「あたごウクレレ」の最初にスチールギターを教えていただいたのは、村上一徳さんでした。
昭和35年頃だったと記憶しています。銀座の山野楽器の地下でグループレッスンを受けました。銀座のタクトでは、バッキー白片、オッパチさん達の時代でしたから随分とお年寄りの方がと・・・・いま考えると失礼なことを想像していました。
まさか、あの「熱風」の村上一徳さんとは存じ上げるすべさえありませんでした。
ご指導いただいたのは、Am7でした。当時の様子だけは脳裏から離れませんよ。
その後、バッキー白片さんにあこがれてAmに変えましたが。
昭和35年頃だったと記憶しています。銀座の山野楽器の地下でグループレッスンを受けました。銀座のタクトでは、バッキー白片、オッパチさん達の時代でしたから随分とお年寄りの方がと・・・・いま考えると失礼なことを想像していました。
まさか、あの「熱風」の村上一徳さんとは存じ上げるすべさえありませんでした。
ご指導いただいたのは、Am7でした。当時の様子だけは脳裏から離れませんよ。
その後、バッキー白片さんにあこがれてAmに変えましたが。
村上さんは当時銀座1丁目にあった「ハワイアン・ルーム」に連れて行ってくれることもありましたが、そこではオウナーの広瀬さんや今でも司会や解説で活躍されている鳥山さんも顔を出されていました。
私の中学時代からの親友が村上さんから免許皆伝を言い渡されるほどスチールを勉強し、プロになるかどうか迷っていたときに、村上さんの経験から「世の中そんなに甘くない」と諭されてプロへの夢をあきらめ就職、その後一流会社の社長にまで上り詰めたので、村上さんに感謝しているとよく言っています。
それから津田さんのお名前は「俊夫さん」です。
イットクさんのお嬢さん(京子さん)もベースを弾きながら「シャイニー・ストッキングス」を率いていました。現在でも若いメンバーたちとライブをやっているようですね。
私はまだ紅顔の中学か高校生でした(笑)。
村上一徳といったら、私にとっては伝説的な人です。オッパチさんの師匠であることは、タクトのステージでよく聞かされました。
>お嬢さん(京子さん)
村上京子さんですね。ベテランの女性ジャズボーカリストです。その息子さんが、いま人気を博している若手ジャズボーカリスト、小林圭です。京子さんは結婚して小林姓になりました。
芸名を「カツラ・タイコ」と称し、その合間にボーカルで目立っています・・・