なのだと思います。



 わたしの場合、別に自分の人格や多様性とかを認めさせようとしてハイヒールを履いて町に買い物に行っている訳で無く、単に足が長く見えて鏡に映る自分の姿に高揚し自信と活力が漲って来るのが快感だからです。

 わたしのば場合、特に「女装」と言えるほど哲学や拘りが有る訳では無いのです。明るく柔らかい色の服に目が行って買って着てみての延長なのです。好きで女装を探求している男の人達からは中途半端に映ると思います。

 いや、「おやじ女装」と言うジャンルも有るみたいだから、探求の方向性にも多様性が有るのでしょう。多分、おやじ女装と言うものはいかりや長介さんがコントで演じたやつみたいな感じでしょうか。LGBTも括り出すと果てし無く分類されて行きそうで不便に感じて来ます。

 わたしが面白いと思う世の中は、もう男装なんだか女装なんだか多様性なんだか滅茶苦茶なんだか訳の分からない世の中です。その中でわたしは可愛いものを見付けて触れて行きたいと思います^ ^


 

 
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