思考が走りまわっていて辛い。
入眠中でも脳内で暴れているらしく、
寝ても起きても疲れている。
嫌がらせは、疲 れ る。
本当に。
他人の人間性を変えることはできないから、
自分の認知を変えるしかないのだけど、
「なぜ?」とか
「どうして?」
という力技で脇に追いやった問いが、
夢のなかに入り込む。
自分はもう出ていくんだよ。
安心していいんだ。
あと少しの辛抱だから。
妖怪との別れは決まってんだからよっ!
と自分に言い聞かせているけれど、
(書きながらも言い聞かせている)
自分の一部が、
安心しきれずにいるのかな。
なんだろうな。
はぁ。
いい歳になっているのに、
翻弄されてジタバタしている自分を、
情けなく思っているのかも。。。
で、
ざわざわする騒がしい思考から逃れたくて、
静寂について考えていて、
ふと、羊飼いを思い出した。
古都・洛陽郊外の羊飼い。
飛竜(恐竜)の卵の化石が大量に出ることでも有名な土地だ。
無数の飛竜がおたけびを上げて(たぶん)
駆け巡っていた広大無辺な場所では、
数億年を経たいま、
とても小さな人間たちが、
静かに暮らしをたてている。
そんな村にいる羊飼いたち。。。
*
ちなみに、
村の農民たちにとって卵の化石は、
長いこと豚小屋の屋根の素材だったらしい。
いまは厳しい管理下におかれていて、
当たり前だが、
卵を勝手に使ったり
外に持ち出すことは禁止されている。
でも20年前はそうでもなく、
この土地の某公共施設で、
「恐竜のたまも買うか?」
と持ち掛けられたこともある。
アバウトな時代が懐かしい。
いわゆる、しっちゃかめっちゃかだったが、
想定外の連続で楽しい毎日だった^^
この施設は現在は移転して、
世界中から観光客が来る超立派な博物館になっている。
(マンモスの骨がつる下がっているあそこです)
黄河支流。
何億年、濁流が流れ続けたんだろう。
億年の自然の、
静かながら荒々しい営み。
洛陽郊外は、
見惚れ続けずにはいられない景色が延々と続いていて飽きない。
いまもそうだといいなあ。
河は水量が少なくても、
黄河の支流らしく、
どこもかしこもまっ茶色だ。
村人の多くは河で洗濯をしていたから、
住民たちもまた黄河色に染まっている。
*
羊、山羊、レンガ造りの家、
すべての生き物が、
億年の時間が溶けた琥珀色の空間で、
のんびりと、ゆったりと、息づいている。
羊飼いは絵画の一部のようでもあり、
その世界を震わせる弦楽器のようでもある。
いまはどうだろう?
変わってしまっただろうか。
当時はうらやましいなと思ったものだが、
いまでも改めてそう思う。
行為一つひとつに静寂が満ちていて、
羊飼いの一歩が、
空間全体にさらに静寂を響かせ溶け込んでいく。
そんな世界、そんな暮らし。
お天気や、
山や河や山羊や羊と共調しながら、
膨らんだ時空間のなかで、
空間をふるわせ、いまを生きる、とでもいうか。
(意味不明)。
琥珀色の世界にいなくても、
静寂を呼び込む方法があるだろう。
羊がいなくても羊飼いになる方法というのかな。
メンタル不全で文章がまとまらん。
もうあかん。
(写真はすべて2007年初夏撮影)