いつか晴れるかな…

家族…親子関係の変化…
私の心の拠り所
いつか心が晴れますように。

2020/08/24

2020-08-24 11:46:00 | 日記
実家への規制の度に市役所へ出向き、ケアマネージャーさんを決める手続きをしたり、介護認定の申請をしたりしました。
父に頼むと「母さんは治る。大した事ない。」の一点張りで話が先に進まないので、両親にはいちいち了解を取りません。

帰省の度に母とランチしたり、ゆっくり思い出話をしたり、弟のお墓参りに行ったり。
若くして家を出た私にとって、懐かしくも心地よい日々でした。

2歳違いの弟を亡くし、いきなり一人っ子になってしまった私。
両親のことから逃げるつもりはないのですが、吐き出すところがないと爆発しそうだった…。
ここに吐き出して、たまには前を向けなくなっても立ち直って乗り越えて行かなきゃ。


新たな告知と仕事

2020-08-22 09:21:00 | 日記
関東に暮らす私、実家は東北。
母の通院のため、2週間に1度実家へ戻る日々の始まりです。

49日を迎え、納骨も済ませ(私の故郷の地区では49日の際に納骨をする事が多いのです。)また2週間ごとの通院日。

ある日、父親から呼び出され告げられたのは「あのな、お前だけには言っておく。父さん癌なんだ。」
もう頭が真っ白…。

一気に皆して死んだり、病気になったり…もういい加減にしてくれ!
そう思ってしまったこともありました。
父は幸い初期の喉頭癌。

レーザー治療で治るという事なのですが、次回の通院日に私も父と同席して改めて告知・治療方法についての話を聞くとに。

そんな生活が続き、有給休暇の申請をする私に最初は「大変だね…」と言ってくれた上司も次第に「また?」と嫌な顔をするようになりました。
様々な雑務も手をつけることが出来なくなり、全てを抱えることに疲れていた私は退職。落ち着くまで両親のことに専念することにしました。

2週間に1度、家を空ける私を子どもたちが「お母さんにしか出来ない事だから頑張って」と応援してくれたことが心の支えでした。

始まり 3

2020-08-22 09:00:00 | 日記
私は仕事や子どもたちの学校などが始まる事もあり一旦帰宅。
そして2週間後、仕事等の目処もたち再び故郷へ。

ずっと付き添っていて、ろくに寝ていない母。周りが少し横になった方がいいと促し、休憩の為に母が病院を離れている間に弟は亡くなりました。

身体をを支えながら弟が亡くなったことを伝え、目の前に母を連れて行くと…。

和らいだ表情で「あぁ…そう…。」

今思えばこの時から始まっていたんだな…と思います。

火葬される前「今晩は〇〇のそばで寝る」と言って弟の遺体の側で寝た母が夜中に寝言で
「うわぁぁぁ!!!!!」と叫んだこと以外、母は悲しくないのだろうか…と思うくらい冷静で、通夜の時も…火葬の時も…お葬式の時も涙を見せることはありませんでした。

弔問に来て下さる方、手伝いをしてくれる親戚…、母と話した人達に「お母さん受け答えがおかしいよ?病院へ連れて行ってあげて」と言われるし、私自身もそう感じていたので母と一緒に物忘れ外来へ。

下された診断は「アルツハイマー型認知症」

弟の死からまだ1ヶ程。
母はまだ69歳でした。




始まり 2

2020-08-21 19:13:00 | 日記
小田原へ向かう途中、地元にいる幼なじみへ電話したりしてるうちに涙が止まらなくなって来た。
でも同行する皆さんに申し訳ないな…なんて思ってしまって平然を装って小田原へ到着。
頭がどうにかなっていた。
でも、そこでもう我慢の限界…。
事情を聞いた知り合いが、タクシーと航空券を確保してくれて自宅経由で羽田まで送ってくれました。
かえって気を使わせてしまいましたが、この時の私は判断能力を失っていたので本当に感謝しています。
急いで飛行機で故郷へ…。弟が入院している病院へ直行。

病院で待っていたのは、泣き腫らして目を真っ赤にしていた私の子ども達と、憔悴しきった両親と、たくさんの親戚や知り合い、そして鎮痛剤で眠らされ、たくさんの管に繋がれた弟でした。

主治医の先生の話を聞くと、余命1ヶ月どころか肺腺がん末期で余命3日でした。

ただ管に繋がれて治療法も無く、心臓が持つ所まで死を待つのみの弟。

もう話すことも出来ない。

始まり 1

2020-08-21 18:17:00 | 日記
毎年、お正月は子どもたちだけが私の実家に帰省。
私はずっと見てみたかった箱根駅伝を見に行く予定。
箱根駅伝をたのしみにしながら、のんびり大掃除をしたりして、1人の年末年始を満喫していました。

2日の朝起きると、滅多にメールを送ってくることの無い父親からメールが入っていました。

「〇〇(弟)が危篤で1ヶ月持たないらしい。」

特に持病があった訳でもなく、年末まで仕事をしていた弟。
頭が真っ白になり、取り敢えず父に電話した。嘘でしょ?って。

「いや…本当なんだ…。」

頭の中がかなりのパニック。
取り敢えず、箱根駅伝に一緒に行く知り合いに申し訳ないし訳が分からないまんま、待ち合わせに向かうことに。