あゆどんのつれづれなるままに

ここは、木の花での子ども達の遊び風景の断片を綴る「園長日誌」。木の花幼稚園での様々な場所で、子ども達が織り成す情景の随想

11月2日 幼保小連携とは・・・?③そして地域の連携の第一歩・・・

2018年12月30日 | 日記
 中央小のマラソン大会を犀川で応援してその足で中村町小学校の秋祭りに参加する年長9名を連れてゆく。

 当日朝に団扇で応援グッズを子ども達と作製していざ出発。小走りで子どもたちもうきうきマラソン気分。御影橋から早速走り抜ける小学生たちに団扇を叩いて「がんばれ!しょうがくせい!」との文字の配列に子どもたちが並び声援を送る。自分で決めた文字でもあり、自分たちでそそくさと並ぶのはさすがまつさん。3年生の卒園生の快走に声援を送ると、木の花卒園生たちも手を振って応えてくれるのがうれしい。(後日学校探検時に小学生に訊くと、このときの女子は1~3位が木の花卒園生たちだった、とか。応援効果かな・・・笑)

  

 中村町の秋祭りでは地域の方や小学生に混ざってあちこちの小学生のお店を堪能。木の花祭りに向けて刺激を受けた模様。(小学生ならではの面白いお店もあったしねえ。)卒園生たちもそれぞれ奮闘する姿が垣間見えてうれしい。お土産(景品)もいくつかもらえて満足気な子ども達。

  

 足取り軽く犀川に行けば6年生がマラソンスタートの場面。トイレに行きたい、という子もいたので、今度は犀川べりに下りて至近距離で応援。さすがに6年生、迫力のある走りで目の前を駆け抜けると、木の花っ子たちもつられて後を追ってみんな走っていく・・・。これまたすごい刺激だね。御影橋付近でストップしてもらったが、声をかけなかったらずっと追っていったかも・・・笑

  

 夕方は近隣のこども園さんが今年金沢市の幼保小連携事業に採択され、中央小との交流事業を実施。地域の保育園、幼稚園、子ども園、中央小との教師間の意見交換会に参加。事前アンケートにあった「就学に向けて」という文言にこの会のコーディネーターで作成された大学の先生に「誤解を与えかねないのでは?」と噛みついたところ(失礼しました)、同じような想いでいた子ども園、幼稚園関係者には多かったのが心強く、研究者との温度差を感じる要因でもあった。「義務教育、及びその後の人生の土台の基礎を築く」教育としての幼児教育の「義務教育」だけに特化されそうな意味合いにとられがちなので、誤解を受けかねない。一方、学校の先生の受け取り方も、幼少連携にとても理解があるいい先生であるのだが、学校教育に活かされている姿への回答は、時間観念だったり、文字(識字)だったり、等々の姿を挙げられると、「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」とは全く、ではないにしろ、矮小化された姿では・・・?と率直に感じる。幼保小の共通する「糊代」であるはずの10の姿への理解は如何なものか?と学校教員側との学習指導要領改訂の研修の説明との基盤がそもそも違うと考えざるを得ない(気がする)。

・・・という諸々のギャップを改めて分かって、ある意味有益でもあった会合である。幼児期の育ちを小学校に繋げるにはまずはここの幼保こども園と学校との先生の感覚のギャップをまず認識するところからだなあ・・・。



10月24日 幼保小連携とは・・・?②垣根を越えてECEQ公開

2018年12月30日 | 日記
 昨年木の花で実施したECEQ公開が今年は別の園で実施。県内2例目になるが、今度はECEQコーディネーターの立場で参加。
 先月にSTEP1での園長、主任のヒヤリング、STEP2での職員ワークを経て、STEP3の問づくりは当該園の先生方が自ら実施しての本日がSTEP4である公開本番。初任研とも兼ねた幼稚園教育理解推進事業の一環で、テーマが幼小連携ということもあり、参加者に初任者が多いことと学校の先生も混ざっていることが特徴的。かつて木の花っ子の引き継ぎでお世話になった小学校にいた先生方との再会もあり、様々な学校の抱える課題についても断片的に話し合う。

 学校の先生からするとこうした幼稚園現場に来ること自体が珍しく、活き活きと子どもが遊んでいる姿がともて新鮮に感じられるそうだ。それは対比的に学校現場での意欲のない子どもたちの姿と格闘しているがために、なおさら、「なぜこうなってしまうのか?」という問いかけでもある。1,2年はともかく3年生以上になると、学習も体育も図工も音楽など何もかもやる気がなく、如何にしてやる気を起こさせるか?に苦心惨憺とのこと・・・。
 幼児期に育むべき能力・資質の3つの要素の一つ、「学びに向かう力」(主体性、意欲)、その内発的なモチベーションは遊びにおいてこそ自然に身についていくものだが、年少の育ちの姿が年中にどう変わり、そして年長へと育っているのか? その先の小学校生活を見通す10の姿がどう育っているか? 遊びを楽しそう、という見方で終わらせず、何を楽しみ、そこから何を学び取っているか?幼小連携から接続へ「学び」の連続性で、異校種の先生方で共に考えていく場が持てれば、と思う。

 締めの講師の先生の講義はみこし研究会の講師の先生でもあり、じっさいの小学校の生活科での自身の体験談をもとに学びの連続性をしっかりとワークショップも交えて伝えて頂く。(しかし実際には午後の協議会にまで残る学校の先生はほんとに少ない。忙しいのはわかるのですが・・・。)



10月13日 幼保小連携とは・・・?① 学校の先生との対話から

2018年12月30日 | 日記
 対話的な学びの示唆をいくつも頂いた何だろう研究会の翌日は小学校の教研大会。
 その一つの分科会が「幼年期から低学年」の部会でその共同研究者として参加。(今回は「繋ぐ」「支える」をテーマに4本のレポート)幼稚園のスタンスで発言させて頂いているが、小学校の先生方を相手にこの「遊び」での学び方をなかなかうまく説明しきれないもどかしさを改めて感じる。やはり幼小の教師間での認識のギャップを痛感する一方で、クラス内の子どもの姿に個人差の大きなギャップがありすぎるという学校の現場の話を聞くと、各幼稚園・保育園での生活、カリキュラムを経て幼児期の終わりまでに「10の姿」に向けて子ども達の中で何が育っているか?発信と共に実践の在り方にもそれぞれの各施設で目を向ける必要がありそうだ。

 興味深かったのは一年生の入学当初の時間割の週案を立てる際に、幼稚園・保育園の先生たちと一緒にワークしながら立ててみた、という報告。学校の表向きの週案とは異なる子どもの姿に合わせた実質的な中身で時間割の編成をしてみた、という学校の先生のお話は、幼小の接続期の教育(スタートカリキュラムとカッコイイ言葉にごまかされず)を考えると、非常に参考になる話だと思う。何だろう研究会と別に幼小連携をテーマに据えた、幼稚園協会のみこし研究会(子どもの成長を見越した学びを支える研究会)は11月に小学校の授業参観とその後の振り返りを学校の先生との対話的な場として設定。「学び」をつなげるにはこういう場をとりあえず持つことだけでも大きな一歩。幼小双方に対話的な学びが生まれる場になる、そんな異校種間の連携が今、求められている、と思う。


10月12日 布・・・木花流の対話的な学び

2018年12月30日 | 日記
 アフター運動会の日々・・・・。


  

 庭やホールで体を使いながら、使ったモノも存分に遊びこみ、ほかの学年の演技・遊戯を楽しみつつ、改めて運動会で使ってきたモノが自由遊びでの子どもたちの使い方にフィードバックされていく。そんな一端をゆっぴーが映像で追った。というのも幼稚園協会の遊びって何だろう研究会(第3期)で焦点に充ててきた「対話的な学び」。子どもが見出す、創り出す遊びの中には空間やモノとの対話、あるいはモノを介して友だち(ひと)との対話的なやりとりが存分に盛り込まれている。その中身を映像を用いて園の垣根を超えた先生同士が紐解く作業の宿題として。

 今回木の花が提供したのは運動会で活用した「風呂敷」+紐。アフター運動会での自由遊びの光景の一端。提供した映像ではベランダでの階段という空間を活用した年中児の遊びが中心。「結び方」をあの手この手で工夫する様が見て取れるが、モノを組み合わせる「結ぶ」という行為は木の花の定番とも言える。また布を介して子ども同士の対話も生まれているのは運動会でも随所に垣間見えていた。布一枚がひととひととを「結んでゆく」。



 各園持ち寄りの映像でも共通して見て取れるのはモノの組み合わせと活用の工夫。それを子どもたちが繰り返し試行錯誤して遊びを創り出していくこと。大人から教えられて・・・・ではない、遊びの主体的かつこのモノとの相互作用的な(というか大人があまり思いつかないモノに働きかける行為と変化するモノへのまた新たな反応、対応)「対話」の如き続く営みが、実は子どもが自ら体験的に発掘、発見、創造している「学び方」。これは単純なモノへの知識(布や紐の特性)やスキル(ここでは結ぶやり方)にとどまらず、身近なモノを活用する方法論を体験で編み出しているところに遊びの持つ本質的な学びの要素がある、と改めて園の垣根を超えたビデオトークで検証。



10月3日 やってみなくちゃわからない、運動会

2018年12月30日 | 日記
 運動会の準備、練習も佳境を迎えた9月末、新入園の園児募集の受付準備という二重の準備が重なる中、またもや大型台風の襲来。
 猛暑、大雨、そして台風・・・。亜熱帯化しつつある日本列島を再び直撃するとのことで、運動会、新入園、台風対策の3重苦。金沢市内の小学校は早くも週明けの登校時間を遅らせたが、今回は木の花気象予報士の判断で、速度が速まるのと進路が西側に入る(白山に守られるコース)とみて、登園時間の判断も当日まで先延ばしさせてもらう。

 台風一過の朝。園の被害は特になく、庭の栗がぼとぼと落ちたくらい。運動会準備で叩き落とす手間が省けまた朝から運動会の練習も出来て職員も喜び、子どもたちは「くりパーティしよう!とこれまた大喜び。(蜜柑も大丈夫だったし・・・)

 さあ、そんな秋の実りの運動会・・・。



 新しい門扉を初開門してお客さんを迎える。今年は例年になく天気予報を気にすることなく、完全無欠の秋晴れ。晴れ男の面目躍如ってとこか・・・笑。

 門扉側のスペースが大きく空いたせいかお客さん席が広く取れる分、今まで柿の木と桜の木で直線で結んでいたお客さん席のトラロープを楕円形に広げることができた。少しだがリレーのトラックが大きくなった、と思う。大きな演技、競技を期待したいねえ。

  

 「見られる」ことを意識する・・・そんな行事が続く下半期。運動会はその意味で一年の大きなエポック。自分を客体化して意識できる「もう一人」の自分の存在(社会的自我)。固まったり、泣いてしまったり、恥ずかしくて・・・という出方も当然プチちゃんや年少さんではあるものの、子ども一人一人の動き方は全然違うし、表現を引き出す力がお客さん(共感的に見てくれる存在)で、演じ手と受け手との対話(反応)がこのお祭りの意味と改めて実感。我が子だけではない、クラス・学年あるいは学年を超えた全園児に向けられた育ちを共に喜び合える温かな視線。無観客の練習やリハとは全然違うなあ・・・と改めて思うお客さんの力。



 そんな大勢のお客さんを前にして庭という舞台に立つ子どもたちを支えるのは遊び生活を共にする仲間の存在。互いに競う(意識)・・・もあるけれど、互いに響き合う(感覚)・・・が木の花のベース。そしてそれを媒介するのが普段から遊び慣れた「モノ」の存在(段ボールであり、風呂敷であり、自作のフープ?等々)。でも普段のモノではない、取り組みの積み重ねで愛着のある「モノ」に変化していくからこそ、生まれる「世界」。普段の遊びでも世界を創るアイテムだが、使っているうちにこんなやり方、あんな方法、等々「愛着」が加味されていく。(誰のものでもいいようでそうではない。練習中に投げたフープが柿の木に引っかかって、それをなんとか棒で取り戻したり、練習後に風呂敷を丁寧に畳んだり・・・・。「モノ」だけど「友達」のように擬人化されているかの如し。)

  

 そこに音楽という音環境が身体全体で重なり、またイメージの世界が深まっていく、そんな取り組みが子どもたちと先生たちとのやりとりで日々少しづつ形を変えていく表現活動。(なので数日の前のリハの時ともまた使い方や構成も変わっていて、今回も当日は全然違っていて面白い。)様々な音楽が各クラスから放課後から夜遅くまで流れているのがこの時期。運動会というと決まった動作・運動の練習と特訓で到達度、完成度を競うイメージが一般的だけれど、正解のない想像的かつ創造的な表現への取り組みが主軸になるのが木の花流(なので教材としてのモノの活用とイメージを膨らませる音楽選択に先生たちの目に見えない労力はとても大きいし、小学校やあるいは他の園で取り組まれている運動会とは捉え方が違うかも、と思う。)

  

 また年長さんが毎年各クラス以外の競技やプログラムを考えて(ルールや体操の中身等々)、準備して(道具を作ったり)、実際にやってやり直して、実現していくのも、年長後半の取り組みの一つの柱。それを真剣にやってくれる大人(お客さん)の姿に立案、企画者の子どもたちは充実感を覚え、見ている子どもたちも声援を送って主客逆転。あるいは親子競技などは普段はしないような身体の使い方を大人の方々にも「おすそ分け」。真剣に遊ぶ大人の姿をこどもたちが「見る」機会を与えて頂きこれまた感謝。(小っちゃい子は想定通りにならないところもいい経験。)

  

 子どもたちが準備して、それをお客さんと分かち合う行事がこの運動会以降続いていく。日常のモノを使い非日常を創り、そして子どもたちは表現世界を潜って、自らの殻を一つ破りまた日常へと舞い戻る。運動会で使った道具類をフルに遊びで使いこみ、アフター運動会をしばらくは楽しみながら、移ろいゆく秋と合わせた節目の次の表現のお祭りへゆっくりとじんわりと歩を進める・・・。

9月7日 ほのぼの ほんわか 祖父母たち

2018年12月30日 | 日記
 夕涼み会で盆踊りをしてちょっとみんなで楽しむリズム活動の余韻を残して、二学期早々に迎えるのが祖父母の会(おじいちゃん、おばあちゃん、いらっしゃいの会)。
 盆踊りを祖父母とも楽しみ、自分たちの歌とリズムを「見られる」体験も挟みつつ、縦割りでの異世代交流の場。毎度のことながら我が孫のみならず色々な子どもたちに声をかけて関わってくれる木の花祖父母の温かい視線と態度に子ども達も感化されて、縦割りのそれぞれのチームのテーマに沿って色々な祖父母と楽しく遊ぶ。


          

 準備してお客さんを迎える行事として運動会前のステップとして、とても温かなお客さんたちの祖父母の皆さま、有難うございました。

9月4日 蜜柑

2018年12月30日 | 日記
 東海北陸静岡大会に免許更新講習30時間、幼稚園ってどんなとこ?のボランティア学生との茶話会企画・・・研修尽くしであっという間に夏休みが去っていくと、新学期早々の台風襲来。新学期の仕事がいきなり台風対策ってどういうこと・・・笑

 おやじの会が出来て10年。その初代会長さんの学年の子どもたちが卒園するときに、卒園記念として寄贈してくれた蜜柑の苗木。記念と記された切株はすでに朽ちてなく、タイサンボクや八重桜、杏に囲まれて日陰の存在でほとんど誰からも意識されず、でも今年の大雪にも耐えブランコの後ろでひっそりと育っていた蜜柑。やっぱり北陸で蜜柑は難しいよねえ・・・と半ばあきらめていたところ、今年10年目にしてようやく実をつけて驚き。これは大事にせねば・・・・と思っている矢先に台風かい。これは守らねば・・・。

 屋上のプール対策から二階ベランダのよしずを外し、高所が苦手ななおべいにも奮闘してもらい、庭の道具類を撤収しカメコを中に入れて、最後にツリーハウス側の夏みかんと蜜柑を守るために添木(棒)をつけて、とりあえず防御作戦完了。後は運を天に任せて神頼み・・・。

    

 台風一過。被害はほとんどなく、蜜柑も無事。よかった、よかった。もう高校生になっている卒園生たち。覚えていたら見に来てね。

8月3日 猛暑を楽しむ 研修編?

2018年12月30日 | 日記
 幼稚園教諭の免許更新講習の必修科目が本日(なので年少さんの遠足に行けず残念無念)。7月に始まった免許更新の選択科目からこの日は必修。10年に一度の免許更新。生年月日で区切られた第10グループに属するあゆどんはちゅうりんと共に今年が免許更新の年なのでした。例年運営側に回って研修を組み立てるほうだが、受講生として内側から講習を体験するのも、違った視点で良い経験となる・・・はず。

 講義で覚えたものを書く、ではない、講義やディスカッションを経て自分の考えを書く、というテストも幼稚園協会ならではの講師陣たちの今日的な試験の在り様。パソコンに慣れ過ぎていると、鉛筆作業がこれほど手の筋を使うのか?と実感。腱鞘炎になるかと思うくらい、1時間のフル作業。さて試験官の先生はこんなぎっしり文章(字)が読めるかな?(笑)

8月1日 猛暑を楽しむ 川編

2018年12月30日 | 日記
 年長さんの夏は手取川へ。年長ということで個々の荷物運搬はなくしっかり担いで、途中の水路で水浴びしたり、クリーンキャンペーンだよ、とゴミを拾ったり、暑さを子どもらなりに凌ぎつつ川に到着。

    

 ゆっぴー車の運搬によるタープを張ると川風が吹き抜ける。不思議だねえ。タープを張ると空気の通路ができるのか?涼しい基地の出来上がり。風で倒れないようにここでは大きな石を運ぶ。さすが年長さんになると、大き目の石を運んできてくれて助かる。日陰の基地ができると早速水着に着替えて「やっほー」と川へ直行・・・。


  

 猛暑のせいか川も渇水傾向。以前の夏の遠足では本流沿いは激流で近づけなかったが今回はほぼ本流で川遊び。浅瀬や川水のたまりでしっかり水浴びしつつ、もっと深いところに行こうヨ~と水好きな子どもたち。緊急用に、と水中用ロープを持参したので、折角だからと大岩にロープをフィックス(固定)して、チャレンジしたい子はロープを捕まりながら、川泳ぎに挑戦。レインジャー方式で捕まりながら、背丈を超える深みを超えていく年長さんたち。意外な普段大人しい女子も果敢にチャレンジして驚かされる。一方「おれ、泳げるし・・・」とその横を泳ぐ強者も・・・。

  

 川の流れの落ち込みに飛び込んだり、滝登り風に登ったり、ここ滑り台・・・と岩棚の川の流れに身を寄せたり、「温泉」見つけたと岩の形状にある川だまりに浸かってみたり、子魚を追ったり、サンダルを流して遊んだり・・・・それぞれに川を満喫。ここは有名なエリアだけあって川遊びの先客あり。地元ピーと思われる中学生、高校生たちのアクティブな川泳ぎにも刺激を受けていた模様。残念ながら潜ってみたところ、水の透明度は昨日の海ほど高くはなく、大きな魚影は発見できず・・・。ただ折角なので対岸まで泳ぎ、標柱のあるたもとの岩陰の甌穴を覗きにいく。巨大なガマガエルに目を瞠る。おお~。でもここに来るには小学生以上だなあ・・と踵を返す。

 川風の吹き抜ける基地で昼食を取り再び川遊びを満喫する子ども達。最後にお泊りで出来なかったスイカ割りを満喫し水分補給をしっかり取り、遊び尽くした川に別れを告げる。今までここに夏に遠足に来た中では最も川を満喫した遠足だった、と思う。猛暑渇水のお陰だね。(普段の夏なら本流でここまで遊べない。)

  

 帰路疲れているかと思い再びあゆどんのウクレレ演奏練習にお付き合い頂くも、「アルプス一万尺」等々子どもたちもそれ以上に歌声いっぱい、元気いっぱいの足取りで鶴来駅へ。帰路の電車も寝る子はほとんどなくまだまだ余力を残している子どもたちに脱帽。大人のほうが眠気いっぱい・・・笑


7月31日 猛暑を楽しむ 海編

2018年12月30日 | 日記
 恒例の夏の特別遠足の第一弾は年中さんの海。夏休みだからできる非日常的な体験の場としての遠足。記録的な猛暑の夏、いつも以上に暑さ対策を入念に算段して出発。

 美川駅で電車を降りて一番のネックは海までの道のり。ここは地元ピーのゆかりどん車がみんなの荷物を運搬。木陰を選びながら身軽な足取りで手取り公園の管理センターに到着。水着に着替えて準備する間、タープ等を持ってきたちゅうりん車とスタッフ先遣隊?で無人の浜辺に日よけタープを設置。白い砂浜はじりじりと焼け付くように熱いが、タープをつけると日陰が生まれ、なぜか海風が吹き抜ける、涼しい基地の出来上がり。タープが海風に持っていかれないように倒木などでしっかり固定する頃に、子どもたちも「うみだあ~」と勇んで到着。
 この基地にサンダルを置いて裸足になって砂浜に足を入れると、「あっちい~」と叫びながら、海に走っていく子どもたち・・・。打ち寄せる波は穏やかで、水が大好きな子らはしっかり丸ごと海猿状態。一方海が初めて・・・という子もいてちょっとづつ足を伸ばしてゆっくり海の中へ・・・。
シュノーケルで海底を覗けば、貝殻に魚の群れ。気づくと背中に乗りこむ強者年中さんも。「すすめ!」と背中を叩く浦島太郎を乗せたカメの気分で子どもを乗せて泳いでゆく。竜宮城を目指すかな・・・笑 

 波打ち際で砂浜にダムを造る子もいれば、きれいな石を集める子、わかめを採る子、浜辺に寝転がる子、海の楽しみ方も子どもたちそれぞれに満喫。


    

 水中時間も長くなったので一旦スイカ割りで基地に戻って休憩。サンダルなしの裸足でスイカ割りに挑んだ子は、あちあちあち~と実に素早い足取りでスイカに直行(笑)。
サンダルを履いて友だちの声を頼りに入念に粘る子など、絵本「スイカくんがね」、さながらに時間を費やし、ようやく最後になおべいが仕留めて、スイカを満喫。太陽に照らされた浜辺のスイカの、ややしょっぱい海の味は、やっぱり夏ならではの味。さらにクーラーボックスのポカリ等で水分補給をして、再び海でひと遊びをして公園センターへ舞い戻る。

  

 冷房の効いたセンターで昼食を取り、さらに元気いっぱいのさくらあんずさんは公園にある遊具でしっかり遊び、最後は海辺で弾き損ねたあゆどんのウクレレの練習にもお付き合いいただき、再びゆかりどん車に荷物を乗せて公園センターを後にする。このときだれも車に乗りたい、と言わないところがえらいね(笑)。

 帰路は若干登り勾配の道のり。氷柱で涼みつつ、途中の日陰で水分補給の休憩を取りつつ駅まで陽炎が揺れる道を歩く。えらいなあ、と思ったのは、暑さをしのぐための周囲への観察と会話、時には独り言。(石造の看板を見つけて「これはなんで書いてある?」「お墓かも」「うん、みたことあるし」等々)周囲の状況から言語的な活動(遊び)を通して、暑さをしのぐ忍耐力(手法)を身に着けている子どもたちの姿に感心。


  

 亜熱帯化しつつある日本の夏。そんな夏とどう付き合い、どう楽しむか? 目に映る海辺の光景と共に身体がきっと覚えていてくれるだろう・・・。

7月25日 夏の工事

2018年12月30日 | 日記
 子ども園移行を目指すために未満児さんの新棟建築のための園庭の事前工事が始まる。

 花カイドウと梅の移植は出来たが、それ以外の木は行き所がなく、残念ながら伐採。家具か何かに置き換えできるか?業者に打診するも、強度が弱いそうで諦めて、切株や丸太など庭で遊べるモノに置き換わる。立山少年自然の家で見た切り株の木彫りができればいいなあ・・・(さていつのことやら?)
 コウモリ男の棲家であった椎木がなくなっていく様にちょっこし感慨深く感傷に浸る。新しいものに生まれ変わるには何かを捨てていく決意もいるのだろう。更地に切り替わる跡地をほろ苦い想いで見つめる暑い暑い夏の始まり・・・。


7月19日一宿一晩の大冒険、お泊り保育

2018年12月30日 | 日記
 毎夏恒例の年長さんのお泊り保育。毎度のことながら生活に慣れた園ですることに意味がある、と改めて実感。お金をかけて郊外の施設等で非日常体験も楽しいには違いないが、お客様気分にしかなれない。園だから子どもたちの力でできることがいっぱい。

 例えば、晩御飯作り。
 スタッフがそれぞれのグループにつくが、どうも子どもたちはレシピを用意したり、事前に試作を創ったりして、子どもたちだけで作れる、という自信に満ち溢れている。先生はおまけに近い、そんな自信あふれる姿が準備と作業中にも見て取れる。

  
  
 それから近所の銭湯体験。
 温泉やスーパー銭湯ではなく、昔ながらの網籠に服を入れて着替え、赤と青のカランを操作してお湯を桶に入れて洗う銭湯。銭湯への道順などもそうだが、迷って周りの人に道を訊くのもいい体験、銭湯という公共の場の風呂使いもいい機会。自分なりになんとかするもので、大人に頼らず髪の毛の長い女の子もしっかり髪留めを自分で外して洗っていたのに驚き。(シャンプーが残っている事だけ伝えるとそれもしっかり洗い流していた。)

   

 夜のお楽しみ探検。
 昔の子どもたちに比べると先生たちの脅かし方は相当ソフトになっている反面、子どもがお化け役で隠れる・・・というのも、園ならではの光景。勝手知ったる園の空間構成を知ってるからこそのお化け役。そしてこっちのほうが結構度胸がいる役どころ。今回それもめちゃリアルなお化けシーンを演じていたようで(先生たちの弁)、これは見たかったなあ。
 ちなみにお泊りによく現れる「コウモリ男「」さん、今年は楢の木(ツリーハウス)から舞い降りてきていたそうだが、途中で羽根が絡まり空中で留まるハプニングも・・・笑。木の途中でバタバタうごめく巨大コウモリ男を、何事かと心配そうに興味津々凝視する子ども達。怖いモノ見たさの子どもたちもそれぞれの姿が垣間見えて面白い。

 そして寝床作り。
 フツーはゴザに布団。でもテントもあれば、積み木のベットもあり、ベランダのベンチをベット代わりにするグループもあれば、星形になって寝る、というグループなど様々な寝方をグループごとにレイアウト。グループの個性も結構出て面白いのと同時に分散しているため、寝付かれない子があちこちに出ても大きな騒動にならずに済む。えらいのはそんな子も一人でトイレに行ったり、お茶を飲んだり、やりくりを自分でして大人を頼らないところがえらい。



 さらに早朝の幼稚園の風景を体感。
 早い子は夜明け前から。夜が白々と明けていく中で見慣れた園のいつもと違う風景。特に屋上でのテントやベランダで寝た子らには、空の色と空気の肌合い、お寺や協会の金の音色などを耳に、五感で感じながら迎える新しい朝。夜の寝入りぱなとこの朝の時間帯の子どもたちの顔を突き合わせている時間帯がうれしいようだ。



 最後は幼稚園の雑巾がけ。
 広さと仲間とそして幼稚園へのちょっぴりと感謝の気持ち。そんな風情を感じさせる、これまた恒例の雑巾がけ。ホールがピカピカに磨かれたような気分で終わることの気持ちよさ。さあ、気持ち晴れ晴れ最後のお楽しみ(今年はサッカー対決)・・・。



 子どもたちの冒険と挑戦が子どもたちの発想でできる一宿一晩の物語。お疲れ様、まつさん、そして先生たち。



7月11日 亀仙人、現る・・・

2018年12月30日 | 日記
 木の花に何度か足を運んでくれた写真家で保育者、森の案内人ゴリさん(小西貴士氏)の紹介で、ミュージシャン兼爬虫類学者の亀工房さんが来園。その風貌、いでたちはまさに亀仙人!

 保護者会さんのバザー収益でのハンマーダルシマーとギターの演奏会。以前金沢ライブの生演奏を聴いてとてもよかったので、公演叶って感無量・・・。子どもたちはハンマーダルシマーに興味津々だったようで、演奏の途中向きを変えて中を見せてくれて、しっかり覗き込んでいた子どもたちだが、こちらは仙人の間近で見るギターワークこそ勉強になる。次回はコラボでやりませう!(まずはチューニングからしっかりしてしないと…笑)


  

6月23日 ママカッション

2018年12月30日 | 日記
 保護者会の初企画になる「ママカッション」、母たちのほろ酔いディスカッション。

 これからの保護者会を考えるというテーマを掲げた一週間ディスカッションのバリエーション。おやじ達のほろ酔いディスカッションが「おしゃべりウィーク」のバリエーションとして20年以上の長い歴史をもち、金沢市の家庭教育学級を主宰する生涯学習課から評価されているように、子ども園になったときの「おしゃべりウィーク」の一日を土曜の夕方あたりに設けるのも土曜日特別企画として面白いかも・・・。
 (例えばおやじたちがボランティアで参加する母らの子どもたちを園庭などで遊ばせつつ、おにぎり作って子どもたちと腹ごしらえ・・・なんて風景も悪くないなあ。ちなみに世界的に有名な幼児教育の実践で知られるイタリアのレッジョ・エミリアではワインを飲みながら親同士が園での子どもの育ちのドキュメンテーションを語り合うこともある、とか。)

 おやじのほろ酔いには男性保育者が参加しているから、これは女性保育者でしょ・・・という職員会議で募ったところ、泡に目がくらんだスタッフ数名の手が挙がる(失礼!)。同性同士、母らの想いを知っておかないと・・・・という気概に燃えた職員の自主参加にスタッフ一同拍手で送り出す。(しかし後日の記憶がほとんどないのでした…笑)
 一方あゆどんは肩身も狭く働いている母も混ざるグループの片隅にひっそりと置かせてもらい議論を拝聴。なかなか貴重な母たちの内面的な葛藤などを伺い知れていい場となった。ディスカッションから後半の全体共有のあたりからはボルテージが上がってきて、このあたりはおやじたちと余り遜色なし・・・笑。



 保護者会の役員さん、参加の皆様、お疲れさまでした。(家で子どもたちを見ていたおやじたちにも感謝。)


6月22日 木のお家

2018年12月30日 | 日記
 伸びゆく園庭の樹木の剪定を「素人庭師」が今年も登場。忍者の如く木登りして颯爽と行う・・・・。

 ・・・と言いたいところだが、危ないよ・・・と下から見ている子どもたちに声を掛けるも、あゆどん、あぶないよ~と逆に心配される。特に枝垂桜はトップ部分に立たないと切れないので、揺れる枝の上に乗り込むのは怖いのは間違いない。また下に落とさない様に切るのも態勢が苦しく難しい。

 それでも枝打ちした木々の枝をブランコに立て掛けておけば、子どもたちはそれを利用して家作り。日除けにもなるし、隠れ家にもなる・・・。



 これらの園庭樹木の数々は園舎改築等で代替わりはしつつも、武家屋敷由来の、子どもたちにとって身近な守り育てる自然環境として貴重な財産・・・。(因みに本職の植木屋さんには年に定期的に剪定や雪囲いなど管理していただいてます。ご心配なく・・・。)