私は、もともと絵を描くのが好きだったので、
美術は、割と身近にある。
高校からデザイン科だった。
高校時代、染織を学んだ。
一本の糸が布になっていく。
糸で絵や幾何学的な模様ができることを知った。
染織に興味を持ち、高校卒業して学校へ行った。
染織は、生活に活かせたらいい。
自分がデザインしたタペストリー、ラグを作りたいと思った。
いつか北欧で染織を学びたいっていう気持ちもあった。
その時の友達がフィンランドに留学したと聞いた。
10歳位、年上の人で、
ずっと染織を学んでいた人だった。
結局、広告デザイン事務所で働いた。
小規模だったけれど、カタログなどの編集デザインだった。
仕事受注、見積もり、見本提出、
写真、イラスト、原稿作成か依頼、写植依頼、
版下制作、色や文字の指定、印刷後校正、印刷、納品。
…までの流れがある。
その時、会社から写植の学校に行って、
未倭ちゃんパパに出会った。
父が作った会社の前は、印刷会社で働いていた。
子育てしながら編集デザインの仕事に就くのは無理だった。
また業界も進化して、勉強も必要だった。
編集とか版下制作がコンピュータでできるようになっていた。
それまでは、製図用のペンで、罫線、トンボを書いたりしていた。
今では、懐かしいT定規、三角定規にロットリングとステッドラーの消しゴム。
そして、高校時代に使った製図用具が、ずーーっと家にある。
染織は、子育てで忙しくてやめた。
娘が幼稚園に入るまでは、
子供の洋服や小物を少し手作りした。
布も大事なアイテムになった。
作ることが好きだった。
編み物も好きだ。
簡単なものは、編む。
写真を撮ること、
パソコンを組み立てるのもその延長線上だ。
手織りはやめたが、本屋さんで染織関連の本を見かけると買ってしまう。
写真展、アート展は、時々行く。
そんなこんなで歳とったわ。
過去を振り返ると、
ブレない考えをしていることに気づく。
(パートのおばちゃんだけどね😅)
娘は、
パートのおばちゃんだからいいのだ。
って、言った時がある。
その意味、なんとなく分かった。
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9月3日の朝 6時12分
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/83/816f7a86aec61e650e50eb7b1c596ff4.jpg)
雨上がりで、地面が少し濡れていた。