僕の愛息子、3歳になる瑞騎を亡くしました。
病名は
「急性骨髄性白血病」
でした。
約1年前の事。
GW前から熱が出たり下がったりを繰り返し、医者にも見せて(セカンドオピニオン含む)いたのですが、GW最終日に熱が高くなり検査をすると
「緊急入院です。」
と。
「うちの病院では治療ができないかもなので、詳細を調べるために埼玉県小児医療センターへ転院してください。」
と言われました。
そこから苦しい闘病生活が始まり、瑞騎は2歳5ヶ月にして親から離れて1人で病院のベットで寝なければならない生活が始まってしまいました。
泣きわめく子が沢山いるなか、瑞騎は周りの子達に
「だいじょーぶ!?みーみーもいるからさぁ。」
みたいに話しかけて、すぐに病棟のアイドルになっていました。
看護師さんの名前も完璧に覚えてしまいアダ名で呼んだりしていた事から、看護師さんにも本当に可愛がられていました。
小さいのに笑顔で病院で本当に本当に頑張っていました。
完治を目指し移植手術を短期間に3回行いました。
骨髄移植。
末梢血幹細胞移植。
臍帯血移植。
主治医曰く
「この短期間で3回も移植に耐えられた子は初めてです。本当に頑張ってくれています。」
と。
しかし主治医を含め埼玉県小児医療センターの医師団でも治す事には届きませんでした。
埼玉県小児医療センターは小児血液ガンでは国内トップクラス。
関東では3本の指に入る病院だそうです。
その医師団をもってしても最後は泣きながら
「現在の医学と私達の力では瑞騎くんを救えませんでした。」
と謝罪されました。
僕らは先生方や看護師さんに頭を下げられる事など全くなく、むしろこれだけしっかりと治療してくれて、ありがとうという感謝しかありません。
瑞騎を亡くしてしまった事は、言葉にできるものではありません。
最後の外出でも、酸素マスクしても息が上がってしまう状況でも
「パパがバイクで走ってる所が見たい。」
と言って桶川に来てくれた瑞騎。
僕らの子供に生まれて来てくれて本当にありがとう。
天国では、ばぁばと会えましたか?
大好きなプラレールやアンパンマンで遊べていますか?
友達は出来たかな?
少しの間、パパやママ、ねぇねと離ればなれだけど時が来たら必ず迎えに行きます。
それまでの間、笑顔で待っていてください。
パパはこれからもバイクレースがんばります!
空の上から応援しててね!
勝った回数だけ、後でお寿司食べに行こうね。
心から愛しています。
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