CLAP学園☆MAX heart

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The Heart!彼は言う命より金が大事?

2017-01-08 08:05:35 | 思想文学

ごきげんよう、こんばんは。

先ず、僕の言うHeartとは、短文では無く長文である。

それは、気持ち~生命や心臓までの範囲だと言うことだよ。

そして、この記事は何時もより難しく書いてみた。

それは、視野を広げるために。


さて貴方は、Heart or Moneyどちらが大切?

もちろん、これをダイレクトに聞いて!Moneyが大事だと答えた者は、未だ見ていない。

しかし!Moneyとは言わないけれど、HeartよりMoneyが大事な者が居る事は確かなのだよ。

 

例えば、相手の欲からの恨みを買うとする。

それには、様々な名目のMoneyが必要になって来る。

けれど!その支払いをしない者が居る。

なぜなら!彼の考えには、甘えがあるからだよ。

 

彼は、自身のHeartは法律により守られている。との考えが先にあり。

その対価として、自身のHeart & Lifeを狙われることが無い!と考えている。

(参考に→リンク:グレーより薔薇色。)

 

つまり、HeartよりMoneyの方が大事なのだよ。

 

それにより彼は、その瞬間になるまで理解出来ないし。

その時に相手は、MoneyよりもHeartを要求している。

このため彼が、Moneyを支払うと言っても聞き入れない。

 

それこそ豊田商事事件の永野会長は、どうなりましたか?

永野会長を殺害をした者の言葉は、「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と語ったんだよ。

しかも!その永野会長は、顔を知られると殺される!と言っていた!(参考に→リンク:漫画で見る豊田商事事件

それにも関わらず、永野会長は→誰か助けてくれ!!と言っているのだよ。

 

つまり、想定はしていたものの!誰かの擁護を頼ろうとしていた事実であり。

法律により守られているとの思いが強かったと言う事だ!

 

そもそも、Moneyの恨みなのだから!きちんとMoneyで解決すれば殺されなかったハズなのだよ。(目には目)


ここで皆さんは、"欲からの恨み"を理解出来ないと思う。

 

そこで3大欲求→リンク:教えてGoo.なのだよ。

これらの欲の全ては時により、Moneyに変えることが出来るのだよ。

しかし、Moneyから本当の欲は買えない。

そこには、信用(労力)と言う物を加えなければ無理が生じる。

その信用とは、信用取引のMoneyとも言われるようにMoneyにも備わっている。

しかし、この信用は!時価でしかなく。

人により異なる。

それは、為替市場と同じようにね。

Moneyとは、"借り物&仮の物"なのだよ。(貨幣損傷等取締法を考えてください、そして→リンク:Matthew 6:24。)

 

それこそJesus Christは、言われた!

「あの人は誰よりもたくさんの献金をした、持っている生活費のすべてを献金したからである」

つまり、価値は金額&数字では無いのだよ。

Heartと言う気持ちにより変動するのだよ。


 

では、話に戻る。

もちろん例にした、豊田商事の永野会長は、全てを支払うことは困難な状態だろう。

しかし足りない分は、誠意がMoneyの代わりになり。

殺されるまでには、至らなかったと思う。

 

<余談>

よく貧困に思われがちなのは、Moneyが誠意!だと逆に感じて居られる方がいるけれど。

Moneyは、Moneyでしか無いのだよ。

誠意には、なりえない。

それがまかり通るのならば、如何にMoneyを持っていようが!乞食でしか無い。

それは、誠意だと思っているMoneyを相手に投げ与えても、誠意なんだから有り難く受け取ると言う事だからね。

<余談ここまで>

 

その誠意こそが信用に変わるし。

信用は、労力!

労力がMoneyと言う仮の物に変わる。

そのMoneyは、欲しい物と交換できる。

しかしMoneyに執着をするのは、罪。

なぜならMoneyの流れをSTOPさせ多くを貧困にさせてしまうからだよ。


と書いていると、良いVideoがありました。

12分あたりからどうぞ。↓


 

では何故!支払わなければならない物まで拒み、お金に執着をする者がいるのか?

何故!豊田商事の永野会長のような者が居るのか?

 

彼らは!他人を救えば、自分を救うことが出来ない。と思っている。

そのため奪うことだけを考えるし。

他人を救うことを考える者は、その他人&神により救って貰えば良いとしか思わない。

このように思うことで、自我の悪を善に変えている。

 

それは彼が孤独であることを示しているし、誠意を知らないからだ!

誠意が無いからこそ、人と呼べる者が集まらない。

 

このため!他人からの救いがあるのだから、俺が奪っても大丈夫だ!

奪うことにより、俺も救われる。との一石二鳥のような思い込みがあるのだよ。

そこで以前書いた、善と悪の記事に戻る。

 


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